とある企業の恋愛事情 -受付嬢と清掃員の場合-
第25話 君じゃなきゃダメな理由
「はあ……」
文也がついた深いため息は、半径十メートル以内にいる社員達に聞こえたらしい。全員一斉に顔を上げた。
だが、その理由をわかっている人間は誰一人としていないだろう。
せいぜい、ここ最近仕事が忙しかったせいで疲れているんだろう。ぐらいにしか思われていない。
しかし、文也が考えているのは仕事のことではなかった。
────美帆……なんで返事返さへんねん。
文也は数時間前に美帆に対しメッセージを送った。その前、昨夜にもメッセージと電話を入れた。だが、美帆からの返事がない。
こんなことは今までになかった。美帆は夜は十一時ぐらいまでは起きているし、朝も六時には起きている。返事は一時間以内には返ってくるのが当たり前だった。
なのに最近ときたら返って来たと思えばそっけない返事だったり、デートの誘いも断ったり、変なのだ。
確かに、少し前までは忙しくしていたから連絡不精になっていたのは自分の方だ。美帆には寂しい思いをさせたと思っている。
しかし、それは美帆だって理解してくれていたはずだ。以前なら、「無理しないでくださいね」なんて言って労ってくれていたのに────。
嫌な予感に付随して瀬尾のことが頭に浮かぶ。
────まさかアイツ、美帆に言い寄ってるんちゃうやろうな。
以前から気になっていたことだ。美帆と瀬尾は大学の先輩後輩らしいが、随分親しげだった。いや、疑っているからそう見えるのだろうか。
瀬尾は美帆のことが好きなのではないだろうか。そんな考えが頭から抜けない。
結局、文也が送ったメッセージの返事は一時間後に帰ってきた。
だが、返事は相変わらずそっけないものだった。
文也の頭に再びある考えがよぎる。
美帆は瀬尾と浮気しているのではないだろうか。そうとしか思えない。
考えていると腹が立ってきて怒りのせいで集中できなくなった。
あの時牽制したつもりだったが、もう少しはっきり言わなければ分からなかっただろうか。
いや、それ以前に美帆に聞かなければならない。仕事のせいで放っておいたのは悪いが、寂しいと言ってくれればなんとか時間を作ってでも会いに行った。それとも浮気に踏み切るほど美帆は寂しかったのだろうか。
断定するにはまだ早いが、そんなことばかり考えてしまう。
「社長、お疲れでしたら今日ぐらい早く帰ったらいかがですか? 最近残業ばかりしてますし、体壊しますよ」
古谷は資料を持ってきたついで、文也に声をかけた。
確かにそうだ。寝る時間も少ないし、頭が回らない。古谷も連れ回されて疲れているだろう。今日ぐらいは帰ったほうがいいかもしれない。
「……せやな。悪い、ちょっと早いけど帰るわ」
文也は荷物をまとめて会社を出た。
あのまま仕事してもきっと集中できなかった。それなら美帆に直接会ってこのモヤモヤを消すべきだ。
早めにあがったため、藤宮コーポレーションに着いたのは終業前になった。美帆もまだ仕事しているだろう。
真っ直ぐ受付に向かうと、美帆はいなかった。美帆と仲のいい吉川しかいない。
吉川はすぐに文也の存在に気がついた。
「津川さん……! こんにちは。今日はいかがなさいましたか?」
「美帆は今日はおらへんの?」
「今日は秘書課勤務の日なんです。申し訳ありません」
「……そうか」
こんなことも知らないなんて、恋人じゃないみたいだ。
いつもなら電話でやりとりしながら聞いていたのに、最近は話も出来なくて美帆がどうしているかも分からない。
「……美帆、忙しいん?」
「え? ええ。今は秘書課と受付を行ったり来たりしている感じで……」
「なんか変わった様子なかった?」
「変わった? あ────」
吉川はハッとすると気まずそうに視線を泳がせた。
「……もしかして、元カレのことご存知なんですか……?」
────元カレ?
全く予想していなかった言葉を聞いて、文也の思考がフリーズする。
硬直している文也を見て、吉川はしまった、とすぐに慌て多様に取り繕った。みるみるうちに彼女の顔が青くなっていく。
「あ、いえ……私の、勘違い……です……」
「元カレってどういうこと?」
文也が受付の中に入りそうな勢いで尋ねると、吉川はあたりを見回し、手を添えて小声で囁いた。
「元カレのこと、ご存知で来たんじゃないんですか」
「元カレなんて知らへんよ。なんも聞いてへん」
「実は────少し前、美帆の元カレが突然現れまして。その人が、藤宮の中途採用で入って来ちゃったんです」
「はあ?」
文也は眉を釣り上げ、意味不明だとばかりに声を上げた。そんな話は一度も聞いていない。だが、考えたことは一つだけだ。
「あの、ただ別に二人はなんでもなくて……ただの友達みたいですよ。美帆はそれよりも津川さんのことを────」
吉川の言葉が耳から耳へ突き抜けていく。文也はそれどころではなかった。
元カレの存在は知っていた。以前美帆に尋ねたことがあった。だが、美帆はもう気にしていないようだったし、興味もなさそうだった。
あの時は少し不安に思ったが、美帆が裏切るはずがないと信じていた。
────美帆が浮気? そんなことあるんか……?
だが、心あたりはあった。自分にも、美帆にも。
ほったらかしにしていたのは自分だ。美帆が寂しく思って浮気に走っても仕方ない。そこに都合よく元カレが現れれば、美帆だって構ってくれる男の方がいいと思うだろう。
だが、その元カレというのは誰なんだ?
文也がついた深いため息は、半径十メートル以内にいる社員達に聞こえたらしい。全員一斉に顔を上げた。
だが、その理由をわかっている人間は誰一人としていないだろう。
せいぜい、ここ最近仕事が忙しかったせいで疲れているんだろう。ぐらいにしか思われていない。
しかし、文也が考えているのは仕事のことではなかった。
────美帆……なんで返事返さへんねん。
文也は数時間前に美帆に対しメッセージを送った。その前、昨夜にもメッセージと電話を入れた。だが、美帆からの返事がない。
こんなことは今までになかった。美帆は夜は十一時ぐらいまでは起きているし、朝も六時には起きている。返事は一時間以内には返ってくるのが当たり前だった。
なのに最近ときたら返って来たと思えばそっけない返事だったり、デートの誘いも断ったり、変なのだ。
確かに、少し前までは忙しくしていたから連絡不精になっていたのは自分の方だ。美帆には寂しい思いをさせたと思っている。
しかし、それは美帆だって理解してくれていたはずだ。以前なら、「無理しないでくださいね」なんて言って労ってくれていたのに────。
嫌な予感に付随して瀬尾のことが頭に浮かぶ。
────まさかアイツ、美帆に言い寄ってるんちゃうやろうな。
以前から気になっていたことだ。美帆と瀬尾は大学の先輩後輩らしいが、随分親しげだった。いや、疑っているからそう見えるのだろうか。
瀬尾は美帆のことが好きなのではないだろうか。そんな考えが頭から抜けない。
結局、文也が送ったメッセージの返事は一時間後に帰ってきた。
だが、返事は相変わらずそっけないものだった。
文也の頭に再びある考えがよぎる。
美帆は瀬尾と浮気しているのではないだろうか。そうとしか思えない。
考えていると腹が立ってきて怒りのせいで集中できなくなった。
あの時牽制したつもりだったが、もう少しはっきり言わなければ分からなかっただろうか。
いや、それ以前に美帆に聞かなければならない。仕事のせいで放っておいたのは悪いが、寂しいと言ってくれればなんとか時間を作ってでも会いに行った。それとも浮気に踏み切るほど美帆は寂しかったのだろうか。
断定するにはまだ早いが、そんなことばかり考えてしまう。
「社長、お疲れでしたら今日ぐらい早く帰ったらいかがですか? 最近残業ばかりしてますし、体壊しますよ」
古谷は資料を持ってきたついで、文也に声をかけた。
確かにそうだ。寝る時間も少ないし、頭が回らない。古谷も連れ回されて疲れているだろう。今日ぐらいは帰ったほうがいいかもしれない。
「……せやな。悪い、ちょっと早いけど帰るわ」
文也は荷物をまとめて会社を出た。
あのまま仕事してもきっと集中できなかった。それなら美帆に直接会ってこのモヤモヤを消すべきだ。
早めにあがったため、藤宮コーポレーションに着いたのは終業前になった。美帆もまだ仕事しているだろう。
真っ直ぐ受付に向かうと、美帆はいなかった。美帆と仲のいい吉川しかいない。
吉川はすぐに文也の存在に気がついた。
「津川さん……! こんにちは。今日はいかがなさいましたか?」
「美帆は今日はおらへんの?」
「今日は秘書課勤務の日なんです。申し訳ありません」
「……そうか」
こんなことも知らないなんて、恋人じゃないみたいだ。
いつもなら電話でやりとりしながら聞いていたのに、最近は話も出来なくて美帆がどうしているかも分からない。
「……美帆、忙しいん?」
「え? ええ。今は秘書課と受付を行ったり来たりしている感じで……」
「なんか変わった様子なかった?」
「変わった? あ────」
吉川はハッとすると気まずそうに視線を泳がせた。
「……もしかして、元カレのことご存知なんですか……?」
────元カレ?
全く予想していなかった言葉を聞いて、文也の思考がフリーズする。
硬直している文也を見て、吉川はしまった、とすぐに慌て多様に取り繕った。みるみるうちに彼女の顔が青くなっていく。
「あ、いえ……私の、勘違い……です……」
「元カレってどういうこと?」
文也が受付の中に入りそうな勢いで尋ねると、吉川はあたりを見回し、手を添えて小声で囁いた。
「元カレのこと、ご存知で来たんじゃないんですか」
「元カレなんて知らへんよ。なんも聞いてへん」
「実は────少し前、美帆の元カレが突然現れまして。その人が、藤宮の中途採用で入って来ちゃったんです」
「はあ?」
文也は眉を釣り上げ、意味不明だとばかりに声を上げた。そんな話は一度も聞いていない。だが、考えたことは一つだけだ。
「あの、ただ別に二人はなんでもなくて……ただの友達みたいですよ。美帆はそれよりも津川さんのことを────」
吉川の言葉が耳から耳へ突き抜けていく。文也はそれどころではなかった。
元カレの存在は知っていた。以前美帆に尋ねたことがあった。だが、美帆はもう気にしていないようだったし、興味もなさそうだった。
あの時は少し不安に思ったが、美帆が裏切るはずがないと信じていた。
────美帆が浮気? そんなことあるんか……?
だが、心あたりはあった。自分にも、美帆にも。
ほったらかしにしていたのは自分だ。美帆が寂しく思って浮気に走っても仕方ない。そこに都合よく元カレが現れれば、美帆だって構ってくれる男の方がいいと思うだろう。
だが、その元カレというのは誰なんだ?