とある企業の恋愛事情 -ある社長令嬢と家庭教師の場合-
 聖は真っ赤になった自分の体を上から下に眺めた。

 用意された真っ赤なドレスは、赤いバラをイメージしているのだと澄子から聞いた。今日の会場の装飾に飾られているのも、赤いバラだそうだ。

 それに合わせたネックレスには大きな粒のルビーとガーネットをふんだんにあしらわれていて、値段は聞いていないが恐らく家が建つぐらいの値段だろう。

 澄子は張り切って選んだようだが、毎度ながら重いドレスと装飾品はとても窮屈で肩が凝る。

 大きな鏡の前に立ち、最終確認をした。シワや糸がほつれていないか使用人が入念に調べている。鏡に映った自分はこのままどこかに標本として飾られてしまうのではないか、そう思うほど着飾っていた。

「さすが、お嬢様は赤がよくお似合いですね」

 使用人のお世辞に微かに笑顔を返し、用意された靴に足を入れた。

 五センチほどの高さのパンプスは足にピッタリだが、どこにも走って行けなくてまるで逃げるなと言われているようだ。

 行きましょう、と促されて聖はようやく部屋を出た。

 エントランスの前には華やかなフラワーアレンジや胡蝶蘭が飾られている。まるで花屋のようだ。

 待ち構えてい正義と澄子が自分の姿を見てベタ褒めして、ホールへと一緒に向かう。

 自分もこの親と同じように見られるのは我慢ならなかったが、今更どうすることもできない。

 会場の扉の前に立ち、深呼吸する。早く、今日が終わりますように、と。そう願って扉を開けた。

 毎年のことだが、よくこれほど親しくもない人間の誕生日に駆けつけるものだ。知った顔ばかりだが、聖と親しい招待客など一人もいない。全て正義と澄子のビジネスパートナーや友人ばかりだ。

 スポットライトに照らされながら会場の上座へ行くと、使用人からマイクを受け取った。

 目の前にたくさん人間がいるが、誰が来ているかは確認しなかった。どうせいつもと同じ面子だからだ。

『藤宮聖』になりきって、凛々しく、賢く、快活に挨拶をした。自分に与えられた役割を演じきる。

 挨拶が終わると、群がるように人が寄ってきて祝辞の嵐。

 面倒だが、一つ一つ丁寧に返事して、プレゼントを受け取りながら使用人に手渡す。まるでベルトコンベアから流れてきたものを確認するように。

「本当に聖様は賢くなられましたな! いやぁ、藤宮グループの今後が楽しみだ!」

「聖様、本日はおめでとうございます。ささやかですがこれは私から……これからもどうぞよろしくお願い致します」

 誰も彼もが笑顔を浮かべ高価そうな箱を手渡し、最大の賛辞と祝辞を送るが、聖はその意味がわかっていた。このプレゼントは賄賂と同義だ。気に入られればおこぼれにあずかれると思っているやましい人間の。

 中身は毎年変わらなかった。宝石や、ブランド品。奮発するものはマンションや別荘なんかも用意した。もちろん、聖はそれらを使ったことは一度もない。

 周りにこんなに人がいるのに、誰一人として自分の誕生日を祝いに来た人はいないなんて滑稽だった。

 飾られた会場や、プレゼント、自分すらもまやかしだ。
 
 こんな物は愛されている証拠でもなんでもない。ただ、藤宮の面目を保つための措置なのだ。

 「みんなに愛される藤宮聖」を見て、正義も澄子も満足そうだ。それはそうだ。自分達が丹精込めて育ててきたお人形なのだから。

 それを見ていると、聖は自分の心にぽっかりと穴が空いているような気持ちになった。それは虚しいという感情なのかもしれない。

 今日でようやく二十三歳になったというのに喜びはかけらも無い。

 ────いつになれば自分は生まれたことを祝福してもらえるのだろうか。
 ────いつになれば本当に愛されるのだろうか。
 ────この無意味なやり取りはいつか終わるだろうか。

 自分の心に問いかけた。だが、答えは「NO」だ。きっと、一生続くのだろう。藤宮であり続ける限りは。



 聖はしばらく挨拶をしたあと、喉が渇いてシャンパンを手に取った。だが口を休めようとしたのも束の間、すぐに招待客の男二人が話し掛けてきた。

 正義が懇意にしている商社を経営する親子だ。息子の方は二十代と若い。聖はなんとなく嫌な予感がした。

「こんばんは、聖さん。誕生日おめでとうございます」

 息子の方から香水の香りがツン、と漂ってきた。聖は思わず口をキュッと引いたが、そのまま口角を上げて微笑んだ。

 男は持っていたきつい香りの百合とバラの花束を手渡した。花は嫌いではないが、キツイ匂いは好きではない。とりわけ、バラや百合は好きではなかった。

 というのも、こういった席で必ずといっていいほどバラと百合を渡されるからだ。

 自分のイメージなのか、決まったように皆それを用意してくるからこの花に対して苦手意識があった。聖はそれを受け取ると、すぐに使用人に手渡した。

「聖様は随分お美しくなられましたね。いかがです? うちの息子も随分立派になりました。未来の藤宮を支える良い戦力になると思いますよ」

 遠回しにうちの息子と結婚しろと言っているのだろう。それとも何か仕事を融通してくれ、ということだろうか。

 どちらにしろ、聖は打算的な人間は好きではない。あまりにも周りくどい言い方に、少し皮肉っぽく返した。

「そうですね、父が良いといえばなんなりと」

 正義は恐らく許さないと言うだろう。それはあの父親がハイブランドハイスペックを重要視する男だからだ。並の男では絶対に許可しないと分かっていた。正義は藤宮の血を汚さないためになら、娘だって道具にする。

 どちらにしろ、そこには愛などない。

 いつか、俊介に尋ねたことがあった。「私のことを本気で思ってくれる人が現れるか」、と。

 あの時は、大人になったらもしかしたらと思っていた。そんな夢みたいなことを考えていた。

 だが、大人になればなるほど、その夢が遠のいていって現実を思い知った。

 自分はお姫様のようだが、お姫様にはなれない。王子様も来ない。ガラスケースから一生出ることの出来ない惨めな人形なのだ。

 だからいつまで待ったところで、自分のことを本気で愛して、自分のために叱って、一緒に悲しんで、同じ幸せを分かち会える人など、現れることはない。

 聖は愛想笑いを返しながら、どんどん自分の心が冷え切っていくのを感じた。笑っているのに泣きたいのは、今日が初めてではなかった。
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