とある企業の恋愛事情 -ある社長令嬢と家庭教師の場合-
第16話 価値ある人
本堂は電車に乗って、十数年ぶりに地元へ帰って来た。
都内に比べると建物も古く、コンビニも車で行かないと近くにはないようなそんな場所だ。
生家は都内からかなり離れた場所にあった。それでも電車で二時間ほどだから、帰れない距離ではない。
駅に降りると懐かしい空気を感じた。思わず昔に戻った気分になった。
駅のすぐ近くにあった馴染みの駄菓子屋は、今はもう潰れていた。おばあさんがやっているような古い家屋の駄菓子屋は、今は新しく建物が建ってクリーニング屋になっていた。
ここを離れてからもう十年以上経っているのだから、町が様変わりしていても仕方ない。
だが、全てが変わったわけではなかった。以前に比べれば多少は整備されたようだが、それでも電車は普通しか停まらないし、バスなんて一時間に二本しか来ない。すっかり忘れていた。
あれから本堂は自分の部屋を引き払い、ホテルを転々としながら過ごした。自宅に会社の人間が来ることはわかっていた。それを避けるためだった。
復讐を終わらせるまでは帰らないと、そう決めていたはずなのに────。
久しぶりにここを訪れたのは、今日が特別な日だからだ。
本堂は駅の近くにあった寂れたスーパーで、パック売りの花を買った。それが入った袋を下げて、緩やかな上り坂を歩いた。
墓石が立ち並ぶそこは、小さい頃からずっとあった場所だ。
手入れも整備もされていない集合墓地で、無縁仏も少なくない。花が飾られている墓石はほとんどない。
荒れ果てた墓石の間を通り、そこへ向かった。
「本堂家之墓」と書かれたそこには、花が供えられた跡があり、他の墓石よりも若干綺麗だ。
墓石の上には生前、故人が好きだったメーカーの缶コーヒーが置かれている。きっと、置いたのは母だろう。本堂は買ってきた花を筒に入れて、手を合わせた。
復讐を果たしていないのにどうしてここへ来てしまったのだろう。もしかしたら、亡くなった父に聞いてほしかったのかもしれない。
自分の矛盾のことを、憎くて愛しい彼女のことを────。
「……親父、俺は間違ってたのか……?」
本堂はそこに眠る父親に尋ねた。
父のことを知った時、ただただ許せなくて、なにがなんでも藤宮を潰したいと思った。それが自分の生きがいで、目的になった。
「なのに、俺は聖を好きになった……聖は、藤宮なのに。親父を殺した藤宮なのにな……」
許してはならないのに、愛しさは募る。聖の名前を呼ぶ度に会いたくなる。
彼女をどこかに連れ去ってしまいたい。忘れたくても出来ない。
そうやって自覚してしまった気持ちは、じりじりと胸を焦がしていくだけだった。
誰かのものになった聖なんて、見たくなかったのだ。出来るなら自分だって聖を抱きしめたい。だが、父親のことを考えたら出来なかった。
だから聖の元から去った。これ以上彼女を傷つけたくなかった。これ以上罪に苛まれたくなかった。
「聖を傷付けられないんだ……。ごめん……俺には出来なかった……」
たとえ聖が憎い藤宮の娘だとしても、自分には出来ない。
天秤にかけれない思いが葛藤して、彼女に触れようとするその手を止めた。行くなと、言えなかった。
聖は最後まで自分を守っていたのに、自分は逃げたのだ。弱いから、復讐に負けた。
本堂は墓石の前で項垂れ、情けない自分を責めた。
「一?」
突然自分の名前呼ばれて、ハッと顔を上げた。あたりをキョロキョロと見回すと、そこには懐かしい人物の姿があった。
「一……?」
その人物はもう一度自分の名を呼んだ。
「母さん……?」
十数年ぶりに会う母、麗花は少し痩せていた。
麗花は驚いた様子で本堂を見ていた。まさかここにいると思わなかったのだろう。長いこと会いに来ない息子を心配していたに違いない。
顔のシワや髪の艶など、歳をとったと感じる風貌になって、その年月を改めて感じた。
「久しぶりね。本当にあなたは、連絡もよこさないで……」
麗花は少し怒ったように本堂を小突いた。
「悪かった」
「いいわ、ちょうどお父さんに会いにきたんだし。報告しましょう」
麗花は墓石の前まで来ると、持ってきた花を同じ筒に入れて缶コーヒーを置いた。祈るように手を数秒合わせた。
「お父さん、一がやっと帰ってきてくれましたよ」
嬉しそうな表情をしていたが、少し涙声だった。
やがて立ち上がると、汚くなった墓石を掃除し始めた。
「元気にしてるの?」
「……ああ」
「そう、それならいいの。今は母さんも経営から退いてね、従業員の人にほとんど任せてるのよ。頼りになる若い人が入って来てくれたから……」
「そうか、よかったな」
「一は、今は何をしてるの?」
本堂は言葉に詰まった。
麗花は知らない。自分が復讐のために家を出たことも、今まで何をしていたかも。きっと普通に就職して、仕事をしていると思っているに違いない。
本当のことを告げたら、責任感の強い麗花が黙っていないことはわかっていた。
「どうしたの?」
「母さん、俺は………」
父には報告した。同じことを麗花にも言えるだろうか。復讐のために、何年も家族を置き去りにしたのだ。
「一、何かあったの? そんな悲しそうな顔して……」
黙っていると、見かねた麗花が尋ねた。
「俺は、今まで────」
本堂は意を決して、それを口にした。
おそらく麗花は許さないであろう、その事実を。
「────藤宮の会社にいたんだ」
都内に比べると建物も古く、コンビニも車で行かないと近くにはないようなそんな場所だ。
生家は都内からかなり離れた場所にあった。それでも電車で二時間ほどだから、帰れない距離ではない。
駅に降りると懐かしい空気を感じた。思わず昔に戻った気分になった。
駅のすぐ近くにあった馴染みの駄菓子屋は、今はもう潰れていた。おばあさんがやっているような古い家屋の駄菓子屋は、今は新しく建物が建ってクリーニング屋になっていた。
ここを離れてからもう十年以上経っているのだから、町が様変わりしていても仕方ない。
だが、全てが変わったわけではなかった。以前に比べれば多少は整備されたようだが、それでも電車は普通しか停まらないし、バスなんて一時間に二本しか来ない。すっかり忘れていた。
あれから本堂は自分の部屋を引き払い、ホテルを転々としながら過ごした。自宅に会社の人間が来ることはわかっていた。それを避けるためだった。
復讐を終わらせるまでは帰らないと、そう決めていたはずなのに────。
久しぶりにここを訪れたのは、今日が特別な日だからだ。
本堂は駅の近くにあった寂れたスーパーで、パック売りの花を買った。それが入った袋を下げて、緩やかな上り坂を歩いた。
墓石が立ち並ぶそこは、小さい頃からずっとあった場所だ。
手入れも整備もされていない集合墓地で、無縁仏も少なくない。花が飾られている墓石はほとんどない。
荒れ果てた墓石の間を通り、そこへ向かった。
「本堂家之墓」と書かれたそこには、花が供えられた跡があり、他の墓石よりも若干綺麗だ。
墓石の上には生前、故人が好きだったメーカーの缶コーヒーが置かれている。きっと、置いたのは母だろう。本堂は買ってきた花を筒に入れて、手を合わせた。
復讐を果たしていないのにどうしてここへ来てしまったのだろう。もしかしたら、亡くなった父に聞いてほしかったのかもしれない。
自分の矛盾のことを、憎くて愛しい彼女のことを────。
「……親父、俺は間違ってたのか……?」
本堂はそこに眠る父親に尋ねた。
父のことを知った時、ただただ許せなくて、なにがなんでも藤宮を潰したいと思った。それが自分の生きがいで、目的になった。
「なのに、俺は聖を好きになった……聖は、藤宮なのに。親父を殺した藤宮なのにな……」
許してはならないのに、愛しさは募る。聖の名前を呼ぶ度に会いたくなる。
彼女をどこかに連れ去ってしまいたい。忘れたくても出来ない。
そうやって自覚してしまった気持ちは、じりじりと胸を焦がしていくだけだった。
誰かのものになった聖なんて、見たくなかったのだ。出来るなら自分だって聖を抱きしめたい。だが、父親のことを考えたら出来なかった。
だから聖の元から去った。これ以上彼女を傷つけたくなかった。これ以上罪に苛まれたくなかった。
「聖を傷付けられないんだ……。ごめん……俺には出来なかった……」
たとえ聖が憎い藤宮の娘だとしても、自分には出来ない。
天秤にかけれない思いが葛藤して、彼女に触れようとするその手を止めた。行くなと、言えなかった。
聖は最後まで自分を守っていたのに、自分は逃げたのだ。弱いから、復讐に負けた。
本堂は墓石の前で項垂れ、情けない自分を責めた。
「一?」
突然自分の名前呼ばれて、ハッと顔を上げた。あたりをキョロキョロと見回すと、そこには懐かしい人物の姿があった。
「一……?」
その人物はもう一度自分の名を呼んだ。
「母さん……?」
十数年ぶりに会う母、麗花は少し痩せていた。
麗花は驚いた様子で本堂を見ていた。まさかここにいると思わなかったのだろう。長いこと会いに来ない息子を心配していたに違いない。
顔のシワや髪の艶など、歳をとったと感じる風貌になって、その年月を改めて感じた。
「久しぶりね。本当にあなたは、連絡もよこさないで……」
麗花は少し怒ったように本堂を小突いた。
「悪かった」
「いいわ、ちょうどお父さんに会いにきたんだし。報告しましょう」
麗花は墓石の前まで来ると、持ってきた花を同じ筒に入れて缶コーヒーを置いた。祈るように手を数秒合わせた。
「お父さん、一がやっと帰ってきてくれましたよ」
嬉しそうな表情をしていたが、少し涙声だった。
やがて立ち上がると、汚くなった墓石を掃除し始めた。
「元気にしてるの?」
「……ああ」
「そう、それならいいの。今は母さんも経営から退いてね、従業員の人にほとんど任せてるのよ。頼りになる若い人が入って来てくれたから……」
「そうか、よかったな」
「一は、今は何をしてるの?」
本堂は言葉に詰まった。
麗花は知らない。自分が復讐のために家を出たことも、今まで何をしていたかも。きっと普通に就職して、仕事をしていると思っているに違いない。
本当のことを告げたら、責任感の強い麗花が黙っていないことはわかっていた。
「どうしたの?」
「母さん、俺は………」
父には報告した。同じことを麗花にも言えるだろうか。復讐のために、何年も家族を置き去りにしたのだ。
「一、何かあったの? そんな悲しそうな顔して……」
黙っていると、見かねた麗花が尋ねた。
「俺は、今まで────」
本堂は意を決して、それを口にした。
おそらく麗花は許さないであろう、その事実を。
「────藤宮の会社にいたんだ」