とある企業の恋愛事情 -ある社長令嬢と家庭教師の場合-
 パーティーが終盤になると、聖の周りから少し人が少なくなった。

 テラス席でタイミングを見計らっていた本堂と青葉は、ようやく聖に話しかけることができた。

 パーティが始まってすでに二時間近く経過していた。遅すぎる挨拶だが、他に人がいたので仕方ない。

「聖様」

 青葉が声を掛けると、聖はふっと振り返った。だがその表情は暗く、とても今日が誕生日の女性には見えない。

「遅くなりましたがお誕生日おめでとうございます」

「ありがとう」

 聖は笑ったが目は虚ろで、言葉には感情がこもっていない。まるで定型文を返しているように聞こえた。

「聖様、こちらの方々は?」

 近くにいた中年の男が青葉と本堂を見て興味深そうに聖に質問した。どこかの御曹司とでも思ったのだろう。

 本堂は頭の中でこの男の顔を探したが、記憶にない。恐らく正義の知人か誰かだろう。

「会社で私の秘書をしてくれている青葉と補佐をしてくれている本堂です」

「ほう、そうでしたか。てっきりどこかのご子息かと思いました」

 ────どこかの子息だったら媚びを売るつもりだったのかよ。

 明らかに期待が外れた態度をされて、本堂はカチンときたが、ここで怒るわけにもいかない。怒りを抑えていると、本堂の代わりに男を一瞥した聖がピシャリと答えた。

「彼らは将来私の右腕として働く優秀な部下です」

 無礼な態度は許さないと言わんばかりに聖は男を睨みつけた。

「さ、さようでございますか! やはり藤宮グループには優秀な社員がいるのですなあ」

 男は慌てて言葉を取り繕った。バツが悪くなったのだろう。そそくさとその場を去った。

 聖はまるで汚らわしいものでも見るような目で男がいなくなった方を見つめた。このパーティーで唯一、聖の瞳に感情らしいものが宿った瞬間だった。

 そんな聖に本堂もどう声をかけようか言葉を迷ったが、周りに人がいていつものようには出来なかった。

「聖………様。誕生日、おめでとうございます」

 ようやくそれだけ言ったが、それを聞いた聖の瞳は悲しそうに自分を見つめた。

 まるで失望したような、そんな瞳だ。何かとんでもないことをしてしまったのだと後悔したが遅かった。

 ありがとう、と震える声で絞り出すと、聖はその場を離れてしまった。

「聖…………」

 絶望と悲しみが混じったような暗い瞳。いつもの明るい聖ではなかった。

 そんなことは分かっていたはずだった。聖は唯一、自分のことを「そうじゃない人間」だと思っていたのに、そんなふうに接するべきではなかった。
 
 特にこんな日────聖の心が弱っている時に、どうして言ってしまったのだろう。

 そうしなければならない状況だったとはいえ、そうするべきじゃないことくらい、分かっていたはずだというのに。

「……本堂、気にするな。仕方ないさ」

「……別に気にしてなんかねえ」

「聖だって分かってる。それでお前を責めたりはしない。こんなに人がいたら……ああ言うしかないって分かってるさ」

 青葉は珍しく本堂を慰めた。だが、そうだとしても聖が唯一と言ってくれた自分がそこから外れたような気になって、どうしようもない後悔は消えなかった。

 そして深い後悔の中で、また矛盾に気付いた。

 また、聖のことを気遣っている。聖が傷つけばいいとそう願っていたはずなのに、聖を傷つけたことを後悔している。聖を傷つけるものに怒りが湧く。

 矛盾した感情で頭の中がぐちゃぐちゃだ。

 安っぽい慰めなんてなんの意味もなさないと分かっていても、追いかけて謝りたいと思ったのだ。前みたいに話すから許して欲しい、と。

 その細い肩を震わせて今頃泣いているのではないか。それとも我慢してまた笑顔を作っているのか。

 そんなことばかり考えていた。
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