とある企業の恋愛事情 -ある社長令嬢と家庭教師の場合-
 本堂は聖の方を見た。

 聖はずっと本堂の話を聞いていたが、彼が何を言おうとしているのかまだ分からなかった。今までの会話もどういうことか理解できなかった。

 なぜ、突然本堂は現れたのだろう。やはり言葉の通り藤宮グループを潰すつもりなのだろうか。聖の心臓はどくどくと緊張に脈打った。

 だが、次の言葉で息が止まった。

「聖は俺がもらう」

「は……っ馬鹿を言うんじゃない。聖は藤宮家の跡取りだ。君のような男と結婚なんてさせられるわけがないだろう!」

「そ、そうだ! 聖さんには僕のような家柄と財力がある人間が相応し────」

「だから、お前らを負かす言ってんだろ。俺が藤宮と白鳥に勝てば文句はねえな?」

「何を馬鹿な……」

 正義はそんなことできるわけがない、と蔑んだ目で本堂を見つめた。白鳥も続けて本堂に脅すような文句を掛ける。

「そうだ、僕たちに喧嘩を売るなんて君は日本にいられなくなるよ?」

「結構だ。どこに住もうが一緒だろ」

 正義は怒り続けているし、本堂はそれをのらりくらりとかわしているが、相当まずい状況だ。それを避けるために、聖は白鳥との縁談を受けた。

 それなのに喧嘩なんて売ったら、彼は本当に白鳥の言う通り日本にいられなくなってしまう。聖はそれを想像して背筋が凍りついた。

「お父様! 白鳥さん! 彼の冗談です……っこんなこと真に受けないでください!」

「悪いが、聖。冗談じゃねえ」

 聖の説得も虚しく、本堂は真っ向から否定した。

「そんな────」

「俺が勝ったら聖、俺のところに来い」

「え……」

「約束しただろ。スーパー連れて行くって」

 そんな約束を覚えていたとは思わず、聖は驚いた。最近の約束だが、その時は社交辞令だと思っていた。

 まさか本堂は、そのために喧嘩を売ったのだろうか。いいや、そんな訳がない。本堂はそれほど短絡的ではない。

 本堂は自分を恨んでいるはずだ。そんなふうに言うのはやはり藤宮グループに何かしようとしているからに違いない。

「勝手に話を進めるな! 私は認めん!」

「お前がなんて言おうが知ったことか。どうなんだ? まさかこんな一般人に負けるのが嫌で勝負しねえとか言わねえよなあ、天下の藤宮と大華族の白鳥が」

「あ、当たり前だ! 私は藤宮グループの当主だ! 君のような小童に負けるわけがないだろう!」

「そ、そうだ! 君、あとから後悔したって知らないからな!」

「じゃあ、正式に受けたってことでいいな。五年以内にお前らの会社の業績を抜いてやる。俺が実行出来なかったら土下座でもなんでもしてやるよ」

「言ったな……君のお望み通り、負けたあかつきにはそれなりに謝罪をしてもらおう! 言っておくが、土下座くらいで済むと思うな! 早くここから────」

 正義が本堂に向かって声を荒げた瞬間、また病室の扉が開いた。

「旦那様! 大変です!」

 そう言いながら入ってきたのは俊介だった。俊介はひどく慌てた様子で正義に言った。

「阿倍野商事の会長から、『会合の約束を入れたのに来ないのはどういうことか』と連絡が────っ至急本社にお戻りください!」

「なんだと!? そんな約束はしていないはずだ!」

「しかし、確かに予定には阿倍野商事との会合が入っております!」

「チッ……間の悪い! いいか、忘れるな! 私を愚弄した罪は重いぞ!」

 正義は再び怒りながら病室を後にした。白鳥もそれに続き、「見ていろよ」と捨て台詞を吐いて出て行った。

 俊介は本堂の方を見ると、小さく頷いた。そして俊介も病室から出て行った。

 続けざまにいろいろなことが起こりすぎて頭がついていかない。本堂が帰ってきたと思ったらいきなりあんなことを言い始めて、喧嘩を売ったと思ったら藤宮と白鳥に宣戦布告をした。

 幻でも見ているのではないだろうかと思ったが、どうやら夢ではないようだ。

 本堂はふう、と息をついて聖の方へ向き直った。

「どうだ? 爽快だったろ?」

「ば……馬鹿なこと言わないで! あなた本当に消されてしまうわ! 彼らが本気を出したら────」

「お前は俺が負けると思ってんのか?」

「それは……」

 本堂はえらく自信ありげだ。まさか、勝てる自信があるのだろうか。聖は心の中で、いくらなんでも無理だろう、と思った。

「俺だって負ける勝負はしねえよ。やるからには勝つつもりだ」

「どうして……」

 聖が尋ねると、本堂はゆっくりと近づいて、聖の身体を抱きしめた。

 驚いて体が強張った。突然のことでどうすればいいか、何を言えばいいかわからなかった。

「聖……俺がお前に近づいた理由、知ってるか?」

「……私のことが、憎いからでしょう……?」

「今は、違う」

「え?」

「聖、よく聞け」

 本堂は身体を離して、自分をじっと見つめた。

 何を言われるのか、と聖は息を飲んだ。

「俺はお前が好きだ」

 心のどこかで期待していた言葉に、聖は一瞬胸を掴まれたような苦しさを覚えた。それは夢の中だけで聞く言葉だった。
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