とある企業の恋愛事情 -受付嬢と清掃員の場合-
 六月に入ると、産休を取っていた青葉がある程度仕事に復帰するようになった。美帆は相変わらず兼業だが、週に何度かは受付の仕事に戻れることになた。

「なんだか久しぶりすぎてミスしそう」

 もう何ヶ月ぶりだろうか。あまりにも久しぶりすぎて制服を着るのも新鮮に思える。

「何言ってるの。頼りにしてるよ、主任」

「ミスしたらカバーはよろしく。じゃあ、ミーティングを始めます。今日は────」

 パソコンに打ち込まれた予定表を見ながら美帆はある行事に視線を留めた。今日は中途採用試験がある。

 藤宮コーポレーションでは毎年中途採用試験を行なっている。受付は場所を案内したり入館証を渡したり受験者と接する機会は多い。だから割とバタバタすることになるだろう。

「じゃあ、今日は総合受付(こっち)の方が大変かもね」

「美帆久しぶりでしょ? よろしく」沙織が親指を立てる。

「ちょっと沙織、なに遠慮しているの。去年だってイケメンウォッチングだって言って張り切ってたでしょ」

「今は旦那様がいますから」

「まったく……じゃあ、私こっちに行くね」

 とはいえ、中途採用試験の受験者はそう多くない。ある程度は書類で落とされているため、多くても数十名だ。ただ受験前の時間は混み合うためいつもより大変になるというだけで────。

 そのため、朝の配置だけを多めにして午後は少なくした。美帆は詩音、瀬奈と一緒に総合受付に立った。

 試験は午前十一時からだ。筆記と面接があるため午後までかかる。

 午前十時半ごろになると受付は次第に混み始めた。

 藤宮コーポレーションの中途採用を受けようと思っっている人間だから、やはりきっちりかっちりした者が多い。シワひとつないスーツ。ピカピカに磨かれた革靴。上品にまとめられた髪。《《浮いてない》》口紅。

 今年も気合が入っているな、と美帆は思った。

「ほんっと、毎年のことですけど大激戦ですね」

「誰が受かると思います?」

 詩音と瀬奈は受験生を見ながら楽しげに話す。

 藤宮コーポレーションの社員達は基本的に有名大学出身の人間が多い。最近はそうでもないらしいが、先代社長の頃は就職は大学選びからスタートしていると言われたほどだ。

 美帆も一応そういった大学を出ていたため、なんとか合格できた。

 今回はどんな人物が受かるのだろうか。瀬奈と詩音は隣でデザートを賭け始めた。

「美帆さんは誰が受かると思いますか?」

「うーん……みんな賢そうに見えるからね」

 ふと、エントランスから入ってきた男性が受付に近付いてきた。美帆達はすかさず挨拶をした。

「こんにちは。中途採用を受けに来たのですが……」

 紺のスーツを着た男性は爽やかな笑みを向けた。それを見て美帆は何か感じた。

 ────あれ? なんだか見覚えがあるような……。

 その答えが出る前に、男性の方が美帆を見てあっと驚いた。

「え、美帆か?」

「えっ」

「俺だよ。良樹(よしき)

 その名前を聞いた瞬間、美帆はえっ、と驚いた。

「え……なんで良樹がこんなところにいるの?」

「就労ビザが切れたんで戻ってきたんだよ。俺もこっちで永住したいからな」

「そうだったんだ……」

「美帆さん、えっと……この方は?」

 詩音達は突然和気藹々と話し始めた美帆と良樹を見てぽかんとしていた。

「えっと……彼は瀬尾(せお)良樹。私の大学の先輩」

「へえ、美帆さんの先輩だったんですね」

「大学卒業してドイツに行ってたの。まさかこんな所で会うなんて……」

「でも、さっき中途採用を受けにきたって仰ってませんでしたか?」

「そうなんです。日本に帰って来てしばらくは遊んでたんですけど、いつまでもそういうわけにはいかないので。でもまさか美帆が受付にいるとは思わなかったな。藤宮を受けたのは知ってたけど……」

「そう、ベテラン受付嬢になったの」

「はは。じゃあ、合格したら美帆と同じ会社で働くことになるのか」

「それはいいけど、試験でしょう? 急いだ方がいいんじゃない?」

「っと……そうだな。じゃあ、行ってくるよ」

 良樹は入館証を受け取ると颯爽とエレベーターの方へ向かった。

 良樹の背を見送っていると、ツンツン、と詩音が美帆の肩をつついた。

「美帆さん美帆さん、さっきの人すごい格好いいですね!」

「そうだね。大学の時もよくモテてたから」

「美帆さんとあの人仲良さそうでしたけど、同じ学部とかですか?」

「うーん、元カレだったの」

「ええっ」

 詩音達は大袈裟に声を上げた。

 正直、美帆も驚いていた。良樹とは大学二年生の時に付き合った。だが、良樹がドイツに行くため別れを切り出し、そのまま連絡も取っていなかった。

 そんな良樹がなぜ藤宮を受けようと思ったのだろう。
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