とある企業の恋愛事情 -ある社長令嬢と家庭教師の場合-
 聖は店の棚を見ながら楽しそうにそれを手にとっては本堂に尋ねた。

 普段の彼女はしっかりして大人っぽいのに、今の彼女はまるで子供のようだ。嬉しそうにしている聖を見て本堂は柔らかく微笑んだ。

 献立もなんとか決まった。買い物を済ませると近くにあるという聖のマンションに向かった。

 やがてマンションの前に着いたが、あまりにも想像通りの外観に本堂は笑ってしまった。

 聖が住むマンションは思いの外小さかった。タワーマンションほど大きくないが、背が低い分価格が高いのだろう。恐らく戸数は限られているはずだ。

 聖が賃貸物件に住むとは思えないし、この外観で賃貸ということはまずない。分譲だろう。仮にも藤宮グループの代表取締役が、普通の賃貸に住むわけがない。

 青葉は聖が一人で住んでも問題ないようにセキュリティが整ったマンションを選んだに違いない。

 エントランスからして一般のマンションとは違う。警備員は常駐しているらしく、コンシェルジュも二十四時間体制で受付しているようだ。

 ホテルライクなシックな色の内装は、ライトのせいかより雰囲気を増して魅せた。エレベーターさえもそれに統一されていて、ガラス張りの窓からは小さくスカイツリーが見えた。

 聖はカードキーを取り出すとパネルにかざした。エレベーターは勝手にその階へ進んだ。ワンフロア一住戸で、専用の鍵がなければ止まらないそうだ。

 扉が開くとそこが丸々聖の借りているフロアなんて藤宮邸を知った後では驚きもしないが、こんな物件に住んでいる人間を見たのは実際初めてだった。

 だが、藤宮邸に住んでいた聖からしてみればこのフロアはきっと以前住んでいた自分の部屋くらいの感覚なのだろう。

 リビングの窓はほとんどガラス張りで、エレベーターに乗っていた時以上に壮観な風景が見える。

 部屋の壁や床は白で統一されているが、家具は落ち着いたブラウンカラーで統一されていた。女の子の部屋というよりは、執務室の延長のように思えた。

 聖はキッチンに荷物を置くと、嬉しそうに支度を始めた。

「手伝わなくていいのか?」

「とりあえず、出来ることは自分でしたいの。どうしてもわからなくなったら聞くから」

「じゃあ適当にその辺にいる」

 そんなに難しいメニューは作らないだろうし、多分放っておいても聖ならなんとかするだろう、と本堂はソファに寝転んで、キッチンにいる聖の方を見た。

 まだ慣れていないのだろう、難しい顔をしながらキッチンに立つ彼女を見て、なんだか微笑ましい気持ちになった。やりたいことが出来ているようで、表情が活き活きしている。

 ふと立ち上がって、聖の後ろに立つと、後ろから彼女を抱きしめた。

「は、はじめさん!?」

「一応、断ったからな」

 ぎゅうと音がするくらい聖を抱きしめて、その細い肩に顔を埋めた。

 会社ではヒールを履いているから本堂よりも少し小さいくらいだが、今はスリッパだけだからいつもよりも小さく思える。聖の顔がいつもよりもすぐそこにあって鼓動はいつになく早まっていた。

 だが、ふっと思った。自分がいない間に聖は白鳥とこんなことをしたのだろうか、と。

 五年間も離れていたのだ。全くお手つきなしということは考えにくい。

 以前、白鳥は聖をフェリーに連れて行き、恐らくそこで抱くつもりだったのだろうが、聖が海に飛び降りたことでそれは回避された。

 だが、それ以降のことは自分はなにも知らない。青葉からの報告がなかったということは何もなかったのだろうが、胸をよぎった不安はじわじわと広がっていく。

「聖……」

「な、なに……?」

「五年前……お前が白鳥とホテルに入っていくのを見た」

「えっ……ホテルって、見てたの……?」

 聖の声を聞くなり、抱き締めた体をひっくり返して自分に向き直らせた。聖の視線が不安げに揺れると、自分の心の中もまた、不安が広がっていく。

「何をしてたんだ」

 どうしても気になって、聖を問い詰めた。嫌な予感が広がって、返事を急かすように、聖に向ける視線は厳しいものになっていく。

「あ、あれは……あの人が持ってるワインを見せたいからってバーに案内されて──」

「抱かれたのかって聞いてんだ」

 あまりにも直接的な聞き方をしたせいか、聖は恥ずかしそうに視線を逸らした。それを悪い意味で捉えた本堂は、カッとなってその唇に噛み付いた。

 こんなに年が離れているのに大人気ない。それを分かっていても、聖が他の男に抱かれるなんて考えるだけで堪らなかった。

 その柔らかい唇に自分の唇を押し付けて、聖は驚いて押しのけようとしたが、それがまた別の意味に思えた本堂は殊更に激しく口付けた。

 広いキッチンカウンターの上に身体を預けるように倒された聖は、荒い呼吸で余裕のない本堂を見つめていた。
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