とある企業の恋愛事情 -ある社長令嬢と家庭教師の場合-

 聖はいつまでも人に囲まれていて、なかなか話しかける隙がない。

 その間ずっとあの笑顔を絶やさず、一人一人と話してプレゼントを受け取り、また別の人間と話すのを繰り返した。

 遠巻きにそんな聖を見ながら、横にいる青葉が呟いた。

「聖はな、藤宮家っていうブランドのサンプルなんだ。小さな頃からずっとああやって人と関わってきてる。聖が望まなくても、周りはそう望む」

 そんな説明をわざわざしたのは、聖を見ていて不憫に思ったからなのかもしれない。

 だが、本堂は意外に思った。青葉は忠実な従者だ。仕えている家を貶めるようなことは言わないだろうと思っていた。
 
「嫌なら放り出せばいいだろ」

「不可能だ。藤宮グループの当主になる人間が嫌だから、そんな理由で何千人もの社員を路頭に迷わせることなんて出来るわけない。聖なら尚更そう思うだろう」

 分かっていたのだろう。今まで従ってきた堅苦しい家だ。逃れられないと分かっているから何も言わずその席に落ち着いている。まるで何かに駆られるように、自分を追い詰めるように仕事をする。

「家庭教師を何度も入れ替えてたのはな、気に入らない……それもあったが、時間が欲しかったんだ。何もしなくてもいい時間が、聖には一分だってない。ほんの小休憩のために、俺も少しは誤魔化すのを手伝っていたが……」

「……だから、あんなにコロコロ家庭教師が入れ替わってたのか。そんなことしてるから会社じゃ聖がワガママ娘って噂が立ってたんだぞ」

「そんなことでもしなきゃ、時間なんて作れなかったんだ。スケジュールを作ってたのは俺だが……そう指示したのはあの人達だからな」

 青葉の視線の先には政治家に囲まれて談笑している正義と澄子がいた。それを見ると、ふつふつと怒りのような感情が湧いた。

 聖と彼らは実に対称的な親子だ。今日が誕生日の娘よりも、両親の方が嬉しそうに見える。娘の顔は作られた笑顔で死んでいるのに、笑っていた。

「無理してるって、見たらわかるだろ? あいつはいつも外に出るとあんなで、必死なんだ。藤宮としての役割を果たそうといつも一所懸命なんだよ……」

「……お前、気付いてたのか」

「伊達に何年も幼馴染やってないからな。聖が言わなくたって、俺だけは分かってやらなきゃならないんだ。だから俺は執事として聖のそばにいることに決めた」

 金持ちの世界なんて想像でしか分からない。

 一般家庭で育ってきた自分からしてみれば、贅沢ばかりして他人に興味がない連中──そんなイメージだった。実際ここにいるほとんどがそうなのだろう。

 たまたま、聖がそうじゃないだけで────。

「けど、跡を継げば多少は自由になるんじゃねえのか。あの狸さえいなくなればあいつだってまだ……」

「甘い。そんな簡単に抜け出せると思うな」

 青葉は即座に否定した。

「藤宮家に生まれたってことは、死ぬまで走るレールが決まってる。当主になったってやることは同じだ。女のあいつが家を守るためにしなきゃいけないことくらいお前だってわかるだろ」

 藤宮家は世襲制だ。となれば、聖がすることは決まっている。

 当主になれば、いや、ならなくても結婚しなければならないし、子供も産まなければならないだろう。そしてそれが自分の選んだ相手じゃないということも、想像がつく。

 本堂は想像して反吐が出そうになった。

「数えてみろよ、聖に何人男が近付いてくるか」

 皮肉っぽくそう言った青葉の目線の先には、聖に群がる何人かの男がいた。

 いかにもな御曹司たちに囲まれて、聖はちっとも嬉しくなさそうだ。もっとも、他人には分からないのだろうが。

 大きな花束を渡されて笑顔で受け取ってはいるが、聖の顔は引きつっている。男の容姿は金は持っていそうな身なりだが、お世辞にも男前とは言い難い。

 頭に「馬子にも衣装」という言葉が思い浮かんだ。確かに、あんな男と結婚なんて冗談ではない。

「聖には何人か婚約者候補がいてな。どいつもコイツも藤宮グループに相応しい血筋と金を持ったお坊ちゃんだ」

 青葉は苛立った様子で言った。あの真面目な青葉がここまで口汚く言うのだ。相当腹が立っているに違いない。

 青葉は普段それを言う相手がいないのだろう。だから普段仲の悪い自分に言ったのかもしれない。

 自分には誰を見たって同じに見えるが、よく見れば多少なりとも品のある男はいる。先程の不細工に比べたらマシな顔で、あの正義(タヌキ)が気に入りそうなブランド顔だ。

 一瞬その男が聖を抱く瞬間を想像して、嫌悪感が湧いた。

「……だからお前は聖に言わねぇのか?」

「俺は元々従者の家系だ。間違ってもそんな立場にはなれないって嫌ってほど理解してる。だからこそ執事になった」

「そんなもん言ってみなきゃわかんねえだろ」

「どっちにしろ聖は人の好意なんて信じない。ここには誰一人として聖のことを祝いに来たやつなんていない。本当の意味であいつを好きになってくれたやつなんて一人もいないんだ。近付いてくるのは利用しようとかゴマを擦ってくる奴らばかりさ。お前だって想像つくだろ」

 本堂の頭に真っ先に思い浮かんだのは、会社で必死にゴマをする役職者の姿だった。小さな頃からそんな人間に囲まれていれば、たしかに人間不信にもなるだろう。だからこそ、聖は今笑顔を失っているのだ。

 会社で暗い表情をしていた聖は、きっとこのことを考えていたのかもしれない。

 以前一緒に公園に行った時、聖が言ったことを思い出した。

『はじめさんはあの中で唯一、本気の感情を向けてくれる人だからね』

 能面を貼り付けた人間達の中で唯一、自分だけが違うと言った。

 聖はきっと、お為ごかしのために近づく人間達の中で自分が唯一違う態度で接したからそう思ったのだろう。だから、自分をそばに置いたのだろうか。

 だがそれは聖の勘違いだ。自分も嘘を吐いている。

 本当は自分のために近付いた。復讐のために。藤宮を潰すために。

 それでも聖はこんな自分が必要だったのだろうか。
 
 こんな薄汚い世界で正気を保つために、復讐で真っ黒に染まった自分をそばに置いたのは。優しい笑顔を見せてくれたのは、どうしてなのだろう。
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