キスで捕らえて離さない。





「あ、あの……あなた、誰ですか」


 ひくりと喉の奥が詰まり、顔からサァッと血の気が引く。


 薄暗くドブ臭い路地、ひび割れた古いビルの壁に寄り掛かり尻餅をつく、制服姿の私……の目の前には。



「酷いなぁ、覚えてないんだ」



 さっきまで私を追いかけ、襲おうとした男をのして、その男の頭を踏みつける、猛獣のような恐ろしい雰囲気を纏った美男子。


 その人は私に視線向け、口角をキュッと上げた。


 ウェーブの掛かった艶のある黒髪、切長で涼しげな目元、色気を引き立たせる泣きぼくろ、人形のように白く艶のある肌。


 身長も高く、180センチ以上はありそうだ。手脚が長くてスタイルが良く、テレビでよく観るモデルにも見える。


 こんな近寄り難い雰囲気の人間、私の知り合いにはいない。



「愛菜」



 名前を呼ばれ、ザリッと地面を踏みしめる音が路地に響く。

 私が肩をびくつかせると、男は片膝を地面につき、私に視線を合わせると、頬に触れてきた。



「怪我はない?」
「は、はいっ……」
「本当によかった」



 私の名前を何故知っているんだろうとか、一発で大男を倒してしまえるほどの蹴りのこととか、聞きたいことはたくさんあるのに、あまりにも優しく、愛おしいものを見るような目を向けられ、言葉が出なかった。


 この人が来なかったら、私はきっと倒れている男に酷いことをされていた。部活で遅くなった暗い帰り道、路地に連れ込まれたところを運良く救ってもらい、感謝しかない。


 けど、この人は本当に誰なんだろう。


 覚えていないっていうことは、会ったことがあるってことだよね。私が目の前の人を見つめながら考えていると、くすりと笑われる。



「愛菜は、昔から変わらないね。隙だらけ」
「あの、えと……」
「光喜だよ、みつよし。幼稚園一緒だっただろ?」
「えっ、待って、みっちゃん?!」



 うそ、みっちゃんって……あの可愛かったみっちゃん?


 幼稚園時代、いつもメソメソ泣いていて、私の後ろに隠れてばかりだったみっちゃん。ふわふわの髪の毛に、お人形みたいな白い肌。女の子みたいに可愛いからいつも男子にからかわれてて、みっちゃんのお姉さん気分だった私が守ってた。


 けど、年長になったある日転園していったんだ。あの時は二人でわんわん泣いたっけ。


 私は久々の再会が嬉しくて、頬に触れるみっちゃんの大きな手の上から、自分の手を重ねる。



「わぁっ……!みっちゃんすごくかっこよくなったね…!!昔はあんなに可愛かったのに」
「かっこよくなった?嬉しいな」
「モデルさんみたいだよ。すごいなぁ、モテモテでしょ?」
「さぁ、どうかな」



 みっちゃんら手を握り、きゃっきゃと喜ぶ私を見つめうっそりと微笑む。


 なんて色気のある笑みなんだろう。私はハッと正気に戻り、みっちゃんの手を放す。



「あ、ごめん……こんな場所で、こんな風にはしゃいじゃって」
「ううん、全然気にしないでいいよ。愛菜が喜んでくれると俺も嬉しいし」
「……そうなの?」
「うん。ずっと会いたかったからね」



 すると、みっちゃんは私の両頬を大きな手で包み、親指でするりと唇をなぞった。


 これはどう言う状況なんだろう。みっちゃんなりに再開の喜び方なのかな?


 というか、今結構遅い時間帯だよね?こんなことしてる場合じゃない。



「みっちゃん、そろそろ帰らなきゃ──」
「約束、守ってもらいにきたよ」
「えっ」
「離れ離れになったとき、俺が誰よりも強くなったら、俺だけの愛菜になってくれるって約束したからね」
「……みっちゃん?」



 唇をなぞる指が離れ、瞬きをした次の瞬間、みっちゃんの薄い唇が私の唇に重ねられた。


 その余裕を感じさせる姿からは想像出来ないような熱を持ったキスに、私は驚き目を見開く。


 抵抗する間もなく、私の両手は自由を奪われ壁に縫い付けられてしまい、みっちゃんの唇が何度も角度を変え、私の唇を堪能するように重ねられる。


 思考が蕩けてしまいそうなキスに散々翻弄され、息が上がった頃にやっと私は解放される。


 待って、どういうこと?みっちゃんだけの私って、何?



「全く覚えてないって顔だね」
「……ご、ごめんなさい」
「いいんだ。これから嫌でも思い出させる」



 みっちゃんはあんなにすごいキスをしておいて、余裕そうに笑みを浮かべている。


 しかし、その目はギラついていて、私を決して逃しはしないという強い意思を感じた。

 
 けど待って、引っかかる。誰より強くなるって……?え?喧嘩の話?え?



「光喜〜〜!!」



 その時、バタバタと遠くから何人かの足音が迫ってくる。


 そして、それは私とみっちゃんのすぐ側でピタリと止まった。恐る恐る見上げると、見るからに派手でやんちゃそうな見た目の男の人達が数人、こちらを見下ろしていた。


 そして、そのうちの一人が口を開く。



「その子が愛菜ちゃん?」
「……そうだよ。あんまり見ないでくれる?俺だけの物だから」



 問に対して返答をする声があまりに冷たくて、その場が凍りつく。


 それに、俺のものって……。もしかして、私のこと?


 突然身体がふわりと浮き、気付くと私はみっちゃんに抱き上げられていた。その細い身体で軽々と、純粋にすごいけど……恥ずかしい!!



「ちょっ!!みっちゃん?!」
「なに?」
「降ろして!自分で歩くからっ」
「無理。もう絶対に離さない」



 みっちゃんの声はどこか切なそうで、私は思わず黙る。


 しかし、次に続いた言葉で私は凍りついた。



「今日から、ずうっと一緒だよ?」
「へ?」
「結婚を前提に、一緒に住もうね。もう愛菜の部屋は用意してあるんだ」



 言葉を失う。


 後から知ったけど、みっちゃんは有名企業赤馬建設の息子で、勉強をする傍ら私との約束を果たす為、様々な武術を片っ端から習い、地元の力自慢達と喧嘩をし勝ち続け、気付けばこの辺を取り仕切る暴走族の総長に成り上がっていたらしい。


 因みに今の地位に執着はないらしいが、みっちゃんに勝てる相手が居ないからそこに留まっているしかないらしい。
 


「たくさん勉強してるのも、強くなったのも、将来誰にも邪魔されないくらい愛菜を幸せにする為だよ」
「怖いよ重いよ頑張り方間違えてるよ」
「ん?もっとキスして欲しいって?」
「ひっ」
「安心して、これからは毎日してあげるからね」


 だだっ広いマンションに二人きり、私の平穏がガラガラと崩れ落ちる音がした。




『キスで捕らえて離さない』おわり

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