とある企業の恋愛事情 -受付嬢と清掃員の場合-
美帆が自宅に着いて少し経った頃、沙織からの電話が鳴った。
「もしもし? どうしたの?」
『ごめんっ!!』
突然の謝罪。電話の向こうで沙織は必死に何度も謝っているが、美帆はなんのことだか分からない。
「ちょっと待って、一体何? なんで謝るの?」
『津川さんに元カレのこと言っちゃったの!』
「……え」
『今日津川さんが会社に来たの。美帆のことを聞かれて、なんか様子が変で……それで元カレのことだと思って、つい言っちゃったのよ〜っ!』
美帆は言葉を失った。できれば文也には知られたくないことだったが、まさかこんなに早々に知ってしまうとは思わなかった。
とりあえず、沙織には今度奢ってもらおうと思った。
「……はぁ。それで、文也さんはなんて?」
『……何も。なんだかショック受けてるみたいだった』
当然の結果だ。文也は良樹のことを最初から警戒していた。
「沙織の口の軽さはとりあえず今のところ不問にしてあげる」
『ごめん……なんだか焦ってるみたいだったからそのことで来たんだと思ってつい……でも美帆、津川さんに元カレのこと話してなかったの?』
「うん……実は一度鉢合わせちゃって、その時も喧嘩腰だったから言わない方がいいと思って……」
『でも、隠されてると思うときっと気分悪いよ。あ、でももう知られちゃったから意味ないけど……』
「……とにかく、了解。とりあえず沙織は今度ご飯奢って」
『うう……了解です……』
通話を切ってため息をつく。まさかそんなことになっているとは思わなかった。
だが、今日? 美帆はなんだか嫌な予感がした。
今日は良樹と一緒に会社を出た。たまたま会っただけだし、駅までしか歩いていないが、まさか文也はそれを見ていないだろうか。
その時、不意にチャイムが鳴った。通信販売の配達の時しか鳴らないベルの音。美帆はまるでホラー映画の主人公のような気分になった。
リビングの壁についたモニターのボタンを押す。するとエントランスの状況が映し出された。エントランス扉の斜め上からの映像。そこには思った通りの人物が映っていた。
『美帆、俺やけど』
ここはなんと反応すべきだろうか。連絡もせずに来た文也に驚くべきか、それとも喜ぶべきなのか。
文也が来た理由は分かっている。
美帆はとりあえずエントランス扉の開閉ボタンを押した。文也がここに来るまで僅か二、三分。その間に言い訳なんて思いつかない。隠していたことは事実なのだから。
美帆が部屋の中でウロウロしていると、玄関のチャイムが鳴った。美帆は恐る恐る玄関へ向かい、鍵を外した。
扉を開けると、怖い顔────いや、真顔に近い表情の文也がいた。
怒っていた方がまだマシだった、と思った。悪い予感しかしない。
「上がってええ?」
「ど、どうぞ……」
一応、了解は得るらしい。だが文也の表情は変わらない。
中へ上がったものの、美帆も文也も言葉を発せなかった。お互いがお互いの出方を伺っている。そんな感じだ。
突っ立ったまま、二人は息を殺していた。
────なんて言えばいいの? 良樹のことを謝るべき? でも、私と良樹はそんな関係じゃない。
良樹から提案は受けた。だが、まだそれらしいことは何もしていない。いくら文也にヤキモチを妬かせるためとはいえ、それはあまりにも酷いことだ。
文也と秘書が仲良くしていることにイライラしているだけに、同じことをされたら傷付く気持ちはわかる。
「単刀直入に聞くわ。美帆、俺に隠しごとしてへんか」
「それは、その……」
やはり文也は沙織に聞いたことを尋ねに来たのだろう。こうなっては仕方ない。美帆も正直に言うことにした。
「……もう沙織から聞いたんですよね。元カレがうちの会社に入ったって話」
「ああ」
「本当です。文也さんもこの間会った瀬尾良樹って人がそうです」
「それで?」
「え?」
「元カレと寄り戻す気なんか」
言葉に怒気が宿る。いつになく厳しい瞳に、美帆は身動きが出来なくなった。
文也はメデューサのように美帆を睨みつける。だが、その瞳には焦りが浮かんでいる。
「俺が構われへんのが嫌になって元カレの方がいいと思ったん」
「え?」
「それとも俺のことが信じられへんの。美帆を騙したような男やから? そんなに俺って薄情に見えるん」
「文也さん待ってください。何を言ってるんですか。私は別に────」
途端、美帆の体に乱暴に腕が伸びた。美帆の体は重力に従いそのまま後ろにあったベッドへと落ちた。
体を起こす間も無く、文也の膝がマットレスに着いてギシッと音を立てた。題名をつけるなら、「押し倒された女と押し倒した男」だ。
だが、そんなことを悠長に考えている暇などない。この現状を把握できなかった。
文也は怒っている。それは確実だ。だが、この状況はなんだろう。
「あ、あの……文也さん……?」
「アイツと別れてから誰とも付き合わんかったのはアイツが好きやったからなん」
「え……? ち、違いますっ。良樹とは別にそんなんじゃありません! 私達はお互い未練なんてこれっぽっちもないんです」
「じゃあ、なんで俺に言わんかったん」
「それは……」
文也の顔が近付く。まるでキスでもされそうな勢いだ。
だが、こんな切迫した状況の中で美帆は甘い気持ちになど浸れなかった。
「あの、文也さ────」
「黙って」
遮るように唇が重なる。唇を割るように舌が差し込まれ息継ぎを阻む。強引を通り越して無理やりだ。いつも大概強引だが、今日は一際そうだと言っていい。
いや、余裕がない────だろうか。だが、美帆はパニックでそれところではなかった。
────なんで? 文也さんは秘書の女の子と浮気してるんじゃないの? なんでキスなんかするの?
それとも、自分はただ体を慰めるだけの役割だとでも言うつもりだろうか。そんなのってない。
既に半裸状態になっていたが、美帆は抵抗した。
惨めな気持ちだった。気持ちがなくなったならまだしも、ていよくセフレの関係に留まっているなんて。
いくら彼氏が欲しかったとはいえ、そんな仮初の関係など欲しくない。しかも、本気になった相手となんて。
「いや……っ文也さ、やめて……こんなの嫌です……!」
「そんなに……俺が嫌なん?」
「こんな無理やりするのは嫌なんです!」
「じゃあアイツには抱かれたんか」
「勝手なことばかり言わないでください! 私は良樹と浮気なんてしてません! 大体、文也さんは……っ秘書の人と浮気してたじゃないですか……っそれなのに私を責めるなんて身勝手です!」
文也の目が点になる。胸の谷間に吸い付いてた唇がピタリと止まり、スッと離れた。
「……なんて?」
「だ、だから……秘書と浮気してた人が私を責める資格なんてないって────」
「俺が? 秘書って────古谷か?」
「そうに決まってるじゃないですか……っ」
美帆は怒った。だが、文也の方はぽかんとしていてどうにも思った反応でない。戸惑っているみたいな反応だ。まさか、バレてないとでも思っていたのか。
「あの人と浮気してたんじゃないんですか……!? だから私の方見て二人で笑ったり、そっけなくなったり返事返さなかったりしたんでしょう!」
「そ……っそんなわけないやんか! 俺がいつアイツと浮気すんねん!」
「一緒に会社出てどこか出掛けてました!」
「会社? そんなん……仕事にしか連れてってないで」
文也に反論され、ふと思い返す。確かに、あのシーンはただ単に一緒に仕事に向かっているだけともとれる。あの時の自分はそうは捉えなかったが。
「大体、古谷は美帆が彼女って知ってるで。会わせる前に教えてん。そんなんあるわけないやんか」
「じゃあなんで二人して私の方見て笑ってたんですか」
美帆はじろりと睨む。文也は「それは……」と罰が悪そうに口を開いた。
「それはその……」
「ほらやっぱりそうです! 二人して私のこと馬鹿にしてたんです!」
「ちゃうって! 俺はただ、美帆のこと見せびらかしたかっただけで……別に馬鹿にするとかそんなんちゃう! 大体、アイツと浮気なんてありえんやろ!」
「だって……すごく仲良さそうに見えたから」
「不安にさせたのは俺のせいや。仕事が立て込んでたせいであんまり連絡も出来んかったし、悪かったと思ってる。けど、美帆も美帆やで。俺に元カレのこと一言も言わんかったやんか」
「だってそれは……文也がさんが良樹に掴みかかりそうな勢いだったから」
「なんで今更元カレが出てくるねん。おかしいやろ。美帆はアイツのこと呼び捨てやし」
「良樹は大学卒業してドイツの会社に就職してたんです。就労ビザが切れたから帰ってきて、偶然藤宮を受けたんですよ。本当です。それと、名前を呼び捨てにしてるのはただの癖です。付き合ってない時からずっと呼び捨てでしたから、今更さん付けにするのも変だと思って……」
「そんなこと言って、アイツ美帆のこと好きなんちゃうか。元カノ恋しさに藤宮入ったっておかしくないやろ」
文也は唇を尖らせて不満を垂れた。
美帆自身も驚いたことだが、それは文也が良樹の性格を知らないから言えるのだ。
「違います! 良樹が入ったのは本当に偶然でたまたまです! 大体、私を振ったのは良樹の方です! 私だってとっくに恋愛感情なんかありません!」
「なんでそんなハッキリ言えるねん。下心あるかもしれへんやろ」
「じゃあ聞きますけど、文也さんはあの秘書の人に何も下心がなかったと?」
「ないに決まってるやろ」
「『あるかもしれへん』のじゃないんですか」
逆手に取ると、文也はうっと言葉を失った。
「良樹は裏表がない性格なんです。本当に《《そういう》》人なんですよ。下心なんてあったら私だって近付きません」
「……けど、俺が嫌になってアイツがいいと思ったんちゃうの」
「そんなこと、一度だって考えたことありません。そりゃ、文也さんが浮気してると思った時は悲しかったです。結局私なんて騙すだけの関係で、好きになってなんかもらえなかったんだって……」
「そんなわけないやろ!」
文也の腕が露わになった美帆の肩を抱きしめた。
「俺は……美帆じゃなきゃ嫌やねん。ちゃんと分かってや」
相変わらず乱暴だ。さっきと違うのはちょっと冷静になったことぐらいだ。
だが、言葉から切実さが伝わってくる。嘘を言っているようには、見えない。
美帆もようやく冷静さを取り戻した。
「……勝手に疑って、ごめんなさい」
「はらわた煮えくりかえるかと思ったわ」
「私は浮気なんてしませんよ」
「アイツに会ったら言うといて。美帆に手ぇ出したらしばくって」
「こらっ!」
文也はまたぎゅーっと音が立ちそうなほど美帆を抱きしめた。
なにげに胸の谷間に顔を突っ込んでいることには突っ込まなかったが、なんだか赤ちゃんみたい、と美帆は思った。
「美帆のそういうとこ、好きやねん。可愛い」
「……子供っぽくて情けないだけですよ」
「俺がええって言ってるからええねん。俺だけにしか見せへんやろ?」
まったくなんとも憎たらしい人だ。仕事してる時はそっけない癖に、こういう時は馬鹿みたいに甘やかす。良樹はこんなことしたりしない。
けれど、こういうところが心地よかった。
「もしもし? どうしたの?」
『ごめんっ!!』
突然の謝罪。電話の向こうで沙織は必死に何度も謝っているが、美帆はなんのことだか分からない。
「ちょっと待って、一体何? なんで謝るの?」
『津川さんに元カレのこと言っちゃったの!』
「……え」
『今日津川さんが会社に来たの。美帆のことを聞かれて、なんか様子が変で……それで元カレのことだと思って、つい言っちゃったのよ〜っ!』
美帆は言葉を失った。できれば文也には知られたくないことだったが、まさかこんなに早々に知ってしまうとは思わなかった。
とりあえず、沙織には今度奢ってもらおうと思った。
「……はぁ。それで、文也さんはなんて?」
『……何も。なんだかショック受けてるみたいだった』
当然の結果だ。文也は良樹のことを最初から警戒していた。
「沙織の口の軽さはとりあえず今のところ不問にしてあげる」
『ごめん……なんだか焦ってるみたいだったからそのことで来たんだと思ってつい……でも美帆、津川さんに元カレのこと話してなかったの?』
「うん……実は一度鉢合わせちゃって、その時も喧嘩腰だったから言わない方がいいと思って……」
『でも、隠されてると思うときっと気分悪いよ。あ、でももう知られちゃったから意味ないけど……』
「……とにかく、了解。とりあえず沙織は今度ご飯奢って」
『うう……了解です……』
通話を切ってため息をつく。まさかそんなことになっているとは思わなかった。
だが、今日? 美帆はなんだか嫌な予感がした。
今日は良樹と一緒に会社を出た。たまたま会っただけだし、駅までしか歩いていないが、まさか文也はそれを見ていないだろうか。
その時、不意にチャイムが鳴った。通信販売の配達の時しか鳴らないベルの音。美帆はまるでホラー映画の主人公のような気分になった。
リビングの壁についたモニターのボタンを押す。するとエントランスの状況が映し出された。エントランス扉の斜め上からの映像。そこには思った通りの人物が映っていた。
『美帆、俺やけど』
ここはなんと反応すべきだろうか。連絡もせずに来た文也に驚くべきか、それとも喜ぶべきなのか。
文也が来た理由は分かっている。
美帆はとりあえずエントランス扉の開閉ボタンを押した。文也がここに来るまで僅か二、三分。その間に言い訳なんて思いつかない。隠していたことは事実なのだから。
美帆が部屋の中でウロウロしていると、玄関のチャイムが鳴った。美帆は恐る恐る玄関へ向かい、鍵を外した。
扉を開けると、怖い顔────いや、真顔に近い表情の文也がいた。
怒っていた方がまだマシだった、と思った。悪い予感しかしない。
「上がってええ?」
「ど、どうぞ……」
一応、了解は得るらしい。だが文也の表情は変わらない。
中へ上がったものの、美帆も文也も言葉を発せなかった。お互いがお互いの出方を伺っている。そんな感じだ。
突っ立ったまま、二人は息を殺していた。
────なんて言えばいいの? 良樹のことを謝るべき? でも、私と良樹はそんな関係じゃない。
良樹から提案は受けた。だが、まだそれらしいことは何もしていない。いくら文也にヤキモチを妬かせるためとはいえ、それはあまりにも酷いことだ。
文也と秘書が仲良くしていることにイライラしているだけに、同じことをされたら傷付く気持ちはわかる。
「単刀直入に聞くわ。美帆、俺に隠しごとしてへんか」
「それは、その……」
やはり文也は沙織に聞いたことを尋ねに来たのだろう。こうなっては仕方ない。美帆も正直に言うことにした。
「……もう沙織から聞いたんですよね。元カレがうちの会社に入ったって話」
「ああ」
「本当です。文也さんもこの間会った瀬尾良樹って人がそうです」
「それで?」
「え?」
「元カレと寄り戻す気なんか」
言葉に怒気が宿る。いつになく厳しい瞳に、美帆は身動きが出来なくなった。
文也はメデューサのように美帆を睨みつける。だが、その瞳には焦りが浮かんでいる。
「俺が構われへんのが嫌になって元カレの方がいいと思ったん」
「え?」
「それとも俺のことが信じられへんの。美帆を騙したような男やから? そんなに俺って薄情に見えるん」
「文也さん待ってください。何を言ってるんですか。私は別に────」
途端、美帆の体に乱暴に腕が伸びた。美帆の体は重力に従いそのまま後ろにあったベッドへと落ちた。
体を起こす間も無く、文也の膝がマットレスに着いてギシッと音を立てた。題名をつけるなら、「押し倒された女と押し倒した男」だ。
だが、そんなことを悠長に考えている暇などない。この現状を把握できなかった。
文也は怒っている。それは確実だ。だが、この状況はなんだろう。
「あ、あの……文也さん……?」
「アイツと別れてから誰とも付き合わんかったのはアイツが好きやったからなん」
「え……? ち、違いますっ。良樹とは別にそんなんじゃありません! 私達はお互い未練なんてこれっぽっちもないんです」
「じゃあ、なんで俺に言わんかったん」
「それは……」
文也の顔が近付く。まるでキスでもされそうな勢いだ。
だが、こんな切迫した状況の中で美帆は甘い気持ちになど浸れなかった。
「あの、文也さ────」
「黙って」
遮るように唇が重なる。唇を割るように舌が差し込まれ息継ぎを阻む。強引を通り越して無理やりだ。いつも大概強引だが、今日は一際そうだと言っていい。
いや、余裕がない────だろうか。だが、美帆はパニックでそれところではなかった。
────なんで? 文也さんは秘書の女の子と浮気してるんじゃないの? なんでキスなんかするの?
それとも、自分はただ体を慰めるだけの役割だとでも言うつもりだろうか。そんなのってない。
既に半裸状態になっていたが、美帆は抵抗した。
惨めな気持ちだった。気持ちがなくなったならまだしも、ていよくセフレの関係に留まっているなんて。
いくら彼氏が欲しかったとはいえ、そんな仮初の関係など欲しくない。しかも、本気になった相手となんて。
「いや……っ文也さ、やめて……こんなの嫌です……!」
「そんなに……俺が嫌なん?」
「こんな無理やりするのは嫌なんです!」
「じゃあアイツには抱かれたんか」
「勝手なことばかり言わないでください! 私は良樹と浮気なんてしてません! 大体、文也さんは……っ秘書の人と浮気してたじゃないですか……っそれなのに私を責めるなんて身勝手です!」
文也の目が点になる。胸の谷間に吸い付いてた唇がピタリと止まり、スッと離れた。
「……なんて?」
「だ、だから……秘書と浮気してた人が私を責める資格なんてないって────」
「俺が? 秘書って────古谷か?」
「そうに決まってるじゃないですか……っ」
美帆は怒った。だが、文也の方はぽかんとしていてどうにも思った反応でない。戸惑っているみたいな反応だ。まさか、バレてないとでも思っていたのか。
「あの人と浮気してたんじゃないんですか……!? だから私の方見て二人で笑ったり、そっけなくなったり返事返さなかったりしたんでしょう!」
「そ……っそんなわけないやんか! 俺がいつアイツと浮気すんねん!」
「一緒に会社出てどこか出掛けてました!」
「会社? そんなん……仕事にしか連れてってないで」
文也に反論され、ふと思い返す。確かに、あのシーンはただ単に一緒に仕事に向かっているだけともとれる。あの時の自分はそうは捉えなかったが。
「大体、古谷は美帆が彼女って知ってるで。会わせる前に教えてん。そんなんあるわけないやんか」
「じゃあなんで二人して私の方見て笑ってたんですか」
美帆はじろりと睨む。文也は「それは……」と罰が悪そうに口を開いた。
「それはその……」
「ほらやっぱりそうです! 二人して私のこと馬鹿にしてたんです!」
「ちゃうって! 俺はただ、美帆のこと見せびらかしたかっただけで……別に馬鹿にするとかそんなんちゃう! 大体、アイツと浮気なんてありえんやろ!」
「だって……すごく仲良さそうに見えたから」
「不安にさせたのは俺のせいや。仕事が立て込んでたせいであんまり連絡も出来んかったし、悪かったと思ってる。けど、美帆も美帆やで。俺に元カレのこと一言も言わんかったやんか」
「だってそれは……文也がさんが良樹に掴みかかりそうな勢いだったから」
「なんで今更元カレが出てくるねん。おかしいやろ。美帆はアイツのこと呼び捨てやし」
「良樹は大学卒業してドイツの会社に就職してたんです。就労ビザが切れたから帰ってきて、偶然藤宮を受けたんですよ。本当です。それと、名前を呼び捨てにしてるのはただの癖です。付き合ってない時からずっと呼び捨てでしたから、今更さん付けにするのも変だと思って……」
「そんなこと言って、アイツ美帆のこと好きなんちゃうか。元カノ恋しさに藤宮入ったっておかしくないやろ」
文也は唇を尖らせて不満を垂れた。
美帆自身も驚いたことだが、それは文也が良樹の性格を知らないから言えるのだ。
「違います! 良樹が入ったのは本当に偶然でたまたまです! 大体、私を振ったのは良樹の方です! 私だってとっくに恋愛感情なんかありません!」
「なんでそんなハッキリ言えるねん。下心あるかもしれへんやろ」
「じゃあ聞きますけど、文也さんはあの秘書の人に何も下心がなかったと?」
「ないに決まってるやろ」
「『あるかもしれへん』のじゃないんですか」
逆手に取ると、文也はうっと言葉を失った。
「良樹は裏表がない性格なんです。本当に《《そういう》》人なんですよ。下心なんてあったら私だって近付きません」
「……けど、俺が嫌になってアイツがいいと思ったんちゃうの」
「そんなこと、一度だって考えたことありません。そりゃ、文也さんが浮気してると思った時は悲しかったです。結局私なんて騙すだけの関係で、好きになってなんかもらえなかったんだって……」
「そんなわけないやろ!」
文也の腕が露わになった美帆の肩を抱きしめた。
「俺は……美帆じゃなきゃ嫌やねん。ちゃんと分かってや」
相変わらず乱暴だ。さっきと違うのはちょっと冷静になったことぐらいだ。
だが、言葉から切実さが伝わってくる。嘘を言っているようには、見えない。
美帆もようやく冷静さを取り戻した。
「……勝手に疑って、ごめんなさい」
「はらわた煮えくりかえるかと思ったわ」
「私は浮気なんてしませんよ」
「アイツに会ったら言うといて。美帆に手ぇ出したらしばくって」
「こらっ!」
文也はまたぎゅーっと音が立ちそうなほど美帆を抱きしめた。
なにげに胸の谷間に顔を突っ込んでいることには突っ込まなかったが、なんだか赤ちゃんみたい、と美帆は思った。
「美帆のそういうとこ、好きやねん。可愛い」
「……子供っぽくて情けないだけですよ」
「俺がええって言ってるからええねん。俺だけにしか見せへんやろ?」
まったくなんとも憎たらしい人だ。仕事してる時はそっけない癖に、こういう時は馬鹿みたいに甘やかす。良樹はこんなことしたりしない。
けれど、こういうところが心地よかった。