とある企業の恋愛事情 -ある社長令嬢と家庭教師の場合-
目を覚ました聖は病室の中を見て溜息を吐いた。
白鳥と正義が揃って来ていて、それが頭痛を酷くさせた。
「いやあ本当に助かってよかった。白鳥君が早く連絡してくれなければどうなっていたか……」
「本当にあの時は焦りました。ベランダが開いていたからもしかしてと思って……海上保安庁に連絡して正解でした」
「聖、白鳥君は命の恩人だ。ちゃんとお礼を言いなさい」
────どうして、こんなことになるのだろう。
聖はぼんやりする頭で先日自分に身に起こった最悪の事件を思い出した。
あの時自分は逃げ出したいと思いながら、もう二度と本堂に会えないなら生きる意味もないと飛び降りた。
想像以上に水の中は苦しかった。冷たくて、真っ暗で、怖かった。
死を意識していたのに必死で踠いたのは、まだ生にしがみ付いていたからだろうか。まだこんなになっても生きたいなんて思ってもいないというのに。反射的とはいえ、生きようとした自分の体を恨めしく思った。
病室では正義と白鳥が愉快に談笑している。
彼らは気が付かないのだろうか。自分がどうして飛び降りたか────白鳥に至っては自分を擁護するために嘘八百を並べ立てた。
自分がいつ酒を飲んだというのか。だが、きっと真実を言ったとしても彼らは握りつぶしてしまうだろう。自分の意見や感情なんて、あってないようなものだった。
「ありがとうございます、白鳥さん」
感情のこもっていない声でも、今は怪我人だからとまかり通るのは有難い。いっそずっとこうしていた方がどれだけ楽だろう。
誰も気が付かないのだ。船から飛び降りた時に「聖」の心が死んだことも、この嘘だらけの世界に何一つとして真実がないことも。
あの嵐が去ってしまったから、もうここには何もない。
突然、ガラッと引き戸が開いた。聖は視線だけそちらに向けた。
「入るぞ」
そこに立っていた人物を見て、聖はほとんど開いていなかった瞳を確かめるように見開いた。
本堂だった。そこにいるのは、あの本堂一だ。
驚いて声も出せないでいると、本堂は正義と白鳥に厳しい視線を投げながら、吐き捨てるように言い放った。
「雁首揃えてこんな所で仲良くお喋りか。相当暇らしいな?」
聞きなれない暴言に、白鳥は不愉快な顔をした。正義は目を点にして口をポカンと開けていた。
「君、無礼じゃないか? 僕を誰だと────」
「誰だよ?」
「な……っ」
「引っ込んでろ成金馬鹿」
「ふ……っふざけけるな! 僕は白鳥家の長男だ! 政治家にだって知り合いがいるし会社をいくつも────」
本堂が白鳥のことを知らないはずがない。本堂は白鳥を煽っているのだろうか。
白鳥は激情し大声でまくし立てているが本堂は無視して正義に話しかけた。
「久しぶりだな」
「本堂君……君は、一体どうしたんだ? そんな無礼な男じゃあ────」
正義は白鳥のように怒り狂うことはなかった。それよりも、驚いて状況が飲み込めていないようだった。
恐らく、今まで自身が見ていた「本堂一」と今の「本堂一」があまりにも違ったからだろう。
「残念だったな。俺の無礼は元々だ。お前らをぶっ潰すために猫かぶってただけだ」
「な……っ!? き、君は産業スパイだったのか!?」
「そんなもんと一緒にすんな」
本堂はついに正義すらもも無視して、聖の方を見た。目が合うと、本堂は柔らかく笑みを浮かべた。
聖は目の前にいる本堂が本物だと信じられなかった。彼は辞表を出したのだ。別れの言葉こそ言わなかったが、もう二度と会うことはないと諦めていた。
だが、目の前で正義と白鳥に堂々と喧嘩を売っているこの人物は、紛れもない本堂自身だ。
「はじめさん……」
「帰って来てやったぞ」
「どうして、あなたがここに……」
「それを今から説明する。おい、成金馬鹿とタヌキオヤジ」
まさか自分達のことかと、二人は目を血走らせて本堂に怒りの視線を向けた。
「いい加減にしろ! 君は今日をもって解雇だ!」
「お前に解雇されなくもとっくに辞めてるよ」
その一言を聞いて、聖は胸がずきんと痛んだ。
そう、本堂はすでに辞表を提出している。受理こそしていないが、彼の中ではもう会社を退職していることになっているのだ。
帰って来たと聞いて一瞬気持ちが舞い上がったが、そんなわけがなかった。
「内側から崩すのはやめだ。俺は正面からお前らを破ってやる」
「なんだと……?」
「君、馬鹿を言っちゃあいけないよ。天下の藤宮グループと白鳥家だよ? 君みたいな一般人がどうにかできることじゃあない。謝るなら今のうちに聞いてあげるか────」
「黙って聞いてろ成金馬鹿」
「な、僕のことをそんなふうに言うな!」
「いいか? 俺はお前らを負かしてやる。五年以内だ。そしたら────」
白鳥と正義が揃って来ていて、それが頭痛を酷くさせた。
「いやあ本当に助かってよかった。白鳥君が早く連絡してくれなければどうなっていたか……」
「本当にあの時は焦りました。ベランダが開いていたからもしかしてと思って……海上保安庁に連絡して正解でした」
「聖、白鳥君は命の恩人だ。ちゃんとお礼を言いなさい」
────どうして、こんなことになるのだろう。
聖はぼんやりする頭で先日自分に身に起こった最悪の事件を思い出した。
あの時自分は逃げ出したいと思いながら、もう二度と本堂に会えないなら生きる意味もないと飛び降りた。
想像以上に水の中は苦しかった。冷たくて、真っ暗で、怖かった。
死を意識していたのに必死で踠いたのは、まだ生にしがみ付いていたからだろうか。まだこんなになっても生きたいなんて思ってもいないというのに。反射的とはいえ、生きようとした自分の体を恨めしく思った。
病室では正義と白鳥が愉快に談笑している。
彼らは気が付かないのだろうか。自分がどうして飛び降りたか────白鳥に至っては自分を擁護するために嘘八百を並べ立てた。
自分がいつ酒を飲んだというのか。だが、きっと真実を言ったとしても彼らは握りつぶしてしまうだろう。自分の意見や感情なんて、あってないようなものだった。
「ありがとうございます、白鳥さん」
感情のこもっていない声でも、今は怪我人だからとまかり通るのは有難い。いっそずっとこうしていた方がどれだけ楽だろう。
誰も気が付かないのだ。船から飛び降りた時に「聖」の心が死んだことも、この嘘だらけの世界に何一つとして真実がないことも。
あの嵐が去ってしまったから、もうここには何もない。
突然、ガラッと引き戸が開いた。聖は視線だけそちらに向けた。
「入るぞ」
そこに立っていた人物を見て、聖はほとんど開いていなかった瞳を確かめるように見開いた。
本堂だった。そこにいるのは、あの本堂一だ。
驚いて声も出せないでいると、本堂は正義と白鳥に厳しい視線を投げながら、吐き捨てるように言い放った。
「雁首揃えてこんな所で仲良くお喋りか。相当暇らしいな?」
聞きなれない暴言に、白鳥は不愉快な顔をした。正義は目を点にして口をポカンと開けていた。
「君、無礼じゃないか? 僕を誰だと────」
「誰だよ?」
「な……っ」
「引っ込んでろ成金馬鹿」
「ふ……っふざけけるな! 僕は白鳥家の長男だ! 政治家にだって知り合いがいるし会社をいくつも────」
本堂が白鳥のことを知らないはずがない。本堂は白鳥を煽っているのだろうか。
白鳥は激情し大声でまくし立てているが本堂は無視して正義に話しかけた。
「久しぶりだな」
「本堂君……君は、一体どうしたんだ? そんな無礼な男じゃあ────」
正義は白鳥のように怒り狂うことはなかった。それよりも、驚いて状況が飲み込めていないようだった。
恐らく、今まで自身が見ていた「本堂一」と今の「本堂一」があまりにも違ったからだろう。
「残念だったな。俺の無礼は元々だ。お前らをぶっ潰すために猫かぶってただけだ」
「な……っ!? き、君は産業スパイだったのか!?」
「そんなもんと一緒にすんな」
本堂はついに正義すらもも無視して、聖の方を見た。目が合うと、本堂は柔らかく笑みを浮かべた。
聖は目の前にいる本堂が本物だと信じられなかった。彼は辞表を出したのだ。別れの言葉こそ言わなかったが、もう二度と会うことはないと諦めていた。
だが、目の前で正義と白鳥に堂々と喧嘩を売っているこの人物は、紛れもない本堂自身だ。
「はじめさん……」
「帰って来てやったぞ」
「どうして、あなたがここに……」
「それを今から説明する。おい、成金馬鹿とタヌキオヤジ」
まさか自分達のことかと、二人は目を血走らせて本堂に怒りの視線を向けた。
「いい加減にしろ! 君は今日をもって解雇だ!」
「お前に解雇されなくもとっくに辞めてるよ」
その一言を聞いて、聖は胸がずきんと痛んだ。
そう、本堂はすでに辞表を提出している。受理こそしていないが、彼の中ではもう会社を退職していることになっているのだ。
帰って来たと聞いて一瞬気持ちが舞い上がったが、そんなわけがなかった。
「内側から崩すのはやめだ。俺は正面からお前らを破ってやる」
「なんだと……?」
「君、馬鹿を言っちゃあいけないよ。天下の藤宮グループと白鳥家だよ? 君みたいな一般人がどうにかできることじゃあない。謝るなら今のうちに聞いてあげるか────」
「黙って聞いてろ成金馬鹿」
「な、僕のことをそんなふうに言うな!」
「いいか? 俺はお前らを負かしてやる。五年以内だ。そしたら────」