とある企業の恋愛事情 -ある社長令嬢と家庭教師の場合-
約束していた日曜日。
待ち合わせに指定された駅で、聖は本堂が到着するのをまだかまだかと待ち侘びた。
待ち合わせ時間までまだ十分ほどあるが、緊張しているからか、それともこんな駅前で待ち合わせしたことがないからか、それとも挨拶に行くため気合を入れてきた格好が気になるからか、総会の時以上に緊張していた。
聖は思いつく限り清楚で綺麗めな格好をした。淡い色目のカーディガンとスカート、髪は明るく見えるようハーフアップにした。化粧はしているが、なるべく薄めを心がけた。手土産も持った。全てネットで得た知識だ。
約束の時間通りに来た本堂は、聖の姿を見るやいなや吹き出して笑った。
「お前なあ……ったく、まるで『お見本』だな」
「へ、変……?」
「いいや? ただそのいかにも挨拶に行きます! みたいにかしこまるな。普通にいつも通りにしてろ」
「わ、分かった……」
おかげで幾分緊張が解けたような気がする。ガチガチに固まっていた体は少し緩まった。
そこから二時間ほど電車に揺られた。
電車で向かった先は、聖が行ったことがない場所だった。
普通電車しか止まらないような駅名は聞いたこともない。結構な田舎だと聞いていたからある程度は想像していたが、どうやら思っていたよりも田舎だったようだ。
ひと昔前の、と言う表現がピッタリだろう。いつからか時が止まったような町並みは、確かに都会にはないものだ。駅前はガランとしていて、人は片手で足りるほどしか歩いていない。
「田舎だろ?」
本堂に聞かれて、そうだねと肯定するのは気が引けた。確かに、ここは田舎だった。
本堂に手を引かれて聖は歩き始めた。
商店街らしき通りにも人は少ない。主婦が自転車に乗って買い物から帰る姿や、小学生が走り回っている姿を見て、聖は別世界に迷い込んだような錯覚に陥った。藤宮邸にいたら、間違っても見ることのなかった光景だ。
本堂はしばらく歩いて、住宅街がある通りに入った。一戸建てが立ち並ぶ中を歩いて、一軒の家の前で立ち止まった。
表札には「本堂」と書かれていた。
白い外壁の一軒家は、門扉の外に小さな花壇があり、綺麗に手入れされていた。きっと本堂の母が嗜むのだろう。
本堂はインターホンも押さずにそのまま門扉を開けて中に入った。
「母さん、連れて来たぞ」
ただいまというわけでもなく、本堂はいきなり玄関を開けた。
バタバタと音を立てながら出て来たのは、五十代くらいに見える柔和な顔つきの女性だった。
「おかえりなさい。その方が──」
「初めまして。藤宮聖と申します。今日は突然お邪魔して申し訳ありません」
聖は取引先に挨拶するよりも緊張していた。本堂の母はにっこり笑って、聖の足元にスリッパを用意した。
「どうぞ、聖さん。本堂麗花と申します。狭い家ですけどゆっくりしてしてくださいね」
奥へと案内されて、本堂と共にリビングのソファに腰掛けた。
「ちょっと待っていて下さい、飲み物を持って来ますから」
「あの、良かったらどうぞ。詰まらないものですけれど……」
聖が持って来た手土産を渡すと、麗花は申し訳なさそうに言った。
「ご丁寧にありがとう。一緒に食べましょうね」
手土産を持った麗花が台所に消えて、聖はとりあえずホッと息をついた。思っていたよりもずっと優しい人物のようだ。
「ほらな? 心配いらねえだろ」
「そ、そんなこと言われたって初めて会うし緊張するわよ」
聖は初めて一般家庭の家、というものを訪れた。
今までは訪れた家はどれもが一般家庭ではなかったし、どれも藤宮家には劣るが大きな家ばかりだった。
聖は本堂の生家を見て、小さいとかそんなことよりもここで本堂が育ったんだという感動を覚えていた。むしろ自分の家にはなかったものがたくさん置いてあって面白いと思った。
「ごめんなさいね、あんまり片付いてなくって」
麗花はトレーの上にコーヒーとお茶、先ほど聖が渡したお茶菓子を乗せて、それをテーブルの上に置いた。
「ありがとうございます」
「それで? 一、ちゃんと母さんに報告があるでしょう?」
「聖と付き合ってる」
「そんなことは見たら分かるわよ。紹介してって言ってるの」
本堂は面倒臭そうに麗花に向き直って、淡々と説明し始めた。
「藤宮聖。二十八歳。藤宮グループの代表取締役。俺の上司。誕生日は十二月二十五日。血液型はA型。好きなものは煎餅」
本堂も恥ずかしいのか、いつもよりぶっきら棒に早口で説明した。母親の前にいるからかもしれない。
「……ごめんなさいね聖さん、息子がこんなで苦労かけたでしょう?」
「い、いえ……」
「息子が五年前に帰って来た時にあなたのことを教えてくれてね。どんな子かずっと気になっていたの。まさか藤宮グループのご息女だったなんて……」
「あ、あの。そのことですが本当に申し訳──」
聖が謝ろうと腰を浮かすと、麗花はやめて、というように制止した。
「いいのよ、うちの会社は元々潰れかけていたの。それに随分前のことだから。あなたが気にやむことはないし、それがトップに立つ者の務めなのよ」
麗花はすでに納得したのだ、と微笑んだ。
待ち合わせに指定された駅で、聖は本堂が到着するのをまだかまだかと待ち侘びた。
待ち合わせ時間までまだ十分ほどあるが、緊張しているからか、それともこんな駅前で待ち合わせしたことがないからか、それとも挨拶に行くため気合を入れてきた格好が気になるからか、総会の時以上に緊張していた。
聖は思いつく限り清楚で綺麗めな格好をした。淡い色目のカーディガンとスカート、髪は明るく見えるようハーフアップにした。化粧はしているが、なるべく薄めを心がけた。手土産も持った。全てネットで得た知識だ。
約束の時間通りに来た本堂は、聖の姿を見るやいなや吹き出して笑った。
「お前なあ……ったく、まるで『お見本』だな」
「へ、変……?」
「いいや? ただそのいかにも挨拶に行きます! みたいにかしこまるな。普通にいつも通りにしてろ」
「わ、分かった……」
おかげで幾分緊張が解けたような気がする。ガチガチに固まっていた体は少し緩まった。
そこから二時間ほど電車に揺られた。
電車で向かった先は、聖が行ったことがない場所だった。
普通電車しか止まらないような駅名は聞いたこともない。結構な田舎だと聞いていたからある程度は想像していたが、どうやら思っていたよりも田舎だったようだ。
ひと昔前の、と言う表現がピッタリだろう。いつからか時が止まったような町並みは、確かに都会にはないものだ。駅前はガランとしていて、人は片手で足りるほどしか歩いていない。
「田舎だろ?」
本堂に聞かれて、そうだねと肯定するのは気が引けた。確かに、ここは田舎だった。
本堂に手を引かれて聖は歩き始めた。
商店街らしき通りにも人は少ない。主婦が自転車に乗って買い物から帰る姿や、小学生が走り回っている姿を見て、聖は別世界に迷い込んだような錯覚に陥った。藤宮邸にいたら、間違っても見ることのなかった光景だ。
本堂はしばらく歩いて、住宅街がある通りに入った。一戸建てが立ち並ぶ中を歩いて、一軒の家の前で立ち止まった。
表札には「本堂」と書かれていた。
白い外壁の一軒家は、門扉の外に小さな花壇があり、綺麗に手入れされていた。きっと本堂の母が嗜むのだろう。
本堂はインターホンも押さずにそのまま門扉を開けて中に入った。
「母さん、連れて来たぞ」
ただいまというわけでもなく、本堂はいきなり玄関を開けた。
バタバタと音を立てながら出て来たのは、五十代くらいに見える柔和な顔つきの女性だった。
「おかえりなさい。その方が──」
「初めまして。藤宮聖と申します。今日は突然お邪魔して申し訳ありません」
聖は取引先に挨拶するよりも緊張していた。本堂の母はにっこり笑って、聖の足元にスリッパを用意した。
「どうぞ、聖さん。本堂麗花と申します。狭い家ですけどゆっくりしてしてくださいね」
奥へと案内されて、本堂と共にリビングのソファに腰掛けた。
「ちょっと待っていて下さい、飲み物を持って来ますから」
「あの、良かったらどうぞ。詰まらないものですけれど……」
聖が持って来た手土産を渡すと、麗花は申し訳なさそうに言った。
「ご丁寧にありがとう。一緒に食べましょうね」
手土産を持った麗花が台所に消えて、聖はとりあえずホッと息をついた。思っていたよりもずっと優しい人物のようだ。
「ほらな? 心配いらねえだろ」
「そ、そんなこと言われたって初めて会うし緊張するわよ」
聖は初めて一般家庭の家、というものを訪れた。
今までは訪れた家はどれもが一般家庭ではなかったし、どれも藤宮家には劣るが大きな家ばかりだった。
聖は本堂の生家を見て、小さいとかそんなことよりもここで本堂が育ったんだという感動を覚えていた。むしろ自分の家にはなかったものがたくさん置いてあって面白いと思った。
「ごめんなさいね、あんまり片付いてなくって」
麗花はトレーの上にコーヒーとお茶、先ほど聖が渡したお茶菓子を乗せて、それをテーブルの上に置いた。
「ありがとうございます」
「それで? 一、ちゃんと母さんに報告があるでしょう?」
「聖と付き合ってる」
「そんなことは見たら分かるわよ。紹介してって言ってるの」
本堂は面倒臭そうに麗花に向き直って、淡々と説明し始めた。
「藤宮聖。二十八歳。藤宮グループの代表取締役。俺の上司。誕生日は十二月二十五日。血液型はA型。好きなものは煎餅」
本堂も恥ずかしいのか、いつもよりぶっきら棒に早口で説明した。母親の前にいるからかもしれない。
「……ごめんなさいね聖さん、息子がこんなで苦労かけたでしょう?」
「い、いえ……」
「息子が五年前に帰って来た時にあなたのことを教えてくれてね。どんな子かずっと気になっていたの。まさか藤宮グループのご息女だったなんて……」
「あ、あの。そのことですが本当に申し訳──」
聖が謝ろうと腰を浮かすと、麗花はやめて、というように制止した。
「いいのよ、うちの会社は元々潰れかけていたの。それに随分前のことだから。あなたが気にやむことはないし、それがトップに立つ者の務めなのよ」
麗花はすでに納得したのだ、と微笑んだ。