とある企業の恋愛事情 -ある社長令嬢と家庭教師の場合-
本堂はこの日、藤宮正義に呼ばれて都内のある学園前に来ていた。
ここは聖が通っている大学だ。今日は聖の卒業式なのだそうだ。
本堂はただの家庭教師だが、聖の卒業試験に貢献したからと招待された。
だが着いて早々、噂で聞いていた学園の凄さに驚いた。
駐車場には高級車ばかりが停まり、どの親もブランド物のスーツや高そうな着物を着ていて、皆それなりの地位にあることが伺える。
だが、どの親も今日が子供の卒業式だからというよりは、自分の仕事の挨拶に来ているようだった。どの親も顔見知りのようだ。聞こえてくる会話は仕事の話ばかり。
一人電車で来た本堂は正義を待った。
正義がどんな車で来るかは大体想像がついていた。会社に乗ってくるのはいつもベンツだ。セダンタイプのSクラス。色はブラック。
藤宮コーポレーションの代表取締役ならいくらでも車を買えそうなものだが、こだわりがあるのかそれ以外の車に乗ったのを見たことがない。
やがて待っていると、本堂が思った通り黒いベンツが現れた。
黒いベンツは他にも何台かあったが、一目でわかったのは車に藤のエンブレムが付いていたからだ。会社のロゴと似ているからすぐに分かった。
まずお付きの執事────屋敷で宮松と呼ばれていた男が運転席から降りて、後部座席の扉を開ける。その中から黒いスーツを着た正義と、着物を着た澄子が降りてきた。
本堂はすぐさま頭を下げて挨拶した。
「藤宮社長、本日はご招待いただきありがとうございます」
「いやいや、本堂君のおかげで聖が試験でトップを取ったわけだから、当然のことだ」
正義も澄子もご機嫌だった。本堂は二人についてその後を歩いた。
卒業式が行われるホールは建物の中にあった。だが、まだ開会まで時間があるため、父兄らは優雅に談笑している最中だ。
その中を正義と澄子が通ると、その父兄らはギョッとした顔で慌てて頭を下げる。改めて藤宮家がどれほどの権力を持っているのか再確認した。
しかし厚意で呼んでもらったものの、本堂は彼らにも聖の卒業にもまるで興味がなかった。正直なところ、今すぐにでも帰りたいと思っていた。
馬鹿みたいに着飾った人間ばかりで頭は空っぽだ。くだらないことこの上ない。
「藤宮様、今日はご息女の卒業式ですね。おめでとうございます」などと、自身の子供を祝いに来たにも関わらずそんな挨拶をするものまでいた。
ちょっとでもゴマを擦っておきたい精神が丸出しだが、そんな扱いに慣れているのか正義達はちっとも気が付いていないようだった。
座席はまるで始めから藤宮家のために席を空けていたかのように真ん中の一番前が空いていて、正義は当然のようにそこへ座る。座ってからしばらくしても、正義は挨拶に訪れたものの対応をしていた。
これではまるで正義のための会だ。本堂は内心あきれたが、最後まで付き合うしかない。
ようやく始まりの合図のブザーが鳴った。
挨拶を聞いていると、随分前に高校を卒業した時のことを思い出した。
今から十年ほど前の話だ。だが、この学園の卒業式は自分が卒業した高校とはあまりにも違いすぎて、懐かしい気持ちにはならない。
ようやく最後の方になると、袴を着た聖が壇上に上がった。聖は卒業試験で一番を取ったと言っていたから、スピーチを任されたのだろう。
本堂はすでに眠く、欠伸を噛み殺しているような状態だった。
ふと、壇上にいる聖と目が合った。一瞬、聖が笑ったように見えた。彼女もこの式は退屈だろう。
やがて数時間に及ぶ卒業式が終わると、中庭にある大きな桜の木の前に生徒達が集まって写真を撮り始めた。聖も在校生らしき生徒達に呼び止められて話をしているようだった。
子供が子供なら親も親で、正義達は聖そっちのけで仕事の話をしている。
本堂がつまらないと思い始めたところで、ようやく解放された聖が声をかけてきた。
「本堂先生も来てたんだ。凄くつまらなかったでしょう。どうして来たの?」
「親玉に呼ばれちゃ仕方ねえだろ」
「いいよ、もう終わったから帰っても。あの人達には私から上手くいっておくから」
「お前も面倒ならサボったらどうだ?」
「私? それは無理よ。私は聖である前に藤宮聖だから」
「は? そりゃそうだろ」
「模範になるべき人間がそう簡単に逃げたりは出来ないって言ってるの」
「……有難いお言葉どうも」
「お父様についていくのは大変でしょう? 嫌な時は言ってくれればなんとかするから」
そう言った聖は、以前創立記念パーティで見た時とは違って少し元気に見えた。その顔に浮かべる笑みは不自然ではない。
聖はすぐにまた別の在校生に呼ばれて写真を撮ったりしていた。
だが、またあのぎこちない笑みに戻る。
聖の固い笑顔の理由なんて、自分には分かる訳もなかったし、分かりたいとも思わない。まっすぐその標的を見つめて、自分の目的を思い出した。
藤宮聖。藤宮コーポレーションの跡取り娘。頭の中にその肩書を思い浮かべ、憎々しげに歯を軋ませた。
────藤宮聖……お前には失脚してもらう。
そのために自分はここに来たのだから。
ここは聖が通っている大学だ。今日は聖の卒業式なのだそうだ。
本堂はただの家庭教師だが、聖の卒業試験に貢献したからと招待された。
だが着いて早々、噂で聞いていた学園の凄さに驚いた。
駐車場には高級車ばかりが停まり、どの親もブランド物のスーツや高そうな着物を着ていて、皆それなりの地位にあることが伺える。
だが、どの親も今日が子供の卒業式だからというよりは、自分の仕事の挨拶に来ているようだった。どの親も顔見知りのようだ。聞こえてくる会話は仕事の話ばかり。
一人電車で来た本堂は正義を待った。
正義がどんな車で来るかは大体想像がついていた。会社に乗ってくるのはいつもベンツだ。セダンタイプのSクラス。色はブラック。
藤宮コーポレーションの代表取締役ならいくらでも車を買えそうなものだが、こだわりがあるのかそれ以外の車に乗ったのを見たことがない。
やがて待っていると、本堂が思った通り黒いベンツが現れた。
黒いベンツは他にも何台かあったが、一目でわかったのは車に藤のエンブレムが付いていたからだ。会社のロゴと似ているからすぐに分かった。
まずお付きの執事────屋敷で宮松と呼ばれていた男が運転席から降りて、後部座席の扉を開ける。その中から黒いスーツを着た正義と、着物を着た澄子が降りてきた。
本堂はすぐさま頭を下げて挨拶した。
「藤宮社長、本日はご招待いただきありがとうございます」
「いやいや、本堂君のおかげで聖が試験でトップを取ったわけだから、当然のことだ」
正義も澄子もご機嫌だった。本堂は二人についてその後を歩いた。
卒業式が行われるホールは建物の中にあった。だが、まだ開会まで時間があるため、父兄らは優雅に談笑している最中だ。
その中を正義と澄子が通ると、その父兄らはギョッとした顔で慌てて頭を下げる。改めて藤宮家がどれほどの権力を持っているのか再確認した。
しかし厚意で呼んでもらったものの、本堂は彼らにも聖の卒業にもまるで興味がなかった。正直なところ、今すぐにでも帰りたいと思っていた。
馬鹿みたいに着飾った人間ばかりで頭は空っぽだ。くだらないことこの上ない。
「藤宮様、今日はご息女の卒業式ですね。おめでとうございます」などと、自身の子供を祝いに来たにも関わらずそんな挨拶をするものまでいた。
ちょっとでもゴマを擦っておきたい精神が丸出しだが、そんな扱いに慣れているのか正義達はちっとも気が付いていないようだった。
座席はまるで始めから藤宮家のために席を空けていたかのように真ん中の一番前が空いていて、正義は当然のようにそこへ座る。座ってからしばらくしても、正義は挨拶に訪れたものの対応をしていた。
これではまるで正義のための会だ。本堂は内心あきれたが、最後まで付き合うしかない。
ようやく始まりの合図のブザーが鳴った。
挨拶を聞いていると、随分前に高校を卒業した時のことを思い出した。
今から十年ほど前の話だ。だが、この学園の卒業式は自分が卒業した高校とはあまりにも違いすぎて、懐かしい気持ちにはならない。
ようやく最後の方になると、袴を着た聖が壇上に上がった。聖は卒業試験で一番を取ったと言っていたから、スピーチを任されたのだろう。
本堂はすでに眠く、欠伸を噛み殺しているような状態だった。
ふと、壇上にいる聖と目が合った。一瞬、聖が笑ったように見えた。彼女もこの式は退屈だろう。
やがて数時間に及ぶ卒業式が終わると、中庭にある大きな桜の木の前に生徒達が集まって写真を撮り始めた。聖も在校生らしき生徒達に呼び止められて話をしているようだった。
子供が子供なら親も親で、正義達は聖そっちのけで仕事の話をしている。
本堂がつまらないと思い始めたところで、ようやく解放された聖が声をかけてきた。
「本堂先生も来てたんだ。凄くつまらなかったでしょう。どうして来たの?」
「親玉に呼ばれちゃ仕方ねえだろ」
「いいよ、もう終わったから帰っても。あの人達には私から上手くいっておくから」
「お前も面倒ならサボったらどうだ?」
「私? それは無理よ。私は聖である前に藤宮聖だから」
「は? そりゃそうだろ」
「模範になるべき人間がそう簡単に逃げたりは出来ないって言ってるの」
「……有難いお言葉どうも」
「お父様についていくのは大変でしょう? 嫌な時は言ってくれればなんとかするから」
そう言った聖は、以前創立記念パーティで見た時とは違って少し元気に見えた。その顔に浮かべる笑みは不自然ではない。
聖はすぐにまた別の在校生に呼ばれて写真を撮ったりしていた。
だが、またあのぎこちない笑みに戻る。
聖の固い笑顔の理由なんて、自分には分かる訳もなかったし、分かりたいとも思わない。まっすぐその標的を見つめて、自分の目的を思い出した。
藤宮聖。藤宮コーポレーションの跡取り娘。頭の中にその肩書を思い浮かべ、憎々しげに歯を軋ませた。
────藤宮聖……お前には失脚してもらう。
そのために自分はここに来たのだから。