とある企業の恋愛事情 -ある社長令嬢と家庭教師の場合-
 朝食にはバターたっぷりのクロワッサンにサラダを始め、好きなメニューが並べられる。

 食後はいつもと同じ銘柄の紅茶にミルクと砂糖をたっぷり。聖は心の中で舌を出して息を止めて飲み込んだ。

 仕事の話と家庭教師の話しかしない正義と、傘下のご婦人方と行ったリゾートホテルの話をする母、澄子(すみこ)と向かい合って食事する。

 聖は低血圧だから朝はおとなしいと思われているようだがそれは違う。この親と顔を合わせるのが嫌なのだ。

「聖さん? 今度の家庭教師はどんな方がいいかしら」

 ディオールの口紅をたっぷり塗った唇がテカテカと光る。澄子はニッコリと笑って尋ねた。聖も最大限に愛想を振りまいて答えた。

「そうですね、柔軟性のある方かしら。頭が良いだけでは会社はまとまりませんから。そうでしょう、お父様?」

「そうだな。最近の奴等は頭が固過ぎる。学歴と統率力は違うからな」

 軽く正義に対する嫌味を言ってみたが、どうやら遠回しすぎて伝わらなかったようだ。

 だが、正義にしては珍しく同意した。澄子もそうねと相槌を打った。

「……ねえ、お父様。今度の家庭教師は私が選んじゃ駄目かしら?」

「なぜだ?」

「だって私会社の方ときちんとお話ししたことがないわ。私がいずれ藤宮を継ぐなら今のうちからどんな方がいるか知っておきたいの」

 もっともらしい理由を並べると、正義はウンウン頷いて納得した。

「ふむ……それもそうだな。ではリストを宮松に渡しておく。じっくり選ぶといい」

「ありがとう、お父様」

 ────なんて、ね。

 向学心があるように振舞って、聖はおバカな二人をうまく丸め込めた。

 これで少しはマシな人間を選ぶことができるだろう。今までみたいな退屈な授業はもう沢山だ。



 朝食後、宮松が部屋に来た。

 恭しく頭を下げる彼は、勤続四十年近くにもなる大ベテラン執事だ。

 宮松はお辞儀の角度までマニュアル通りのロボットのように正確な人間だった。だから彼は、正義にとても気に入られていた。

「こちらが旦那様から頂いた次の家庭教師のリストでございます。気に入った者がいましたら仰ってください」

「わかったわ。ありがとう」

 ドアが閉まる前に、聖は机に向かって分厚いA4サイズの資料をパラパラとめくった。

 どうやらリストは履歴書のような書式でまとめられているらしい。顔写真、名前、出身校、所持している資格、特技と、まるで面接官になった気分だ。

 どれも大体似たような経歴を読み飛ばし、その代わり趣味の欄を見た。

「釣りにゴルフにドライブに……こっちは盆栽? 一体何歳なのよこの人達……」

 あまりにもコテコテの趣味を見て、聖は呆れた。確か家庭教師の募集要項には三十五歳以下と書かれていたはずだ。

 恐れくこれは《《お育ち》》のせいだろう。応募してきた人間の大半はイイトコ育ちのおぼっちゃま、お嬢様ばかりだ。採用した日には、「ごきげんよう」なんて挨拶をされるのかもしれない。

 応募用紙が半分ほどゴミ箱行きになった所で、聖はふと、ある人物に目が留まった。

「……ん?」

 聖はその人物の趣味の欄を見て眉を顰めた。そこには「人間観察」と書かれていた。

 月並みな答えだが、この応募者達の中では十分目立っている。 

 応募者は一応藤宮グループの本社勤めの────いわゆるエリートの中から選ばれている。間違っても趣味の欄に「人間観察」と書くような人間はいない。

 だが、聖はこの《《藤宮らしくない》》人物が気になり、そして気に入った。
 
 面白く、目新しく、奇抜だ。

 まだ最後まで目を通したわけでもないのに、聖は机の上にある連絡用の受話器を取ってボタンを押した。どうやら電話は宮松がとったらしい。ちょうどよかった。

「宮松。家庭教師、決めたわ」

『お早いですね。そんなにお急ぎにならなくても宜しいのですよ』

「いいの」

『して、どなたでしょうか?』

「海外事業部所属営業担当、本堂(ほんどう)(はじめ)よ」
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