竜の末裔と生贄の花嫁〜辺境の城の恋人たち〜
 扉が閉まる音を聞くと、アメリアはカップを置いた。

 ――まさか、竜の花嫁になるなんて。

 輝かしい歴史を誇るバルシュミット王国の、王家にのみ伝わる影の部分がこれであった。何十年かに一度、王家の血を引く娘が「花嫁」して王都から消えている。これについては当人も家人も世間に漏らすことはなく、ただ「竜の花嫁になった」ことだけが伝えられてきたようだ。

 この奇妙な言い伝えは王国の子どもたちが一度は興味を覚えることでもあるが、同時にそれについて騒ぐことは親達によって厳しく戒められる。そのせいで触れてはならぬ闇はますます深くなるのだが、禁忌とはそういうものなのだろう。
 
 昔アメリアも子どもじみた興味から、重い「バルシュミット王国建国史」をひもといてみたことがある。
 だが建国史には「初代ゲオルグは竜の加護を得て国を興した」と記録されているだけで、竜に関する記述はそれだけだった。いわゆる「竜の花嫁」という慣習についても、何も記されていない。

 王宮の書庫にでも入らせてもらえれば、きっとたくさんの資料があるのだろう。しかしもちろん、官吏でも学者でもないアメリアが入れる筈もない。

「竜が成年を迎えると、王家の血を引く娘を『生贄』として捧げる……か」

 知られているのはこれだけだ。

 ――本当に、この世に竜がいるのかしら。

 真実も分からないまま「選ばれた」などと言われても、現実感がない。

 それより今のアメリアには、どうにも静めることの出来ない気持ちがあった。
 紅茶のカップを置き、アメリアはため息をつく。たったひとつの贅沢だというのに、今日の紅茶はまったく味わうことができそうにない。

「――何が『王家の血』よ。とんだ大安売りもあったもんだわ」

 アメリアの口から、貴族の令嬢らしからぬ言葉が飛び出した。

 アメリアの瞳は非常に明るい黄緑色だ。光の加減によってはほぼ金色に見える、それは王家の血を引く者にだけ出る独特の色。この色が明るければ明るいほど、王家の特徴を強く受け継いでいると言えた。

 アメリアと義父カレンベルク伯爵の間には、血のつながりはない。
 母のエリーゼは若いころ、貴族の娘の行儀見習いの目的で侍女として王宮へ出た。そこで先王の手がついて愛妾となり、アメリアを産んだ。
 そして娘を産んだ後、エリーゼはアメリアごとカレンベルク伯爵に下賜されたのだ。伯爵も喜んで受けたとは聞いているが、かなりの養育料と王宮での地位を約束されれば、義父のような男なら誰とでも結婚しただろう。

 愛妾の子とはいえ、先王の血を引く娘だ。本来ならばもっと厚遇されても良さそうなものだが、この国ではそうではない。現在のこの国では、その瞳も別段珍しくはないからだ。なにしろ宮廷には、アメリアのような――先王の息子や娘がごろごろいる。王家の血を引くぐらいでは、ありがたがる者などなかった。

 カレンベルク伯爵は、アメリアに伯爵令嬢として恥ずかしくない、何不自由ない生活をさせてくれた。もちろんそれには感謝している。だが父親らしい愛情をかけられたことは一度もなかったし、下賜された妻にも、伯爵は笑顔など見せたことなどない。
 それでも夫妻の間には、弟のハインリヒが生まれている。だが伯爵は実の息子に対しても、跡取りとして教育には力を入れているが、さほど愛情を示したことはない。

 その義父に対して、母は完全に言いなりで、逆らったところなど見たことがない。昔からそういう人なのだろう。常に伯爵の顔色を伺ってビクビクしていて、実の娘であるアメリアに対しても、それほど深く関わろうとしなかった。

 そんな二人を見て育ったアメリアは、とっくの昔に愛だの恋だのを夢見ることなどなくなっていた。
 例え誰かと結婚しても、どうせ政略結婚なのだ。愛情を育むなどということはきっと無理に決まっている。それだったら初めから、何も期待しない方が良い。
 そう思って、未来に余計な期待などしないよう、自分に言い聞かせてきたアメリアだった。

 伯爵にはもともと何の期待もないから、何とも思わない。だがさすがに、エリーゼは産みの母なのだ。母親が何一つかばってくれなかったことが心に堪えた。自分の身のことよりも、そのほうが辛い。

 涙を流してはいたけれど、義父に抗議はもちろん、アメリアに言葉をかけてくれることもなかった。
 どうせもう「夫が言うのだから仕方がない」と、諦めてしまっているに違いないのだ。

 ――何か一言くらい、言ってくれてもいいのに。
 
 ちょっとでも期待してしまった、自分が馬鹿なのだろうか。娘が生贄になろうというのに、ただ黙って涙を流すだけの母親。それが普通なのかしら……?

「お母様のばか」

 こらえきれず、アメリアはテーブルに顔を伏せる。肩が震え、紅茶のカップに涙がぽたりと落ちた。
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