とある企業の恋愛事情 -ある社長令嬢と家庭教師の場合-
 終業時間から数時間後。また聖の執務室から青葉の声が聞こえてきた。

「……聖、もう遅い。そろそろ帰るぞ」

「これくらい、屋敷で習い事してた時も似たような感じだったじゃない。今更よ」

「それとこれとは違う。残った分は他の人間にさせれば────」

「私に回された仕事よ。いいから俊介は先に帰って。私はタクシーで帰るから」

 青葉はしぶしぶ諦めたようだ。本堂も今作っている書類を聖に渡したら帰るつもりだった。いつもならとっくに帰宅している時間だったし眠かった。

 執務室に入ると、聖が顔を上げた。そのデスクの上には書類が山ほど積まれている。

「お疲れ様、本堂先生」

「もういい加減、その先生って呼び方はやめろ」

「じゃあ本堂さん?」

「違和感丸出し」

「じゃあなんて呼べばいいの? 本堂補佐?」

「青葉のことは名前で呼ぶんだろ?」

 そう言うと、聖は悩ましげに本堂を見上げた。

「『はじめ』? それはちょっとさすがに……本堂先生は確か七歳ぐらい上だったでしょう。せめてさん付けさせて」

「堅苦しいやつだな」

 本堂は山積みの書類の横に出来上がった書類を重ねた。

「じゃあ『はじめさん』、お疲れ様。また明日ね」

「お疲れさん」

 廊下に出ると暗かった。とっくに消灯時間になっていたからだろう。

 センサーが作動して、歩くと明かりがついた。消灯後は自動的に消える仕組みのようだ。

 役員向けの贅沢なフロアの作りを見ながら、エレベーターのボタンを押す。

 このエレベーターは高層階直通だ。普段聖か青葉、本堂くらいしか乗らない。その他は正義か、その秘書ぐらいだ。

 窓からは都内の夜景が見えた。本堂はまさに勝ち組のエレベーターだな、と思った。

 ここからなら昼間でも夜でも素晴らしい景色を堪能できるが、生憎その景色を見て驚くのは本堂ぐらいだ。聖や青葉は見慣れているに違いない。

 外に出ると意外と明るかった。街灯が多いからだろう。

 藤宮コーポレーションのビルを見上げて、最上階に近い部分を見る。そこではまだ聖が仕事をしているはずだ。

 当然、遠すぎて窓の明かりなんて見えるわけもなかったが。
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