とある企業の恋愛事情 -ある社長令嬢と家庭教師の場合-
かなりの日数を要したが、ようやく全ての資料がまとまった。
それから聖がまず最初にしたことは、自身の父親、正義に会いに行くことだった。
やがて話を終えたのか、聖は執務室に帰ってくると、達成感に満ちた顔をしていた。そしてすぐにまた執務室へ戻った。
その話の内容が分かったのは、聖が出した社内通達を見てからだった。
本堂は人事異動の詳細が書かれたそれを見て驚いた。
降格、昇進、異動────基本的には本社内でのことだ。正義に会いに行ったのはこのことに許可を得るために違いない。
────なんで今更人事異動なんだ?
だが、異動は今期の初めにしたばかりだ。それから数ヶ月しか経っていない。だから今やる意味がわからなかった。
リストに書かれたものの名前を確かめて、そのフロアへ向かった。
降格した社員は青ざめたり目に見えて落ち込んでいたからすぐに分かった。
一方、昇進した者は戸惑ってるふうだった。その社員達を見て、本堂は更に首を傾げた。
「どうしてだ! 業績も上がっているのに!」
そのうちの一人が文句を言っていた。
確かにここ数年黒字が続いていて、特別なことがなければ降格する理由もない。不可解だ。みな、そう思っているのだろう。納得いっていない社員もいるようだった。
その判断に疑問を持って、本堂は執務室へ向かった。
そこには既に数人社員が来ていて、青葉に取次を願い出ている最中だった。
「おい、青葉」
「ああ……本堂か。さっきからずっとこんななんだ。お前も応対してくれ」
「聖は?」
「あっちで対応してる」
俊介は執務室の方を見つめた。
本堂は秘書室を出て聖のいる執務室前まで来た。
中からうっすら聞こえてくる会話に聞き耳を立てた。若い男の声がする。それと、聖の声だ。
『どうして僕が昇進なんですか? 僕みたいな平社員にいきなりチーフなんて無理です』
目の前にいる次期社長に萎縮しているのか、声は不安げに言葉を紡ぐ。その男を勇気付けるように、聖の声が響いた。
『あなたが優秀だからです。ちゃんと数字にも出ています』
『そんな……僕より優秀な人はたくさんいます! 僕なんてずっと成績も良くなくて……利益だって出せてませんし……』
『上司に気を使う必要はありません』
『え?』
『わざわざ成績を譲ってまで歳上をたてる必要はないと言っているんです』
『……どうして』
『見てれば分かるものです』
中から聞こえてくる会話は予想外のものだった。
会話の内容は事情を知らない本堂にも理解できた。
改めて思い返せば────降格した社員は確かに有能だが、周りにいい影響を与えているとは言い難かった。本堂も扱いに困っていたややこしいお局社員から、役職者であることを盾に部下に横柄な態度をとり続ける社員もいた。
だが、それを処理することは難しい。誰も言えないから、何も起きない。現状も変わらない。それがずっと続いていた。
『長いことあなたの実力に気が付かなかったのは会社の落ち度です。申し訳ないことをしました』
『い、いえ……。そんな、藤宮補佐が謝ることなんて……』
『不都合なことがあれば意見書を提出してください。きちんと詮議して検討します。これからは我慢しないで何でも言って欲しいんです。上司の不満も含めて』
その時はっきりと理解した。聖はこのために調査をしたのだ、と。恐らく聖は、あの会議に参加した時からおかしいと思っていたのだ。いや、それ以前からか────。
父親の正義では気が付かなかったようなことをやってのけられたのは、聖が若く、会社に入って間もないからだ。社内の事情に気が付いて、それをどうにかしようと思ったのだろう。
だが、なぜ聖がそんなことを気にする必要があるだろう。聖はこの会社において実質、ナンバー2だ。
こんなことする人間じゃないと誰もが思っているはずだ。聖はお嬢様育ちで、一般人のことなんか興味もない、と。
本堂はドアの向こうから聞こえてくる声がいつもよりずっと優しかったことに気が付いた。畏縮する社員を優しく諭していた。
それは自分の知らない聖だった。
それから聖がまず最初にしたことは、自身の父親、正義に会いに行くことだった。
やがて話を終えたのか、聖は執務室に帰ってくると、達成感に満ちた顔をしていた。そしてすぐにまた執務室へ戻った。
その話の内容が分かったのは、聖が出した社内通達を見てからだった。
本堂は人事異動の詳細が書かれたそれを見て驚いた。
降格、昇進、異動────基本的には本社内でのことだ。正義に会いに行ったのはこのことに許可を得るために違いない。
────なんで今更人事異動なんだ?
だが、異動は今期の初めにしたばかりだ。それから数ヶ月しか経っていない。だから今やる意味がわからなかった。
リストに書かれたものの名前を確かめて、そのフロアへ向かった。
降格した社員は青ざめたり目に見えて落ち込んでいたからすぐに分かった。
一方、昇進した者は戸惑ってるふうだった。その社員達を見て、本堂は更に首を傾げた。
「どうしてだ! 業績も上がっているのに!」
そのうちの一人が文句を言っていた。
確かにここ数年黒字が続いていて、特別なことがなければ降格する理由もない。不可解だ。みな、そう思っているのだろう。納得いっていない社員もいるようだった。
その判断に疑問を持って、本堂は執務室へ向かった。
そこには既に数人社員が来ていて、青葉に取次を願い出ている最中だった。
「おい、青葉」
「ああ……本堂か。さっきからずっとこんななんだ。お前も応対してくれ」
「聖は?」
「あっちで対応してる」
俊介は執務室の方を見つめた。
本堂は秘書室を出て聖のいる執務室前まで来た。
中からうっすら聞こえてくる会話に聞き耳を立てた。若い男の声がする。それと、聖の声だ。
『どうして僕が昇進なんですか? 僕みたいな平社員にいきなりチーフなんて無理です』
目の前にいる次期社長に萎縮しているのか、声は不安げに言葉を紡ぐ。その男を勇気付けるように、聖の声が響いた。
『あなたが優秀だからです。ちゃんと数字にも出ています』
『そんな……僕より優秀な人はたくさんいます! 僕なんてずっと成績も良くなくて……利益だって出せてませんし……』
『上司に気を使う必要はありません』
『え?』
『わざわざ成績を譲ってまで歳上をたてる必要はないと言っているんです』
『……どうして』
『見てれば分かるものです』
中から聞こえてくる会話は予想外のものだった。
会話の内容は事情を知らない本堂にも理解できた。
改めて思い返せば────降格した社員は確かに有能だが、周りにいい影響を与えているとは言い難かった。本堂も扱いに困っていたややこしいお局社員から、役職者であることを盾に部下に横柄な態度をとり続ける社員もいた。
だが、それを処理することは難しい。誰も言えないから、何も起きない。現状も変わらない。それがずっと続いていた。
『長いことあなたの実力に気が付かなかったのは会社の落ち度です。申し訳ないことをしました』
『い、いえ……。そんな、藤宮補佐が謝ることなんて……』
『不都合なことがあれば意見書を提出してください。きちんと詮議して検討します。これからは我慢しないで何でも言って欲しいんです。上司の不満も含めて』
その時はっきりと理解した。聖はこのために調査をしたのだ、と。恐らく聖は、あの会議に参加した時からおかしいと思っていたのだ。いや、それ以前からか────。
父親の正義では気が付かなかったようなことをやってのけられたのは、聖が若く、会社に入って間もないからだ。社内の事情に気が付いて、それをどうにかしようと思ったのだろう。
だが、なぜ聖がそんなことを気にする必要があるだろう。聖はこの会社において実質、ナンバー2だ。
こんなことする人間じゃないと誰もが思っているはずだ。聖はお嬢様育ちで、一般人のことなんか興味もない、と。
本堂はドアの向こうから聞こえてくる声がいつもよりずっと優しかったことに気が付いた。畏縮する社員を優しく諭していた。
それは自分の知らない聖だった。