とある企業の恋愛事情 -ある社長令嬢と家庭教師の場合-
半刻後。俊介は聖、本堂と共に会社の各部署の役職者達と会議を始めた。
半円型の会議机について、上座に聖が座り、その横の席には俊介と本堂が控える。
定例会とは、月に一度こうして会社内部の問題を改善するために、各部署の役職者を集めて寄せられた意見について話し合うための場だ。以前は正義が出席していたが、今後は聖が代わりに出席することになった。
こういう会議が現実意味を成しているかは考えるまでもない。
定例会議というだけあって皆顔なじみだ。話すことは大体同じで、正直俊介から見ても意味のある時間とは思えなかった。
こういう会議に限って議題を解消できないから本当に無駄だ。話を聞きながら、俊介は内心呆れていた。
聖も同じことを考えているのだろう。話を議題に戻したいが、聖も入社ばかりで周りは年上しかいない状況だ。自分ばかり意見することに気が引けているのか、それを口にするタイミングを伺っているようだった。
どうしたものかと思っていた時だった。
「企画部の議題がまだのはずだが」
中年達の話し声の中、本堂の声がピシャリとそれを割った。
一瞬間が空いて、すぐにその内の一人が「ああ、そうだったな!」と話を元に戻した。
本堂がフンと鼻を鳴らして、誰にも聞こえないよう小さく「くそじじい共が」と言った。
それを聞いたのは俊介だけではなかったようだ。ちらりと横を向くと、聖が笑いをこらえていた。
本堂は補佐になる前は営業だったが、優秀な社員だから会議でも発言力があるのだろう。まだ若い本堂の言うことをこんな歳上が聞くのは圧倒的な実力差があるからだ。
俊介は少しだけ本堂を見直した。意外と、いい奴なのかもしれない。
ようやく会議が終わり、会議室からわらわらと役職者達が出て行く。
いつもの三人になると、聖は深い溜息をついた。気を使って疲れたのだろう。
「聖、疲れてないか?」
「一時間ぽっちの会議で疲れたなんて言ってられないわ」
聖はよし、と勢いよく席を立つと、また資料と睨めっこしながら部屋を出ていった。
俊介は本堂の方をちらりと見た。目線がかち合うと、本堂はじろりと視線を厳しいものに変えた。
「なんだよ」
「お前が助け舟を出すとは思わなかった」
「別にそんなんじゃねえ。あのくそじじい達がうるせえから話を進めただけだ。それとも、お前は俺が聖を助けたことにヤキモチでも妬いてんのか?」
「……っそんなわけがないだろう。俺は秘書だ。間違ってもそんなことはしない」
「ふん、じゃあ俺が聖を口説いても妬かねえんだな? そりゃ見物だ」
「はあ!?」
「そういうことだろ。従順な執事で秘書の『俊介』なら」
俊介は思い切り本堂を睨みつけた。前言撤回だ。本堂はまったくいい奴ではない。
なぜ本堂はこうも挑発してくるのだろう。安易な挑発は争いこそ産むが、意味などない。
聖を口説くというのは本気なのだろうか。以前にも本堂はこんなことを言っていた。一体何のためなのだろう。
どう見たって本堂が本気で聖のことが好きなようには思えなかった。
「本堂、お前本気で聖のことが好きなのか?」
「そうだって言ったら?」
本堂は相変わらず人を食ったような目をしている。いつものことだが、今日はこと更に腹が立った。
「はっ……冗談も大概にしてくれ。お前のどこが聖を好きに見えるんだ」
「なんでも態度に出るとは限らねえだろ」
「何が目的だ? 藤宮グループの財産か? それとも聖に取り入って重役の座が欲しいのか?」
「酷い言われようだな」
「お前が真剣に聖を好きなわけがない!」
「何の不都合がある? 藤宮グループさえでかくなればお前らは何だっていいんだろ?」
「ふざけるな! 二度と……そんなふうに聖に近づくな!」
俊介は思わず腹が立って机を叩いた。
本堂はそんな自分すら冷静に見ていてそれが更に怒りを掻き立てた。
「過保護な奴だな」
「過保護で結構だ! 俺は聖を守るって決めたんだ! お前みたいな奴が何人いるか……っ」
聖は小さい頃から常に人に囲まれていた。それらのほとんどが、藤宮に媚を売るための打算的なものだと知ったのは、大きくなってからのことだ。
小さい頃の聖は、遊び相手もたくさんいた。放っておいても周りが勝手に寄ってきた。
だが、それは大人達による策略的なものだった。
寄ってくる大人は「聖に良くしておけば何かあるだろう」と考えていた。寄ってくる子供は大人の入れ知恵を受けたスパイのような存在で、仲良くなってあわよくばという考え方の人間ばかりだった。
それと同じで、ほとんどの男は聖の後ろにある「藤宮グループ」に目が眩んで寄ってくる。
聖が何度も告白されたことがあるのは知っていた。それが両手で収まる数じゃないことも知っていた。そして、それが本気の告白でないことも────。
告白を受けたあとの聖の落胆ぶりは言うまでもなかった。
聖は小さい頃から人に囲まれているせいか、人の表情や感情を読み取るのもうまい。だから自分が考えていることも、なんとなくで分かってくれる。他の人間の事も。
本気で好かれているわけではない────。それくらいのことを読み取るのは容易いことなのだろう。
いつかどこかの御曹司に求婚された時も、寂しげな目をして聖は言っていた。
『ねえ、俊介。私のこと本気で好きな人って現れるのかな』
『……さあな』
『私のこと本気で好きになって、一緒に笑ってくれて、叱って、悲しんでくれる人がいたらいいのにな』
『いつか……現れるさ。まだお前も子供だろ?』
『そうだね、大人になったら現れるかもしれないね』
その時、聖は頼りなく笑っていた。
そのいつかは、大人になればなるほど遠くなることを……分かっていたはずなのに。
思っていた通り、大人になってそれは顕著になるだけだった。
パーティに行けばエスコートする相手は溢れるほどいたが、聖はどれも拒否して自分を側につけた。
思えば、聖が自分を専属執事にしたのは、気心知れた人間をそばに置きたかったからかもしれない。
『執事』をいうクッションを挟んでおけば、直接誘われることは少なくなった。それでも、根本的には何も解決していなかったが────。
聖は打算的な目を見抜く。それなのに、なぜ本堂を家庭教師にし、気に入ったのか理解できなかった。
証拠も何もないが、本堂が何か企んでいることは分かる。聖だってそれくらい分かっているはずだ。
それなのに聖は本堂といると楽しそうで、いつもより数割り増しの笑顔を見せる。
内心ショックだった。それはある意味、本堂の言う通り嫉妬なのかもしれない。聖の笑顔を見れるのは、自分だけだと思っていたから、他の人間が入ってくることが嫌だった。
「本堂、お前が聖のことをどう思おうが俺は許さない。聖を傷つけるつもりなら俺にだって考えがある」
「まだ何もしてねえのにそんなこと出来んのか?」
「俺だって伊達に執事を何年もやってない。頭脳はお前に負けても……出来ることはある」
「なんでお前はそんなにあいつのことを庇う? あいつの何がいいんだ?」
「そんなこと……見てれば分かるさ」
俊介は五歳の時からずっと聖のそばにいた。
小さな小さな聖はまるで妹みたいに可愛くて、自分が守ってやるんだと思っていた。
優しくて、思いやりがあって、自分が無茶をするといつも心配してくれた。おてんばで木にだって登るし、家人に内緒で屋敷の中に隠れ家を作ったこともあった。
元気で快活なお姫様、それが聖だった。
そんなお姫様が幻のように消えていったのは、いつ頃だっただろうか。
物心つき始めた頃から、聖は次期当主としての教育のために朝から晩まで縛られた生活を送るようになった。一人で行動できなくて、常に誰かがそばにいた。
食べるもの、着るもの、住む場所、使う物の全てを決められたレールの上で生活しなければならなかった。それは、成長するにつれて酷くなるばかりだった。
幸い、藤宮家から申し出があり、俊介は聖の専属執事としてそばにいられることになった。
だが、そばで見れば見るほど聖は孤独で、まるで綺麗なショーケースに飾られたお人形のようだった。
聖は両親の望む跡取りになろうと必死で、昼夜問わず机にかじりついて勉強していた。
聖は決して天才ではない。ただがむしゃらに努力してそこにたどり着いただけだ。
表面上はそうじゃないように振舞ってはいるだけで、聖は努力家だ。そうしなければ自分の居場所が保てないから、努力するしかなかった。
そうして藤宮に相応しくあろうとあらゆる習い事をこなし、まさにパーフェクトなお嬢様になった。
だが、聖は変わった。辛い、とかしんどいとか、そんなことは一切口にしなくなった。言えなかったのだろう。言っても無駄だと分かっているから。
だからこそ、俊介は聖の荷物が少しでも軽くなるよう努めてきた。
自分がしんどくても他人を優先できるのが聖の美徳だ。それはきっと、誰よりも辛い思いをしてきたからこそ、人の辛さも分かるのだろう。
聖は他人のために笑う。だが、他人は決して────聖のために笑うわけではない。
聖の心が潰されそうになっている時に、少しでも力になりたかった。しんどい時はそばにいて、辛くなったら慰めようと思っていた。
聖がそう口で言わなくても、求めなくても、自分だけは分かってやりたかった。それが「執事」として聖のそばにいることを選んだ自分の仕事でもある。
「俺の家は藤宮家に仕えて長いんだ。俺が進言すればお前の地位だって危ういぞ」
「それがなんだ? 生憎俺は地位だとか権力なんかには興味ねえ」
本堂は不敵な笑みを浮かべて俊介を見つめた。俊介も負けじと睨み返した。
相変わらず、本堂の目的がわからなかった。だが、間違いなく本堂が自分の敵だということは分かる。
「もう、行くぞ。聖が変に思う」
「お前が先に始めたんだろ」
「本堂、もう一度言うぞ。おかしな真似をしたら許さない」
席を立って、会議室を後にした。
本堂は、まるで化けの皮を被った狐だ。あんな人間でも正義の信用を得られるのだから、世の中どうかしている。
半円型の会議机について、上座に聖が座り、その横の席には俊介と本堂が控える。
定例会とは、月に一度こうして会社内部の問題を改善するために、各部署の役職者を集めて寄せられた意見について話し合うための場だ。以前は正義が出席していたが、今後は聖が代わりに出席することになった。
こういう会議が現実意味を成しているかは考えるまでもない。
定例会議というだけあって皆顔なじみだ。話すことは大体同じで、正直俊介から見ても意味のある時間とは思えなかった。
こういう会議に限って議題を解消できないから本当に無駄だ。話を聞きながら、俊介は内心呆れていた。
聖も同じことを考えているのだろう。話を議題に戻したいが、聖も入社ばかりで周りは年上しかいない状況だ。自分ばかり意見することに気が引けているのか、それを口にするタイミングを伺っているようだった。
どうしたものかと思っていた時だった。
「企画部の議題がまだのはずだが」
中年達の話し声の中、本堂の声がピシャリとそれを割った。
一瞬間が空いて、すぐにその内の一人が「ああ、そうだったな!」と話を元に戻した。
本堂がフンと鼻を鳴らして、誰にも聞こえないよう小さく「くそじじい共が」と言った。
それを聞いたのは俊介だけではなかったようだ。ちらりと横を向くと、聖が笑いをこらえていた。
本堂は補佐になる前は営業だったが、優秀な社員だから会議でも発言力があるのだろう。まだ若い本堂の言うことをこんな歳上が聞くのは圧倒的な実力差があるからだ。
俊介は少しだけ本堂を見直した。意外と、いい奴なのかもしれない。
ようやく会議が終わり、会議室からわらわらと役職者達が出て行く。
いつもの三人になると、聖は深い溜息をついた。気を使って疲れたのだろう。
「聖、疲れてないか?」
「一時間ぽっちの会議で疲れたなんて言ってられないわ」
聖はよし、と勢いよく席を立つと、また資料と睨めっこしながら部屋を出ていった。
俊介は本堂の方をちらりと見た。目線がかち合うと、本堂はじろりと視線を厳しいものに変えた。
「なんだよ」
「お前が助け舟を出すとは思わなかった」
「別にそんなんじゃねえ。あのくそじじい達がうるせえから話を進めただけだ。それとも、お前は俺が聖を助けたことにヤキモチでも妬いてんのか?」
「……っそんなわけがないだろう。俺は秘書だ。間違ってもそんなことはしない」
「ふん、じゃあ俺が聖を口説いても妬かねえんだな? そりゃ見物だ」
「はあ!?」
「そういうことだろ。従順な執事で秘書の『俊介』なら」
俊介は思い切り本堂を睨みつけた。前言撤回だ。本堂はまったくいい奴ではない。
なぜ本堂はこうも挑発してくるのだろう。安易な挑発は争いこそ産むが、意味などない。
聖を口説くというのは本気なのだろうか。以前にも本堂はこんなことを言っていた。一体何のためなのだろう。
どう見たって本堂が本気で聖のことが好きなようには思えなかった。
「本堂、お前本気で聖のことが好きなのか?」
「そうだって言ったら?」
本堂は相変わらず人を食ったような目をしている。いつものことだが、今日はこと更に腹が立った。
「はっ……冗談も大概にしてくれ。お前のどこが聖を好きに見えるんだ」
「なんでも態度に出るとは限らねえだろ」
「何が目的だ? 藤宮グループの財産か? それとも聖に取り入って重役の座が欲しいのか?」
「酷い言われようだな」
「お前が真剣に聖を好きなわけがない!」
「何の不都合がある? 藤宮グループさえでかくなればお前らは何だっていいんだろ?」
「ふざけるな! 二度と……そんなふうに聖に近づくな!」
俊介は思わず腹が立って机を叩いた。
本堂はそんな自分すら冷静に見ていてそれが更に怒りを掻き立てた。
「過保護な奴だな」
「過保護で結構だ! 俺は聖を守るって決めたんだ! お前みたいな奴が何人いるか……っ」
聖は小さい頃から常に人に囲まれていた。それらのほとんどが、藤宮に媚を売るための打算的なものだと知ったのは、大きくなってからのことだ。
小さい頃の聖は、遊び相手もたくさんいた。放っておいても周りが勝手に寄ってきた。
だが、それは大人達による策略的なものだった。
寄ってくる大人は「聖に良くしておけば何かあるだろう」と考えていた。寄ってくる子供は大人の入れ知恵を受けたスパイのような存在で、仲良くなってあわよくばという考え方の人間ばかりだった。
それと同じで、ほとんどの男は聖の後ろにある「藤宮グループ」に目が眩んで寄ってくる。
聖が何度も告白されたことがあるのは知っていた。それが両手で収まる数じゃないことも知っていた。そして、それが本気の告白でないことも────。
告白を受けたあとの聖の落胆ぶりは言うまでもなかった。
聖は小さい頃から人に囲まれているせいか、人の表情や感情を読み取るのもうまい。だから自分が考えていることも、なんとなくで分かってくれる。他の人間の事も。
本気で好かれているわけではない────。それくらいのことを読み取るのは容易いことなのだろう。
いつかどこかの御曹司に求婚された時も、寂しげな目をして聖は言っていた。
『ねえ、俊介。私のこと本気で好きな人って現れるのかな』
『……さあな』
『私のこと本気で好きになって、一緒に笑ってくれて、叱って、悲しんでくれる人がいたらいいのにな』
『いつか……現れるさ。まだお前も子供だろ?』
『そうだね、大人になったら現れるかもしれないね』
その時、聖は頼りなく笑っていた。
そのいつかは、大人になればなるほど遠くなることを……分かっていたはずなのに。
思っていた通り、大人になってそれは顕著になるだけだった。
パーティに行けばエスコートする相手は溢れるほどいたが、聖はどれも拒否して自分を側につけた。
思えば、聖が自分を専属執事にしたのは、気心知れた人間をそばに置きたかったからかもしれない。
『執事』をいうクッションを挟んでおけば、直接誘われることは少なくなった。それでも、根本的には何も解決していなかったが────。
聖は打算的な目を見抜く。それなのに、なぜ本堂を家庭教師にし、気に入ったのか理解できなかった。
証拠も何もないが、本堂が何か企んでいることは分かる。聖だってそれくらい分かっているはずだ。
それなのに聖は本堂といると楽しそうで、いつもより数割り増しの笑顔を見せる。
内心ショックだった。それはある意味、本堂の言う通り嫉妬なのかもしれない。聖の笑顔を見れるのは、自分だけだと思っていたから、他の人間が入ってくることが嫌だった。
「本堂、お前が聖のことをどう思おうが俺は許さない。聖を傷つけるつもりなら俺にだって考えがある」
「まだ何もしてねえのにそんなこと出来んのか?」
「俺だって伊達に執事を何年もやってない。頭脳はお前に負けても……出来ることはある」
「なんでお前はそんなにあいつのことを庇う? あいつの何がいいんだ?」
「そんなこと……見てれば分かるさ」
俊介は五歳の時からずっと聖のそばにいた。
小さな小さな聖はまるで妹みたいに可愛くて、自分が守ってやるんだと思っていた。
優しくて、思いやりがあって、自分が無茶をするといつも心配してくれた。おてんばで木にだって登るし、家人に内緒で屋敷の中に隠れ家を作ったこともあった。
元気で快活なお姫様、それが聖だった。
そんなお姫様が幻のように消えていったのは、いつ頃だっただろうか。
物心つき始めた頃から、聖は次期当主としての教育のために朝から晩まで縛られた生活を送るようになった。一人で行動できなくて、常に誰かがそばにいた。
食べるもの、着るもの、住む場所、使う物の全てを決められたレールの上で生活しなければならなかった。それは、成長するにつれて酷くなるばかりだった。
幸い、藤宮家から申し出があり、俊介は聖の専属執事としてそばにいられることになった。
だが、そばで見れば見るほど聖は孤独で、まるで綺麗なショーケースに飾られたお人形のようだった。
聖は両親の望む跡取りになろうと必死で、昼夜問わず机にかじりついて勉強していた。
聖は決して天才ではない。ただがむしゃらに努力してそこにたどり着いただけだ。
表面上はそうじゃないように振舞ってはいるだけで、聖は努力家だ。そうしなければ自分の居場所が保てないから、努力するしかなかった。
そうして藤宮に相応しくあろうとあらゆる習い事をこなし、まさにパーフェクトなお嬢様になった。
だが、聖は変わった。辛い、とかしんどいとか、そんなことは一切口にしなくなった。言えなかったのだろう。言っても無駄だと分かっているから。
だからこそ、俊介は聖の荷物が少しでも軽くなるよう努めてきた。
自分がしんどくても他人を優先できるのが聖の美徳だ。それはきっと、誰よりも辛い思いをしてきたからこそ、人の辛さも分かるのだろう。
聖は他人のために笑う。だが、他人は決して────聖のために笑うわけではない。
聖の心が潰されそうになっている時に、少しでも力になりたかった。しんどい時はそばにいて、辛くなったら慰めようと思っていた。
聖がそう口で言わなくても、求めなくても、自分だけは分かってやりたかった。それが「執事」として聖のそばにいることを選んだ自分の仕事でもある。
「俺の家は藤宮家に仕えて長いんだ。俺が進言すればお前の地位だって危ういぞ」
「それがなんだ? 生憎俺は地位だとか権力なんかには興味ねえ」
本堂は不敵な笑みを浮かべて俊介を見つめた。俊介も負けじと睨み返した。
相変わらず、本堂の目的がわからなかった。だが、間違いなく本堂が自分の敵だということは分かる。
「もう、行くぞ。聖が変に思う」
「お前が先に始めたんだろ」
「本堂、もう一度言うぞ。おかしな真似をしたら許さない」
席を立って、会議室を後にした。
本堂は、まるで化けの皮を被った狐だ。あんな人間でも正義の信用を得られるのだから、世の中どうかしている。