とある企業の恋愛事情 -ある社長令嬢と家庭教師の場合-
招待状に書かれたその日、本堂は久しぶりに藤宮邸に訪れた。
藤宮邸の広いエントランスには、既に高級外車がいくつも駐まっている。
正装した招待客が中へとぞろぞろ入って行くのが見えた。
本堂は改めてここがそういう家だと理解した。タクシーでここまで来たと言ったらきっと笑い者になるかもしれない。
警備員に招待状を見せて中へを入ると、エントランスのそこら中に今日届いたと思われる花が飾ってあった。まるで店でもオープンしたのかと言うほどスタンド花や胡蝶蘭が所狭しと並べられている。
むせ返りそうな花の匂いに思わず息を止めた。花には政治家の名前やスポーツ選手、名の知れた企業の札がついていた。見覚えのある名前ばかりだと思ったら、藤宮グループの取引先だ。
使用人に荷物を預け、会場になっているホールへ向かう。
家庭教師をしていた時は来ることのなかった部屋だ。いや、部屋と呼べる広さだろうか。広間といったほうが正しいかもしれない。
高い天井には豪華なシャンデリア、一面ペルシャ絨毯の床。会場は立食式で、まるで結婚披露宴のように円卓テーブルが並べられている。
その上にはシックな色合いのテーブルクロスが敷かれ、真っ赤なバラをメインにしたフラワーアレンジを中心に様々なオードブルやワイン、シャンパンが置かれていた。
招待客はほとんど皆知り合いなのか、愉快に談笑している。本堂はその中にいるであろう知った人間──青葉と聖を探した。
パーティがまだ始まっていないためか、聖はいないようだ。
青葉は近くで使用人に指示を出していたのですぐに見つかった。タキシードを着ていたが、執事の時も似たような制服を着ていたからあまり代わり映えしない。
「おい、青葉。来てやったぞ」
「ああ、本堂か……悪いな、俺はちょっと指示を出さなきゃならないんだ」
「別に子供じゃねえんだから一人で十分だ」
「もう少し待ってくれ、聖も準備に手間取っててな」
「部屋にいるのか?」
「着替えてる最中だろう」
知り合いが一人もいないパーティに来るのは至極退屈だ。しかも周りの人間は全員住む世界が違って、話も合うわけがないし、合わせる気もない。
本当は藤宮のことを調べるつもりだったが、あまりにも退屈であまりにも馬鹿馬鹿しい会話をしている人間といるのが面倒になってきて、本堂はテラス席へ出ることにした。
テラス席は会場を出てすぐ、中庭に面した場所に用意されていたが、寒いからか外に出る人間はあまりいない。
中庭はキャンドルで綺麗に飾り付けられていて、整えられたイギリス庭園を思わせる植え込みに光が反射して幻想的だ。
しばらくそこで時間を潰していると、両手にシャンパンを持った青葉が来て片方を本堂に渡した。
「今日は一応パーティだから飲んでもいいことになってるんだ」
「そりゃどーも」
「お前もちゃんと正装すれば良いところの坊ちゃんに見えるな」
「誰がだ。ふざけんな」
「パーティはどうだ? って言っても、俺らには話すような相手もいないけどな」
「ドブにはまってた方がマシだな」
「そう腐るな。そういう世界だ」
「お前聖の幼馴染とか言ってたが、こんなところにいてよく正気でいられるな。俺なら一時間で出て行くぞ」
「俺の家は藤宮家が創業した時からずっと従者として仕えてるんだ。慣れだな」
「慣れるもんなのか」
「そうしなきゃ、聖のそばにはいられなかったんだ。だから……」
「青葉、お前──」
本堂の話を遮るように照明が暗くなって、会場の扉にスポットライトが当てられた。
そこから聖と正義、澄子が出てくると、会場は拍手に包まれた。
おめでとうございますと、声を掛けられながら聖は会場の上座へ行ってマイクを握った。
「皆様、本日は私の誕生パーティにいらして下さってどうもありがとう。私も本日でようやく二十三歳になり、社会人として忙しくも充実した日々を送っております。早く藤宮家を継げるように、家と共に精進して参りたいと思いますので、皆様今後ともどうぞよろしくお願いいたします。ささやかなおもてなしですが、どうぞ楽しんで行ってくださいね」
聖がにっこりと笑うと、また会場から拍手が沸いた。その表情はいつかの創立記念パーティで見たあの顔だった。笑っているのに、ぎこちない。どこか固い笑顔。
いつもの雰囲気と違うのはその表情のせいなのか、身なりのせいなのか分からない。
聖が着ている真っ赤なドレスは会場に飾られたバラのように華やかだ。身につけている宝石はきっと何千万もするのだろう。一目見て、それが高い買い物だということは一般家庭で育った本堂にも分かった。
美しいドレスや宝石は女性の憧れだと聞くし、現に会場にいる女性達は、聖のドレスに見とれている。
なのにそれを身に纏っている聖は────霞んでしまうほど儚い笑顔だった。
本堂はまるで胸を掴まれたように苦しくなった。いつも見ている、あの優しい、元気な聖はどこに行ったのか。
しばらくそこからそんな聖を眺めていた。
聖がまるで遠い国のお姫様のようで、近付くことなんてできなかった。
藤宮邸の広いエントランスには、既に高級外車がいくつも駐まっている。
正装した招待客が中へとぞろぞろ入って行くのが見えた。
本堂は改めてここがそういう家だと理解した。タクシーでここまで来たと言ったらきっと笑い者になるかもしれない。
警備員に招待状を見せて中へを入ると、エントランスのそこら中に今日届いたと思われる花が飾ってあった。まるで店でもオープンしたのかと言うほどスタンド花や胡蝶蘭が所狭しと並べられている。
むせ返りそうな花の匂いに思わず息を止めた。花には政治家の名前やスポーツ選手、名の知れた企業の札がついていた。見覚えのある名前ばかりだと思ったら、藤宮グループの取引先だ。
使用人に荷物を預け、会場になっているホールへ向かう。
家庭教師をしていた時は来ることのなかった部屋だ。いや、部屋と呼べる広さだろうか。広間といったほうが正しいかもしれない。
高い天井には豪華なシャンデリア、一面ペルシャ絨毯の床。会場は立食式で、まるで結婚披露宴のように円卓テーブルが並べられている。
その上にはシックな色合いのテーブルクロスが敷かれ、真っ赤なバラをメインにしたフラワーアレンジを中心に様々なオードブルやワイン、シャンパンが置かれていた。
招待客はほとんど皆知り合いなのか、愉快に談笑している。本堂はその中にいるであろう知った人間──青葉と聖を探した。
パーティがまだ始まっていないためか、聖はいないようだ。
青葉は近くで使用人に指示を出していたのですぐに見つかった。タキシードを着ていたが、執事の時も似たような制服を着ていたからあまり代わり映えしない。
「おい、青葉。来てやったぞ」
「ああ、本堂か……悪いな、俺はちょっと指示を出さなきゃならないんだ」
「別に子供じゃねえんだから一人で十分だ」
「もう少し待ってくれ、聖も準備に手間取っててな」
「部屋にいるのか?」
「着替えてる最中だろう」
知り合いが一人もいないパーティに来るのは至極退屈だ。しかも周りの人間は全員住む世界が違って、話も合うわけがないし、合わせる気もない。
本当は藤宮のことを調べるつもりだったが、あまりにも退屈であまりにも馬鹿馬鹿しい会話をしている人間といるのが面倒になってきて、本堂はテラス席へ出ることにした。
テラス席は会場を出てすぐ、中庭に面した場所に用意されていたが、寒いからか外に出る人間はあまりいない。
中庭はキャンドルで綺麗に飾り付けられていて、整えられたイギリス庭園を思わせる植え込みに光が反射して幻想的だ。
しばらくそこで時間を潰していると、両手にシャンパンを持った青葉が来て片方を本堂に渡した。
「今日は一応パーティだから飲んでもいいことになってるんだ」
「そりゃどーも」
「お前もちゃんと正装すれば良いところの坊ちゃんに見えるな」
「誰がだ。ふざけんな」
「パーティはどうだ? って言っても、俺らには話すような相手もいないけどな」
「ドブにはまってた方がマシだな」
「そう腐るな。そういう世界だ」
「お前聖の幼馴染とか言ってたが、こんなところにいてよく正気でいられるな。俺なら一時間で出て行くぞ」
「俺の家は藤宮家が創業した時からずっと従者として仕えてるんだ。慣れだな」
「慣れるもんなのか」
「そうしなきゃ、聖のそばにはいられなかったんだ。だから……」
「青葉、お前──」
本堂の話を遮るように照明が暗くなって、会場の扉にスポットライトが当てられた。
そこから聖と正義、澄子が出てくると、会場は拍手に包まれた。
おめでとうございますと、声を掛けられながら聖は会場の上座へ行ってマイクを握った。
「皆様、本日は私の誕生パーティにいらして下さってどうもありがとう。私も本日でようやく二十三歳になり、社会人として忙しくも充実した日々を送っております。早く藤宮家を継げるように、家と共に精進して参りたいと思いますので、皆様今後ともどうぞよろしくお願いいたします。ささやかなおもてなしですが、どうぞ楽しんで行ってくださいね」
聖がにっこりと笑うと、また会場から拍手が沸いた。その表情はいつかの創立記念パーティで見たあの顔だった。笑っているのに、ぎこちない。どこか固い笑顔。
いつもの雰囲気と違うのはその表情のせいなのか、身なりのせいなのか分からない。
聖が着ている真っ赤なドレスは会場に飾られたバラのように華やかだ。身につけている宝石はきっと何千万もするのだろう。一目見て、それが高い買い物だということは一般家庭で育った本堂にも分かった。
美しいドレスや宝石は女性の憧れだと聞くし、現に会場にいる女性達は、聖のドレスに見とれている。
なのにそれを身に纏っている聖は────霞んでしまうほど儚い笑顔だった。
本堂はまるで胸を掴まれたように苦しくなった。いつも見ている、あの優しい、元気な聖はどこに行ったのか。
しばらくそこからそんな聖を眺めていた。
聖がまるで遠い国のお姫様のようで、近付くことなんてできなかった。