とある企業の恋愛事情 -ある社長令嬢と家庭教師の場合-
 この日、俊介は珍しく聖にランチに誘われた。二人で最近利用するようになった社員食堂へ向かった。

 代表取締役の聖と秘書の俊介がいて若干食堂がざわついたが、聖は気にする様子もなく日替わりランチを注文した。恐らく、前からここにきたいと思っていたに違いない。

 席に着いたところで、俊介はランチプレートをじっと見つめる聖に尋ねた。

「どうしたんだ?」

「……ちょっと、俊介に相談があって」

 聖は、いつになく真剣な目をしていた。これはただ事ではないと、俊介も身構えた。

「あのね、今度はじめさんのお母さんに会いに行くんだけど……」

「結婚するのか!?」

 俊介は勢いよく椅子から立ち上がった。食堂にいた社員は驚いて一斉に自分たちを見た。

「ちょっと! そんなこと言ってない! って言うか静かにして!」

「あ、わ……悪かった」

 慌てて席に着いて小声で話した。

「それで……本堂の母親に会いに行くって?」

「そ、そうなの。今度の日曜に行くんだけど、何かアドバイスしてくれない?」

「アドバイス?」

 俊介は聖の言葉を聞き返した。

 アドバイスなんてする必要もないことは聖だって分かっているはずだ。花嫁修業と称して、正義と澄子に散々叩き込まれたのだから。

 ファーストレディになったって恥ずかしくない作法を教え込まれている聖に、今更アドバイスなんてそれこそおこがましいことだ。

 俊介は何もいうことはない、と首を振った。

「今更俺が言うことなんてないだろ」

「何かあるでしょう? ほら、ここをこうしとくと気に入られるよとか」

「そんなこと言われてもなあ……本堂の母親と会ったことがある訳じゃないから、俺には分からない」

「……そうよね、ごめんなさい」

「不安なのか?」

「……はじめさんは顔を合わせるだけだって言うけど、そんなわけにもいかないでしょう? 藤宮と彼の家は確執があるみたいだし……」

 復讐は本堂の勘違いだったと言っていたから、気にしなくてもいいのかもしれない。

 だが、聖は気になるようだ。それも、本堂の母親に気に入られたいと思うからだろう。誰だってそうに違いない。

「聖は……いつも通りにしてたらいいんじゃないか? あいつの母親がいきなりお前に文句を言ったりはしないだろうし、普通に挨拶すると思えばいいさ」

「白鳥さんの時は適当にやってても気にしなかったんだけど……」

「それだけお前が本堂に本気ってことだ。大丈夫だよ」

「ありがとう。ちょっとは落ち着いたかも」

「いいって。幼馴染のよしみだからな。ほら、お前の恋人が迎えに来てるぞ」

「え?」

 社員食堂の入り口には、しかめっ面をした本堂が立っていた。

 じっと自分達を恨めしそうに見つめて、何かを疑っていることは丸分かりだった。本堂はつかつかとこちらに歩いて来ると、聖の隣にどかっと腰を下ろした。

「おい青葉。俺がいねえ間に口説いてたんじゃねえだろうな」

「はっ……男の嫉妬はみともないぞ。悪いが今回誘ったのは聖だ。俺じゃない」

「ちょっと俊介! 誤解を生むような言い方はやめて! 違うのはじめさん、俊介には相談があって──」

「俺に内緒でか?」

「ええと……」

「あなたのお母さんに挨拶する件で相談していました」、とは言えないのだろう。本堂の性格ならいつまでウジウジ悩んでんだ! と一喝するに決まっている。

 聖は自分に助けを求めたが、それがかえって本堂の逆鱗に触れたのだろう。本堂は眉間のシワを一層深くして聖に詰め寄った。

「聖」

「な、なに?」

「今度は台所だけじゃ済まさねえぞ」

「台所?」

 俊介は不思議に思って本堂に聞き返した。

 本堂はからかうように笑っているし、聖は赤面して黙ってしまった。一体なんなのだろう。

「なんだよ台所って?」

「い、いいの俊介は知らなくて!!」

 聖は無理やり話を切り上げると、トレーを持ってそそくさと席を立ってしまった。

 聖が慌ただしく出て行く様子を見て、本堂は至極楽しそうに笑っていた。

「なんだよ一体……」

「歳下の彼女は可愛くてな?」

「俺に対する嫌味か?」

「そうとも言うな」

 俊介はやれやれと呆れたように笑うと、席を立って聖の後に続いた。
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