とある企業の恋愛事情 -ある社長令嬢と家庭教師の場合-
 それから白鳥は度々会社を訪れるようになった。

 訪れたと言っても来るのは執務室にいる聖の所へだけで、あれ以降会社の中を見学したりしているわけではないようだ。

 執務室から度々虫酸が走る声が聞こえてきて、本堂は何度資料をぐしゃぐしゃに丸めたか分からない。

 今日もコピー用紙を無駄にして、それですっかり満タンになったゴミ箱に何度目かのシュートを決めた。

「……資源の無駄使いはやめろ」

 シュートは綺麗に決まったが、本堂は不愉快なままで、青葉も苛立った様子でペンを何度もカチカチと鳴らした。

 原因は、隣の部屋から聞こえてくる雑音だ。

「それなら今あいつに出してるコーヒーも無駄使いだな」

「……やめろよ。一応あんな男でも婚約者なんだ」

「お前が『一応あんな男』って言うってことは相当悪いって認めてるってことだろ」

「ここで言うな。聞こえたらどうするんだ」

 もともと小声で喋っているから聞こえはしないだろうが、それでも万が一聞こえたら大事件だ。本堂も青葉も解雇されるに違いない。
 
 白鳥家は明治から続く家柄で、正義の言う通り元を辿れば華族の血筋だそうだ。

 家からは何人か議員を輩出していて、会社経営も手広く行なっている。

 藤宮家に比べれば財力はないが、各界への繋がりが強く、発言力もある。正義にとってはまたとない縁談だった。

 白鳥家にとっても、日本有数の大企業である藤宮家と繋がることは大きなプラスになると踏んだのだろう。

 双方の利害が一致したこの縁談は、政略結婚以外のなにものでもなかった。
 
 本堂はあの時、聖が最後に言った言葉を思い出した。

 ────大丈夫。

 その意味を考えて、すぐに一つの結論に行き着いた。

 聖は自分を助けようとしたのだろうか。だから白鳥との婚約を受け入れたのだろうか。白鳥のような男は聖が一番嫌っている類の男のはずだ。

 引き寄せてしまったのか、ノックもせずに執務室から白鳥が入って来た。

 後から続いて聖も入ってきた。どうやら、聖が白鳥を止めているようだった。

「白鳥さん、彼らは今仕事中なので……」

「上司が来たら部下が手を止めるのは当たり前だろう?」

 聖は止めようとしているようだが、白鳥は聞かなかった。

 まだ結婚してもいないのに「部下」呼ばわりされて、本堂は腹が立った。この自信満々な口調や、相変わらずの成金な見た目も癪に触った。

「どうせなら、他の部署でもご覧になりませんか? まだ案内していない部署もありますし──」

「他の部署? どうして僕がそんな人たちと話さなくちゃならないんだい。そういうのは課長なんかの役職者の仕事だろ?」

 白鳥の言葉に、さすがの聖も黙った。笑顔だが、その瞳には怒りのようなものが見てとれた。

 だが白鳥は気づいていないのか、聖の提案を面倒くさがっている。

「いずれ藤宮家にいらっしゃるのであれば必要なことと存じますが」

 聖はそれでもニッコリと笑顔を浮かべ、白鳥を窘める。

「僕らがそういうことをしなくて済むよう彼らがいるんだろう?」

 白鳥は青葉と本堂を見て笑った。

 本当にどこまでも不愉快な男だ。正直白鳥を見ていると、イライラを通り越して殺意が湧いてくる。ロクなことを喋らなくて黙らせてやりたくなった。
 
 聖もイラついているのだろう。決して同調はしなかった。

 しかししばらく白鳥を誘導しようと粘っていたが諦めたようだ。それ以上は言わなかった。

「それより、今日の夜は空いてるんだろう? 昨日も仕事だったし今日くらいは時間を作ってくれないと」

「ごめんなさい。悪いけど繁忙期でやることはたくさんあるんです。白鳥さんもこの時期は忙しいのでしょう?」

「ああ、僕は平気だよ。部下が優秀だからね」

 悪意はないのか、白い歯と笑顔を見せる白鳥に、もう怒りを通り越して呆れるしかなかった。

「君の部下は優秀だって聞いてるよ。少しは任せたら?」

「確かに、彼らは優秀ですが……」

「ねえ、君達。ちょっと彼女の仕事をやってくれない?」

 白鳥にそう言われて、「できません」とも「やりたくねえ」とも言えなかった。言えるわけもなかった。

「白鳥さん! 彼らだって仕事は手一杯です! 昨日も残業していますし、私の仕事は私が────」

「……かしこまりました、聖様。お気になさらず」

 青葉は慌てる聖に笑いかけた。

 本当は行かせたくないのだろうが、これ以上ごねて白鳥の機嫌を損ねるほうがまずいと判断したのだろう。

 聖はついに諦めて、二人に申しわけなさそうに謝った。

「じゃあ……頼んだわ。デスクに資料を置いておくから、それを見て」
 
 再び沈んだ表情に戻ると、聖は本堂を一瞥すると白鳥と二人で出ていった。
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