とある企業の恋愛事情 -ある社長令嬢と家庭教師の場合-
 本堂のそんな表情を見て、聖はいたたまれなくなった。

 キツい態度を取っていることは百も承知だった。それでも会社を引っ張っていくためには、自分の優しささえも捨てなければならない。甘えていてはいけない。

 本堂の言う通り藤宮のことしか考えない統治者になったが、それが逆に本堂を追い詰めているなんて思いたくなかった。

 話しかけようとしていることも、謝ろうとしてくれていることも分かっていた。

 それでも無視しなければならなかったのは、自分の中にある一縷(いちる)の希望を壊したくなかったから。

 このまま憎んでいてくれれば、いつまでもそばにいてくれるかしれない。藤宮の跡取りとして憎まれるなら、いっそそうなってやろうと思った。

 そのことで本堂や俊介が苦しんでいることを気にしてはいけなかった。

 こんなふうになってもまだ、「聖」と呼ばれることが嬉しい。本堂の目が優しく笑うと、その瞳を見つめていたくなる。

 憎まれているのに愛しい。望まれていないのに欲しくなる。

 だが、その優しさに期待してはいけない。自分の立場を自覚し、本堂に憎まれ続ける役になりきろう。だが────。

 どうしても、本堂との一番最初のきっかけを捨てることは出来なかった。

 顔写真は違う。適当な動機だと分かりきっていても、シュレッダーには掛けられない。

 本堂が自分に宛てたものを、捨てられるわけがなかった。

「聖……もう無理すんな。お前はお嬢様で、金持ちでも普通の人間だろ」
  
 本堂は聖の目を見つめて、説得するように言った。

「お前はお前らしくすればいいじゃねえか。俺は着飾ったお前なんかより、前の素直で、ちょっと庶民臭いお前の方がいいと思ってる」

「はじめさん………」

 その言葉が一つ一つが響くのは、誰も言わなかったことだからだろう。

 こんな自分にそんなことを言ってくれる人間なんていない。未来永劫現れないと思っていた。

「コンビニだって、スーパーだって好きに行けばいいだろ。我慢して飯食って、好きなところも行けねえで、そんなんで生きてるって言えんのかよ」

 聖は思わず泣きそうになった。堪えていた涙が溢れそうだった。

 本当はずっと思っていた。

 でも、それを言うことは出来ない。藤宮の跡取りだから、ちゃんとしなければならないと思っていた。

 だが、いつも思う。ちゃんとしなければと、跡取りとして立派にならなければと、そう言われるが────自分が受ける制限が立派な人間になるためのものなら、他の人はどうしてそうじゃないのか、と。

 両親の価値観は、狭い箱の中だけの、狭い世界の話だ。

 だが、誰も言わなかった。誰も、それを覆せないからだ。それが小さな世界のルールなのだ。

 なのに本堂はいつもそうだ。ふらっと現れて、心をかき乱して、かと思えばここでは見れないものを連れてきては喜ばせた。この小さな世界にはなかったものだ。

「どうして……」

 嬉しい言葉の裏側になにがあるのか、聖は確かめたかった。

 本堂がなぜ自分に敵意を向けたのか。なぜ優しくするのか。なぜ、そんな瞳で笑うのか。

 入り乱れた感情は、いつものように図ることは出来なかった。
< 61 / 96 >

この作品をシェア

pagetop