竜の末裔と生贄の花嫁〜辺境の城の恋人たち〜
そのギュンター子爵は、近頃誰かが自分の周りを嗅ぎまわる気配を感じていた。
「……やはり出たか」
苦々しげにつぶやく。奴らがいずれは自分に目をつけるだろうことは予測していた。役目柄とはいえ、年に二度遠出している自分が目につかぬわけがない。少なくとも後をつけて、関係があるのか否か見定めようとするだろう。
少し優秀な手下を使って噂を頼りに街道を辿れば、ある程度のところまでは突き止められるかもしれない。
そろそろヴィルフリートのところへ手紙を届けなくてはならないが、これでは厳しいだろうか。
子爵はベルを鳴らして部下を呼び、長い間話し合っていた。
ヴィルフリートの言ったとおり、その後数日は冬に戻ったような肌寒い日が続いた。
ある時ヴィルフリートは、暖炉の前で刺繍をしていたアメリアが、手を止めて何やら考えこんでいるのに気づいた。
「アメリア、どうかしたのか?」
アメリアは刺繍を片付け、ヴィルフリートに向き直った。
「ヴィル様、私……。いつかの本を読んでもかまいませんか?」
「いつかの……ああ、あれか」
まだ二人の気持ちが通じ合う前に、図書室で見つけた小さな本。
「あれには『竜の末裔』のことが書かれていると、あの時ヴィル様はおっしゃいました。まだ私には荷が勝ちすぎる、とも」
「ああ、そう言ったね」
「今の私では、まだ知ってはいけませんか?」
明るい黄緑色の瞳が、ひたとヴィルフリートを見据えた。
少女のころ、義父の思うとおりに嫁がされるだろう運命を、受け入れるしかなかった自分。それでも人生すべてを諦めたくはなく、その後に賭けて料理や裁縫など、貴族らしからぬ技術を身につけてきた。
そんな彼女には、不穏な気配を感じながら何も分からないままでいるのが耐えられなかったのだ。
「読んだところで、何のお役にもたてないかもしれません。でも、知らないよりはと思うのです。ただ守られているのは……嫌です」
「アメリア……」
膝の上で握りしめた両手が、白くなっていることにヴィルフリートは気づいた。どれほどの思いでそう言ってくれるのか……、彼はそっとその手を包んだ。
「ありがとう、アメリア。――ならば、私も読もう。二人で一緒に」
アメリアの顔に安堵が広がった。強張っていた頬が緩む。
「はい、ヴィル様。一緒に」
ヴィルフリートが包んだ両手にそっと口づけると、アメリアも彼の手に口づけを返した。そして揃って立ち上がると、そのまま両手をしっかりと繋いで、寄り添って図書室へ向かった。