とある企業の恋愛事情 -ある社長令嬢と家庭教師の場合-
 麗花は名残惜しそうに聖達を見送った。

 あれから随分話し込んで、聖も麗花と打ち解けることができたように思えた。

「また是非遊びにいらしてね」

「はい、麗花さんも是非遊びに来てください」

「あんまり無理すんな」

「一はちゃんと連絡くらい頂戴ね」

「するする。そのうちな」

「じゃあ、二人とも仲良くね」

 手を振る麗花に視線を残しながら、本堂の実家を後にした。

「義母さんと仲良くなれてよかった」

「ほらな。別に普通にしててよかっただろ」

「だって、はじめさんのお母さんって聞いたらすごく個性的な人かと思うじゃない」

「それは蛙の母は蛙って言いたいのか?」

「そうとも言うわね」

「言っとくが実家じゃあ真面目だったんだ。この性格になったのは家を出てからだ」

「じゃあ半分くらいは私のせい?」

「そうとも言うな」

 駅に向かって歩いていると思ったが、本堂は来た道とは別の道を歩き始めた。少し細い道を通って、コンクリートブロックの壁の間を抜けていく。

「はじめさん? どこに向かってるの?」

「ついでだ」

 本堂はしばらく緩やかな坂を登った。そこから少し歩いた先に、切り崩された山の斜面に建てられた集合墓地があった。

 墓地だと分かったのは、苔の生えた古い墓石のようなものが並んでいたからだ。本堂はそのまま墓地の中に入ると墓石の間を縫うように歩いて、一つの墓石の前で立ち止まった。そこには「本堂家之墓」と書かれていた。

「これって、はじめさんの家のお墓……よね」

「親父のな」

 本堂がその前にしゃがんで手を合わせたので、聖も続いて同じように手を合わせた。

「辞表を出したあと、ここにきたんだ」

「ここに?」

「……親父に言おうと思ったんだ。自分がやってきたことは、間違いだったのかって、迷ってたから────」

 本堂の表情は暗いものだった。あの本堂がそんな弱音を吐くなど信じられないことだが、それだけ彼は切羽詰まっていたのかもしれない。

「親父はな、俺が小学生の時に藤宮に融資を切られて自殺した。車道に飛び出て、車に轢かれたんだ」

 聖は絶句した。恨まれているのは知っていたが、そんな理由だったとは思いもしなかった。

 親を亡くしていれば、復讐されるのも道理だ────どう言葉をかけたらいいか分からず、項垂れた本堂の反応を待つしか出来なかった。

「ずっとそう思ってた。でも、母さんに本当の理由を聞いたんだ」

「………本当の理由?」

「融資を切られたのは本当だったが、借金はもともとあったんだ。家に帰らない親父を、俺はずっと忙しいからだと思ってたが……酒浸りになって、酔った拍子に、そうなったんだと」

「で、でも……うちの会社が融資を切らなければ────」

「そうかもしれねえが、今考えれば別に藤宮に切られようと同じだった。積み重なったものがそうなっただけで……俺は頭に血が上ってたからそれが分からなかったのかもな」

「そう……だったの」

 自分が直接した判断ではなかったとはえいえ、聖は心が痛んだ。それによって本堂は長い歳月を復讐に費やし、無駄にしてしまったのだから。

「でもな、そんなことよりも俺には大事なことがあったんだ」

「え?」

「親父のためにそうしたのに、出来なかった。聖、お前がいたからだ」

 聖は自分を指差した。

「お前が憎くて復讐しなきゃならねえのに、よりによってお前を好きになるなんてな」

 本堂は自分に呆れたように苦笑いした。

「お前を傷付けたくなかった」

「はじめさん………」

「だから、俺は選べなくて会社から逃げたんだ。復讐も、お前を好きになることも出来ねえ癖に、一丁前に嫉妬して苦しかった」

「ごめんなさい…………」

「お前が謝ることじゃねえだろ。あのタヌキならともかく……それに母さんが言うように会社の判断としては当然だ。本堂商事は当時業績が良くなかった。俺だってそう選択されたら融資を切った」

 聖は泣きそうになった。本堂はこうして自分を受け入れてくれたが、無理に過去を昇華しようとしているのではないか、と。

 本堂が家族を大事にしていることは先ほどの麗花とのやりとりを見ていれば分かる。親を自殺に追い込まれて激昂するのは当然だ。

 本堂は事実として受け入れようとしているが、聖にとってはあまりにもショックな事実だった。

 だが、本堂は聖の方を見ると優しげな表情で笑った。

「藤宮の会社に入って一番良かったことはな、聖……お前に会えたことだ」

「私……?」

「俺から一番遠いのに、俺の気持ちを理解できたのはお前だった。家庭教師にも────選ばれるとは思ってなかった」

「最初……はじめさんを家庭教師に選んだのは、変わった人だし面白そうって思ったの」

「だろうな。そうだと思って書いたんだ」

「でも、会ってみてあなたは確かに面白かったけど、今までの人と一つ違った。私を見る目が、鋭くて……まるで恨みのこもった目をしてた」

「そんな早くからバレてたのか?」

「だって、私の周りなんて媚を売ろうと必死になっている人ばかりだったから。はじめさんの目は印象的だったのよ」

 媚びへつらう目。権力に怯える目。顔は笑っていて、それをごまかそうとしている人間は山のように見てきた。

 だから隣に並べなくても分かったのだ。本堂の目が違うことが。

「この人は違うって思ったの。だって私を呼び捨てにするし、顎で使うし、こんなに馴れ馴れしくする人初めてだったから」

「憎しみ余ってついな」

「でも、それが嬉しかったんだ。私と本気で向き合おうとする人なんていなかったから。みんな一歩引いて見るの────藤宮のお嬢様って。はじめさんはそうしなかった。はじめさんの前だけはそうしなくても良かった。私にとって、すごく安心できる場所だったのよ」

 聖は少し戸惑いつつも、目の前にあった大きな胸に飛び込んだ。そしてその体をぎゅっと抱きしめた。

 安心できる場所────それは今も、だ。本堂はあの時から、何も変わっていない。こうしているだけで幸福な気持ちになれた。

「……聖」

「何?」

「藤宮を辞めて本堂になるか?」

 耳元で聞こえた言葉に、思わず顔を上げた。その表情はどこか照れ臭そうに口を歪めていて、聖がじっと見つめると目をそらしてしまう。

「それって……」

「……お前が嫌じゃなけりゃ本堂にならねえかって言ってんだ」

「その、それはつまり……復讐の続き?」

「んなわけねえだろ! 結婚申し込んでんだ馬鹿! 何回も言わせんな!」

「そ、それはそうだけど……重要なことだしちゃんと言ってくれないと」

「聖」

「は、はい!」

「……本堂聖になる気はあんのか?」

 またそんな上から目線で言われて、大事な告白なのにくすっと笑ってしまった。初めて会った時の彼のようで、それを思い出していた。

 あの時からずっと、人に媚びなくて、自分を貫いていて、何者にも屈しない────そんな本堂に憧れていた。

「なったらすごく楽しそうね」

「そりゃあもう」

「きっと毎日飽きさせないんでしょう?」

「当たり前だ」

「でも、そうじゃなくても私、はじめさんのお嫁さんになりたいな」

 きっと彼は相変わらず俺様で、あれこれ自分にわがままを言うのだろう。喧嘩もきっとするだろうし、ヤキモチを妬くこともあるかもしれない。

 でも最後は決まって、優しく抱きしめてくれるはずだ。

 聖、と名前を呼んで────。

「聖……俺を選んでくれてありがとう」


      -完-
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