とある企業の恋愛事情 -ある社長令嬢と家庭教師の場合-
最終話
 聖は本堂とともに少し遠方まで出掛けていた。都心から少し離れた場所で取引先と商談があったからだ。

 三時間ほど続いた会議が終わり、ひと息ついたところだった。

 聖がなるべく電車で移動したいと言うと、本堂はそれを尊重してくれたのかあまり車を使わなくなった。

 今日来ている場所は都内から少し離れていた。新幹線と電車を乗り継いで向かったそこは都内ほど整備された場所はなく、少し田舎臭さが残るような街だった。

 以前なら正義が部下に行かせていたような場所だが、聖は商談の場所がどこであっても自分の足で行きたかった。

 だが藤宮の社長が自ら来たことで取引先を驚かせてしまったようだ。商談に来たというのにあれやこれやともてなされて、気がついたら時間が経っていた。

「なんだか、会議に来たのに旅行にでも来たみたいね」

「まあ、取り引きは上手くいったんだからいいんじゃねえか?」

 本堂はさりげなく聖の手を握った。

 本堂とは恋人らしいことはあまりしていない。あれから何度か家に来たり料理を振舞ったりしたが、デートもまだ行けていなかった。

 忙しいのもあるが、聖はそんなことよりもまず世間を知りたかった。だから恋人らしいことよりも、五年間会えなかった本堂と当たり前に歩いたりすることの方が嬉しかった。

 聖は手を握り返して、アスファルトの上を歩いた。

 少し田舎臭いその景色を見ながら、本堂は実家に似てる、と笑った。

 本堂の実家と、彼が営む本堂商事の本社が田舎の方にあると、聖も知っていた。

 だが、本堂は合併したものの実家の方にはあまり藤宮の仕事を振っていないようだった。

 恐らく一部の人間達が本堂が実家を優遇していると非難するからだろう。だから聖もそのことにはあえて首を突っ込まないようにしていた。

「聖」

「なに?」

「俺の母親に会ってみるか?」

「え!?」

 突然誘われて、聖は驚いた。

「そんなに警戒すんな。会ってみねえかって言ってるだけだ」

「ああ、ええと……いいの?」

「母親に連れてこいって言われてたんだよ。もう五年も会ってねえからな。顔見せついでだ」

「そ、それは……」

 聖は言葉に詰まった。と言うのも以前本堂からチラッと復讐の話を聞いたからだ。

 それがなんなのかはまだはっきりと知らされていないが、彼の実家に関わるということは大体予想がついている。

 調べてみると、合併する以前本堂商事は藤宮グループのうちのいくつかの企業と取引をしたことがあった。藤宮の子会社である金融機関から融資も受けていた。

 だが、それはある時からぷっつりと途切れていた。それがどういうことか、聖も分かっていた。

 本堂は復讐をやめたと言っていたし、それは間違いないと思うが、彼の家族がどう思っているかは分からない。

 それに、普通親に合わせるのは結婚する時ぐらいのはずだ。付き合っている期間が長ければそうでない場合もあるが、聖の場合はついこの間再会したばかりで、恋人としてはひよっこだ。

 本堂がどういうつもりは分からないが、時期尚早のような気がする。

「心配すんな。いつも通りにしてればいい」

「そ、そう言われても……」

 白鳥の両親に会った時とは訳が違う。気に入られないと困るし、相性が合わなかったらショックだ。

 本堂とはただでさえ育った環境も違うのに、彼の母親にどう思われるか分からなかった。

 むしろ恨まれているのではないだろうか────聖はまだ会ってもいないのに不安に駆られた。

「お前はそこらの女と違ってしっかり教育されてるから問題ねえだろ。なんとかなる」

「いや、そういう問題じゃないと思うけど……」

「今更生まれのことなんか気にしたってしょうがねえだろ」

「そうなんだけど……」

「次の日曜行くから準備しとけよ」

「そんなに急なの!?」

「伸ばしたって意味ねえだろ」

 本堂は特に意識もしていないのかあっけらかんとしている。なんだか自分一人が意識しているみたいだ。

 聖はまだ会ってもいない本堂の母親を思い浮かべた。

 本堂はかなり自我が強く、俊介に破天荒と言わしめた男だ。

 そんな男の母親がどんな人物なのか聞いてみたい気もするが、本堂は恐らく「考えたって仕方ねえだろ」というに違いない。

 本堂は個性的な人間だが、優しくて家族思いだ。だからきっと、その母親も優しい人に違いないと、聖は無理やり自分を納得させた。
< 92 / 96 >

この作品をシェア

pagetop