とある企業の恋愛事情 -受付嬢と清掃員の場合-
金曜の夜、美帆は文也に誘われて食事に出掛けた。
相変わらず悩みは消えないが、文也はデートだけは誘ってくれる。だから美帆もそこから発展しないかと毎度期待しているのだが、残念ながら目標には至らない。まったくもって健全なお付き合いだった。
文也は目の前で楽しそうに喋っている。美帆の意識は文也とは別のところにあった。
────やっぱり、文也さんの様子がおかしい。私のこと嫌いになったの? それとも飽きた? なんで何もしないの?
「美帆、ここのデザート好きやったやろ? 頼まんでええん?」
「…………」
「美帆?」
「え?」
気がつくと目の前で文也が手を振っている。どうやらぼうっとしていたらしい。
「なんか今日はずっと上の空やけど……仕事でなんかあったん?」
文也は心配そうだ。だが、それを見て美帆は少し腹が立った。
────仕事じゃなくて、あなたのせいですけど。
だが、もちろん正直に言う勇気などない。ニコニコ笑って文也の話に相槌を打つだけだ。楽しいのにどこか虚しい。
「……無理せんでええから、今日はもう帰ろ。飯なんていつでも来れるし」
「別に疲れてるわけじゃ……」
「俺のことは気にせんでええから」
全くもって伝わらない。文也は自分が疲れていると勘違いしているようだ。
確かに疲れているが、そうではない。せっかくの金曜日だ。もっと一緒にいたい。なのにどうして文也は誘ってくれないのだろう。
店の外へ出て、文也は駅まで送ると言ってくれた。ちっとも帰る気になれないのに足は駅の方へと進んでいく。美帆の機嫌は右肩下がりだ。
相変わらず、文也は隣を歩いているのに手も繋がない。そのせいでしかめっ面が余計に酷くなりそうだった。
「……っ美帆」
ぼんやり下を向いて歩いていると、文也の手が突然美帆の肩を掴んだ。文也の方に引き寄せられると、後ろから来た自転車が勢いよく前方へ走り抜けた。
「あっぶな……ったく、全然見てへんな」
肩を掴まれただけなのにドキドキした。肩ぐらいでドキドキするなんて小学生みたいだが、いつぶりかも分からない。だから余計に緊張した。つい力が入ってしまう。
だが、美帆が見ていると文也はあっと気が付いたように手を勢いよく離した。
「っごめん」
────ごめん?
その瞬間、美帆の頭の線がいくらかブチんと音を立てて切れた。
────ごめんって何? 触っただけでも駄目なの? なんで? そんなに嫌われてる?
「そんなに気を使うなら……もう会って頂かなくても結構です」
ぼそっと呟くと、美帆は盛大に文也を睨みつけてくるりと背を向けた。
感情的に怒るのは好きではない。だが、これではあんまりだ。
自分は文也が対等に接してくれるから好きだったのだ。それをまるで接待みたいにされてもちっとも楽しくない。
やっぱり、文也はただ気を遣って誘ってくれただけなのだ。騙したことに罪悪感を感じてるなら謝罪だけで結構だ。こんなふうにデートに誘われたら勘違いしてしまう。
「美帆! 待って、なんで怒ってるん」文也はせかせか歩く美帆の横に並んだ。
「ついてこないで下さいっ」
「放っておけるわけないやんか! 俺がなんかしたならちゃんと────」
怒った顔のままぐるりと横を向く。焦っている顔の文也がいた。まるでわかっていない「大馬鹿男」にまた怒りが湧く。
「私のこと好きじゃないならこれ以上付き纏わないで下さい!」
「な────そんなわけないやんか。なんでそんなこと言うねん」
「……言いたくありません」
どうして女性の方からそんなことを言わなければならないのだろう。文也の頭は小学生なのだろうか。
「言いたくないじゃわからへんやん。俺がなんかしたなら謝るから」
「……何もしなかったじゃないですか」
この後に及んでふざけたことばかり言うのはどの口だろうか。頬を思い切り横に引っ張ってやりたい気分だ。
「一緒にいるのに手も繋がない。キスもしない。挙げ句の果てにちょっと触っただけで大袈裟に驚いたりして、私をなんだと思ってるんですか。取引先の社長じゃないんですよ。なんで……」
美帆はなんだか自分が情けなくなった。こんなことで怒るなんて子供っぽい。けれどどうしようもなく腹が立った。
声が聞こえてこない。ふと見ると、文也はぽかんとした顔で突っ立っていた。なんとも間の抜けた顔だ。
「なんとか言ってください。謝罪のつもりで一緒にいるのならもうこれきりにしましょう」
「ま────待ってや。いや、ちゃうねんって! 俺は別にそういうつもりで一緒にいたんやない。ほんまに美帆のこと好きやから一緒にいたいと思って誘ってんけど……その……」
「なんです。ハッキリ言ってください」
「……騙してた手前、あんまり前みたいにベタベタしたら信用してもらえんと思ってん。理由はどうあれ美帆を傷付けたわけやし、信用してもらえるように誠実になろうと思って、それで……」
つまり意図的に我慢していた、ということだろうか。
文也の罰が悪そうな顔を見ているうちに、美帆の頭もだんだん冷静さを取り戻してきた。真面目に怒っていたことがなんだか恥ずかしくなってくる。
「……てっきり、焦らしプレイが好きなのかと」
「んなわけないやろ! 好きちゃうわ! 焦らす暇あったらさっさと────いや、なんでもないわ」
「勝手に勘違いして……すみませんでした」
「いや……俺も、ごめん」
そこそこ大人で二人とも賢いはずなのに、どうしてこんな馬鹿みたいなやり取りばかりしているのだろう。おマヌケ全開のやり取りを思い出すとなんだか滑稽だ。
「俺、優しい男全然向いてへんな。身に染みたわ」
「そんなことないですよ。ただ、ちょっと物足りないですけど」
「触ってもらわれへんくて美帆は寂しかったん?」
久しぶりにニヤニヤした視線を向けられた。いつもなら怒っているところだが、今日はそんな気にもなれない。自分はこういう文也が嫌いではないのだ。
「別にいいんですよ。文也さんが誠実になりたいならお好きにどうぞ」
「なんでそんな我慢大会せなあかんねん。もう懲り懲りやわ」
「誠実な男性を目指すんでしょう?」
「美帆と一緒におったら無理」
言ったそばから腕が絡め取られて細い指が手に合わさった。久しぶりなのによく馴染む。
一般的な誠実とは違うかもしれない。だが、自分たちにとってはこれがそうだ。美帆もそっと文也の指の自分の指を絡めた。
相変わらず悩みは消えないが、文也はデートだけは誘ってくれる。だから美帆もそこから発展しないかと毎度期待しているのだが、残念ながら目標には至らない。まったくもって健全なお付き合いだった。
文也は目の前で楽しそうに喋っている。美帆の意識は文也とは別のところにあった。
────やっぱり、文也さんの様子がおかしい。私のこと嫌いになったの? それとも飽きた? なんで何もしないの?
「美帆、ここのデザート好きやったやろ? 頼まんでええん?」
「…………」
「美帆?」
「え?」
気がつくと目の前で文也が手を振っている。どうやらぼうっとしていたらしい。
「なんか今日はずっと上の空やけど……仕事でなんかあったん?」
文也は心配そうだ。だが、それを見て美帆は少し腹が立った。
────仕事じゃなくて、あなたのせいですけど。
だが、もちろん正直に言う勇気などない。ニコニコ笑って文也の話に相槌を打つだけだ。楽しいのにどこか虚しい。
「……無理せんでええから、今日はもう帰ろ。飯なんていつでも来れるし」
「別に疲れてるわけじゃ……」
「俺のことは気にせんでええから」
全くもって伝わらない。文也は自分が疲れていると勘違いしているようだ。
確かに疲れているが、そうではない。せっかくの金曜日だ。もっと一緒にいたい。なのにどうして文也は誘ってくれないのだろう。
店の外へ出て、文也は駅まで送ると言ってくれた。ちっとも帰る気になれないのに足は駅の方へと進んでいく。美帆の機嫌は右肩下がりだ。
相変わらず、文也は隣を歩いているのに手も繋がない。そのせいでしかめっ面が余計に酷くなりそうだった。
「……っ美帆」
ぼんやり下を向いて歩いていると、文也の手が突然美帆の肩を掴んだ。文也の方に引き寄せられると、後ろから来た自転車が勢いよく前方へ走り抜けた。
「あっぶな……ったく、全然見てへんな」
肩を掴まれただけなのにドキドキした。肩ぐらいでドキドキするなんて小学生みたいだが、いつぶりかも分からない。だから余計に緊張した。つい力が入ってしまう。
だが、美帆が見ていると文也はあっと気が付いたように手を勢いよく離した。
「っごめん」
────ごめん?
その瞬間、美帆の頭の線がいくらかブチんと音を立てて切れた。
────ごめんって何? 触っただけでも駄目なの? なんで? そんなに嫌われてる?
「そんなに気を使うなら……もう会って頂かなくても結構です」
ぼそっと呟くと、美帆は盛大に文也を睨みつけてくるりと背を向けた。
感情的に怒るのは好きではない。だが、これではあんまりだ。
自分は文也が対等に接してくれるから好きだったのだ。それをまるで接待みたいにされてもちっとも楽しくない。
やっぱり、文也はただ気を遣って誘ってくれただけなのだ。騙したことに罪悪感を感じてるなら謝罪だけで結構だ。こんなふうにデートに誘われたら勘違いしてしまう。
「美帆! 待って、なんで怒ってるん」文也はせかせか歩く美帆の横に並んだ。
「ついてこないで下さいっ」
「放っておけるわけないやんか! 俺がなんかしたならちゃんと────」
怒った顔のままぐるりと横を向く。焦っている顔の文也がいた。まるでわかっていない「大馬鹿男」にまた怒りが湧く。
「私のこと好きじゃないならこれ以上付き纏わないで下さい!」
「な────そんなわけないやんか。なんでそんなこと言うねん」
「……言いたくありません」
どうして女性の方からそんなことを言わなければならないのだろう。文也の頭は小学生なのだろうか。
「言いたくないじゃわからへんやん。俺がなんかしたなら謝るから」
「……何もしなかったじゃないですか」
この後に及んでふざけたことばかり言うのはどの口だろうか。頬を思い切り横に引っ張ってやりたい気分だ。
「一緒にいるのに手も繋がない。キスもしない。挙げ句の果てにちょっと触っただけで大袈裟に驚いたりして、私をなんだと思ってるんですか。取引先の社長じゃないんですよ。なんで……」
美帆はなんだか自分が情けなくなった。こんなことで怒るなんて子供っぽい。けれどどうしようもなく腹が立った。
声が聞こえてこない。ふと見ると、文也はぽかんとした顔で突っ立っていた。なんとも間の抜けた顔だ。
「なんとか言ってください。謝罪のつもりで一緒にいるのならもうこれきりにしましょう」
「ま────待ってや。いや、ちゃうねんって! 俺は別にそういうつもりで一緒にいたんやない。ほんまに美帆のこと好きやから一緒にいたいと思って誘ってんけど……その……」
「なんです。ハッキリ言ってください」
「……騙してた手前、あんまり前みたいにベタベタしたら信用してもらえんと思ってん。理由はどうあれ美帆を傷付けたわけやし、信用してもらえるように誠実になろうと思って、それで……」
つまり意図的に我慢していた、ということだろうか。
文也の罰が悪そうな顔を見ているうちに、美帆の頭もだんだん冷静さを取り戻してきた。真面目に怒っていたことがなんだか恥ずかしくなってくる。
「……てっきり、焦らしプレイが好きなのかと」
「んなわけないやろ! 好きちゃうわ! 焦らす暇あったらさっさと────いや、なんでもないわ」
「勝手に勘違いして……すみませんでした」
「いや……俺も、ごめん」
そこそこ大人で二人とも賢いはずなのに、どうしてこんな馬鹿みたいなやり取りばかりしているのだろう。おマヌケ全開のやり取りを思い出すとなんだか滑稽だ。
「俺、優しい男全然向いてへんな。身に染みたわ」
「そんなことないですよ。ただ、ちょっと物足りないですけど」
「触ってもらわれへんくて美帆は寂しかったん?」
久しぶりにニヤニヤした視線を向けられた。いつもなら怒っているところだが、今日はそんな気にもなれない。自分はこういう文也が嫌いではないのだ。
「別にいいんですよ。文也さんが誠実になりたいならお好きにどうぞ」
「なんでそんな我慢大会せなあかんねん。もう懲り懲りやわ」
「誠実な男性を目指すんでしょう?」
「美帆と一緒におったら無理」
言ったそばから腕が絡め取られて細い指が手に合わさった。久しぶりなのによく馴染む。
一般的な誠実とは違うかもしれない。だが、自分たちにとってはこれがそうだ。美帆もそっと文也の指の自分の指を絡めた。