とある企業の恋愛事情 -ある社長令嬢と家庭教師の場合-
 この日、聖は正義の代理である病院の開院記念パーティに訪れていた。

 会場は大いに賑わっている。ホテルの広間を貸し切って、医療界の重鎮が軒並み顔を揃えていた。都内の一等地に建つその病院に多額の融資をした者たちだ。

 無論、招待されている聖もその融資をしたものの一人だった。

「皆様本日はお越しいただき誠に有り難うございます。医院長の生杉慶治でございます。我が病院は────」

 スピーカーから聞こえてくる挨拶はとても退屈なものだ。

 ────夜になれば、あの家庭教師の人に会える。

 それだけが楽しみだ。

 折角来たのだから料理だけでも堪能したいところだが、こんな席でガツガツ食事するわけにもいかない。

 会場のテーブルには豪華な食事が揃えられていたが、どの料理もほとんど手つかずで、招待客はグラスを持って談笑することに熱中していた。

 退屈な場だが、藤宮グループの顔としてやるべきことがあった。

 次期跡取りはこういう場で顔を広めておかなければならないのだと、常々正義から言われている。早速大人たちに混じってビジネスの話を始めた。

 話していると、スーツを着た六十代ぐらいの男が数人寄ってきた。

 パーティで何度か顔を合わせたことがある藤宮グループの傘下の子会社の人間だ。確か医療機器を扱う会社だった。

 子会社といっても、かなりの大きな会社だが、藤宮グループに比べれば大概の会社は中小企業扱いになる。

 聖は表情をさっと切り替えて外向けの笑顔を作った。

「藤宮様、お久しぶりでございます。今日は正義様がいらっしゃると伺っておりましたが……」

「ええ。父は急用ができてしまったので、代わりに私が参りました」

「さようですか。すっかり頼もしくなられましたな」

「まだ勉強中の身です。父にはまだまだ遠く及びません」

 聖にとって、パーティは数ある嫌いなものの中で五本指にランクインするぐらい嫌な行事だった。

 貰いたくもない名刺を山ほど持って帰らなくてはいけないし、お世辞の言い合いにも飽きた。

 基本的にへこへこされる側の立場だからまだマシなのだろうが、大人達の嘘を聞いているとよくもまあこんなにポンポン思いつくものだと呆れてくる。

 パーティの主催者に挨拶を済ませた聖は、予定よりも早く会場を出た。

 これ以上ここですることはない。疲れたのもあるが、億劫になっていた。

 ここでは誰も本音を言わない。心の中では何を考えているかまったく分からない。

 それでもおおよそのことは分かっている。

 ライバル企業は「藤宮がいなくなればうちがのし上れるのに」と思っているだろうし、中小企業は「ゴマをすっておこう」、「気に入られておこう」とか考えているに違いない。

 正義も澄子もいつも大勢に囲まれているが、それは表面上だけだ。人望ではなく、権力だった。

 もちろんそれは二人も分かっているはずだ。分かっていて利用する、割り切った関係がビジネスでは大切だ。

 ここはそういう世界だった。


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