竜の末裔と生贄の花嫁〜辺境の城の恋人たち〜
エピローグ
バルシュミット王国の隣に位置する、新興国アーベル。都からは離れているが、そこそこ大きな港町には、雑多なひとびとが集まってくる。
その賑やかな港を見下ろす小さな丘の上に、こじんまりとした家が建っていた。
「さあ、今日はここまでだ。気をつけて帰りなさい」
「はい、先生。ありがとうございました」
「先生、また明日ね」
「ああ、また明日」
何人かの子供たちが、わらわらと走り出て行く。ヴィルフリートも立ち上がって腰を伸ばし、奥の部屋へ通じる扉を開けた。
「お疲れ様、ヴィル。今日は賑やかでしたね」
「ああ、ハンスさんの家の子は元気だな」
手を止めたアメリアが、お茶を淹れてくれた。その賑やかな子供たちに根気強く書き取りを教えていたヴィルフリートは、それを一気に飲み干した。
アメリアが笑いながらお替りを注いだとき、遠慮がちに扉を叩く音がした。
「すまねえ、ヴィル先生。明日から北へ船を出したいんだが、嵐の気配はないかね」
この辺りの漁を取り仕切る、町では「親方」で通っている人物だ。ヴィルフリートは気軽に立ち上がり、外へ出て行く。
「ああ、三日ほどは何の問題もなさそうだよ。ただその後は時化が来そうだ。それほどではないが、出来れば早く戻ったほうがいい、親方」
「ありがてぇ、そうするよ」
親方は喜んで帰って行った。
二人が「竜の城」を出て、もうすぐ一年になる。
ギュンター子爵に紹介された人物を頼り、手配してくれた町を辿った。そしてついに国境を越え、ふた月ほどかかってこの町に辿りついた。
そして子爵の手紙にあった人物の伝手でこの家を手に入れると、フーゴはようやくバルシュミットへ帰って行った。
アメリアは早速働き始めた。今では町の婦人たちのよそ行きや、婚礼のためのドレスを請け負って仕立てている。この辺りにはない繊細なデザインだと好評だ。
「仕立てもお料理も、本当に役に立つ日が来るなんて思いませんでした」
義父の思い通りになるしかない人生への、ささやかな抵抗だった自立心。せっかく身につけても気休めにしかならないことは、心の中では分かっていた。
その自分が、愛する夫のために毎日料理を作り、ドレスの仕立てで収入を得るようになるとは、想像すらできなかった。
ヴィルフリートのほうは、さすがに町の暮らしになれるまで時間がかかった。だが、恐れていたほど自分の容姿が人目を引かないらしいと分かると、徐々に町のあちこちや人々の暮らしを眺めて歩くようになった。
その途中で例の親方に話しかけられ、何気なく天候を読んでやったのが評判になり、今では漁師や農家が何かと相談に来る。近ごろはその親方の世話で、子供たちに読み書きを教えるようにもなっていた。
「私もだ。こんなに沢山の人に囲まれて暮らすようになるとは、思いもしなかったよ」
高価な花の香りのお茶は飲めなくなったけれど、この地方の果物を浮かべたお茶はそれに勝るとも劣らない。ささやかな居間で、二人はおだやかに微笑んだ。
その賑やかな港を見下ろす小さな丘の上に、こじんまりとした家が建っていた。
「さあ、今日はここまでだ。気をつけて帰りなさい」
「はい、先生。ありがとうございました」
「先生、また明日ね」
「ああ、また明日」
何人かの子供たちが、わらわらと走り出て行く。ヴィルフリートも立ち上がって腰を伸ばし、奥の部屋へ通じる扉を開けた。
「お疲れ様、ヴィル。今日は賑やかでしたね」
「ああ、ハンスさんの家の子は元気だな」
手を止めたアメリアが、お茶を淹れてくれた。その賑やかな子供たちに根気強く書き取りを教えていたヴィルフリートは、それを一気に飲み干した。
アメリアが笑いながらお替りを注いだとき、遠慮がちに扉を叩く音がした。
「すまねえ、ヴィル先生。明日から北へ船を出したいんだが、嵐の気配はないかね」
この辺りの漁を取り仕切る、町では「親方」で通っている人物だ。ヴィルフリートは気軽に立ち上がり、外へ出て行く。
「ああ、三日ほどは何の問題もなさそうだよ。ただその後は時化が来そうだ。それほどではないが、出来れば早く戻ったほうがいい、親方」
「ありがてぇ、そうするよ」
親方は喜んで帰って行った。
二人が「竜の城」を出て、もうすぐ一年になる。
ギュンター子爵に紹介された人物を頼り、手配してくれた町を辿った。そしてついに国境を越え、ふた月ほどかかってこの町に辿りついた。
そして子爵の手紙にあった人物の伝手でこの家を手に入れると、フーゴはようやくバルシュミットへ帰って行った。
アメリアは早速働き始めた。今では町の婦人たちのよそ行きや、婚礼のためのドレスを請け負って仕立てている。この辺りにはない繊細なデザインだと好評だ。
「仕立てもお料理も、本当に役に立つ日が来るなんて思いませんでした」
義父の思い通りになるしかない人生への、ささやかな抵抗だった自立心。せっかく身につけても気休めにしかならないことは、心の中では分かっていた。
その自分が、愛する夫のために毎日料理を作り、ドレスの仕立てで収入を得るようになるとは、想像すらできなかった。
ヴィルフリートのほうは、さすがに町の暮らしになれるまで時間がかかった。だが、恐れていたほど自分の容姿が人目を引かないらしいと分かると、徐々に町のあちこちや人々の暮らしを眺めて歩くようになった。
その途中で例の親方に話しかけられ、何気なく天候を読んでやったのが評判になり、今では漁師や農家が何かと相談に来る。近ごろはその親方の世話で、子供たちに読み書きを教えるようにもなっていた。
「私もだ。こんなに沢山の人に囲まれて暮らすようになるとは、思いもしなかったよ」
高価な花の香りのお茶は飲めなくなったけれど、この地方の果物を浮かべたお茶はそれに勝るとも劣らない。ささやかな居間で、二人はおだやかに微笑んだ。