とある企業の恋愛事情 -ある社長令嬢と家庭教師の場合-
 白鳥家と会食をしたのは少し前のことだ。

 その日聖は朝から会食のために、目がチカチカするような華やかな色合いの着物を着せられていた。

 体を締め付ける西陣の帯は鮮やかな柄だが、聖の気持ちはそれに相反して暗くなっていく。鏡の前に立つと、市松人形のようになった自分がいて笑いそうになった。

 会食のために好きでもない着物を着ているわけだが、こうして着付けられている間も、この会食を避けられないか、キャンセルにならないかと考え続けていた。

 白鳥家はいくつかある婚約者候補の内の一つだった。

 だが、それを選ぶのは自分ではなく正義だ。白鳥が一番の候補だと知っていてもそれは単なる情報で、決定権など一つもない。

 正義の考えは単純だから、白鳥家を選ぶことはなんとなくわかっていた。数ある候補者の中でも抜きん出た家柄だからだ。

 正義が好きそうな元華族という肩書き。おまけにそれなりの会社をいくつか抱えていれば、ビジネスパートナーとして申し分ない。

 以前白鳥和也の情報を見せられたが、自分にとって楽しい情報など一つも書かれていなかった。

 その時本堂が書いた履歴書のことを思い出したが、そんな幸せな記憶を踏みにじるように、白鳥の趣味の欄には「クレー射撃、乗馬」と書かれていた。

 ちまちま皿を割ったりこの移動手段が便利になった世の中でなぜ馬に乗ってはしゃいでいるのかちっとも理解出来ない。いや、単に白鳥の趣味だから嫌悪感が湧くだけかもしれない。

 なんにしろ、白鳥和也は自分にとって相性最悪の相手だった。



 白鳥家と顔を合わせるのは二度目だ。一度目は更に数週間前、婚約を「締結」させた時だ。そして今回はただ単なる「婚約オメデトウ」の会。

 会食の場所は白鳥家ご推薦の料亭だ。

 料亭に着くと、従業員総出かと思うぐらいの人数で出迎えられた。店を贔屓にしている白鳥家と、あの藤宮家のめでたい場と聞いたからなのか、それとも今度は藤宮家にゴマをすりたいのかは分からないが、聖はとにかくこういった場所が好きではないので、どれほどご機嫌取りをされても楽しいとは思えなかった。

 部屋に案内されると、白鳥家は既に席に着いていた。

 白鳥和也はブルーのジャケットを羽織り、金色のネクタイピンを着けていた。少し髪を手で整えると聖にニコッと微笑んだ。

「ごきげんよう、藤宮さん。本日はお越しいただきありがとうございます」

 最初、白鳥の写真を見ただけでいけ好かない男だと決めつけていたが、実際会った彼もいけ好かない男だった。

 正義が気にいるような男だから、きっとロクな奴じゃない────そう思っていたが、勘は当たっていた。

 白鳥とはとにかく性格が合わなかった。本当は見た目も何もかも嫌だが、白鳥は後生大事に大事に育てられた温室の花のような男で、個人を尊重して育てられたのか、身勝手な発言が多かった。

 自分の意見でみんなが幸せになれると思っているのか、当たり前にそんなことを言うものだから、聖は何度も頭を悩ませた。

 その両親である白鳥夫妻は息子が可愛くて仕方ないのだろう。甘やかして育てて、結果こういう「バカ」息子が出来上がったわけだ。

 会食が始まると、両家はとにかくお互いの家、子供のことを褒めまくった。お互いおべっかを使う家柄ではないから本心なのだろうが、聞くだけでも馬鹿馬鹿しかった。

「和也さんは十五歳までイギリスに留学なさっていたのよね? 向学心があって素晴らしいわ」

「いえいえ、まだまだ若輩者です。こんな僕でも家のためにできることをしなくてはなりませんからね」

「うむ、立派な心がけだ。うちの聖も勉強はしっかりさせようと思って一番良い学校に入れて首席も取らせた。きっと二人で藤宮を盛り立ててくれることだろう!」

 高らかに正義が笑う。聖はまた目眩がした。

 随分前から分かっていたことだ。例え本堂のことがなくたって、いつかはこうしなければならない。これはもう決まっていたことなのだ。

 喋れば喋るほど白鳥和也に嫌悪感を覚えた。

 未来の結婚相手だ。少しは好きになろうと努力したが、無駄だった。正義と同じ考え方をするような人間を好きになれるはずがない。

 会社の考え方も、人との接し方も、何一つ共感できない。こんな人間と将来ずっと一緒にいなくてはならないのかと思うと絶望した。

 だから、白鳥を本堂に紹介した時────本堂の顔を見ることが怖かった。

 白鳥の横に立っている自分を、そして最悪な婚約者である白鳥を見せることが、本堂を失望させるのではないか。

 秘書室に入った時、本堂は一瞬笑顔になって、その後すぐに表情を変えた。驚いたような引きつったような表情をしていた。理由はわかっていた。

 思った通り白鳥は上から目線であの真面目な俊介ですらも黙らせた。

 そして、本堂から一番聞きたくない言葉をかけられた。

 ただ惨めだった。本堂がそう言うしかないと分かっていたのに、それを受け入れることが出来なかった。

 こう仕向けたのは自分自身だ。正義の目を本堂から逸らすために、こうすることが一番だった。でなければ、今頃は本堂と離れ離れになっていたかもしれない。

 どんな関係でもいいから、そばにいてほしかった。自分がたとえ白鳥と結婚しても、本堂が補佐役を続けてくれるならまだそばにいられる。

 本堂が必死で伝えようとしてくれた言葉を忘れたわけではなかった。スーパーに連れて行くといってくれたことも、ちゃんと覚えている。

 その時嬉しいと感じたことは嘘ではない。今でも、そう出来たらどんなに良いかと思う。

 あの時一瞬、本堂の説得を受け入れたのだ。たった数分の出来事でも、彼の言うように、自分のために生きてみようと思えた。

 本堂と一緒に出かけられたらなら、どんなに楽しいだろう。

 自分はきっと見るもの全てが初めてで、彼はそんな自分を呆れたように見るに違いない。それでもきっと、呆れながら連れて行ってくれるのだろう。あの時のように────。

 本堂が一瞬見せた夢は楽しい世界だが、それは所詮夢の中の話だ。

 そこには楽しそうに笑う本堂がいる。自分のことを愛してくれる本堂がいる。けれども、愛してると言って、抱きしめてくれるのは妄想の中だけだ。

 現実的には、そんなことは不可能だった。自分の気持ちを伝えることさえ許されないのだから。
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