とある企業の恋愛事情 -受付嬢と清掃員の場合-
『ええやん。同棲。俺はいつでもウェルカムやで』

 文也は電話の向こうでご機嫌な様子だ。昼間沙織と話したことを伝えただけなのにもうノリノリになっている。

『美帆が安心したいんやったら俺はええで。今の家仕事場に近いから選んだだけやし。俺らの家そんなに離れてへんから間らへんで選んだらええんちゃう?』

「あの、でも……勝手に同棲っていうのはちょっと。うちの実家はあんまり気にしない方ですけど、文也さんのご両親は────」

『……気にせんでええよ。あれから音沙汰なしやし、俺のことなんて忘れてるやろ。勘当されたんと違うか』

「そんな……」

 文也は冗談のように笑い飛ばした。

 だが、美帆は聞いていて気の毒に思った。

 家族と不仲なんて、いいわけがない。一般家庭で育ったからそう思うだけだろうか。文也が経験したことの全てを理解することはできない。だから完全に気持ちを理解してやることもできない。

 それでも、悲しみを隠そうとそう振舞っていることぐらいは分かる。

『ごめんな。だからそういう意味では俺は頼りないかもしらん。美帆のご両親にもそう見えるやろうし、不安になると思うけど……』

「そんなこと……」

『昔は家族なんていらんと思っててん。けど、美帆とはそうなりたいと思った。あ、でもプレッシャーに感じんといてな。俺は別に強要してるわけちゃうから』

「そんなこと言ってると、私は延々と引き延ばしますよ」

『……やっぱり、俺と結婚すんの嫌?』

 弱気なセリフにクスリと笑みが溢れる。強気なんだか弱気なんだか分からない人だ。

 結婚のことも同棲のことも、まだいまいちピンとこないが、真剣に考えたいと思った。文也に家族がいないなら自分がなってあげたい。楽しい家族の記憶をたくさん作ってあげたいと思った。

「そんなことありませんよ。嫌なんかじゃありません」

『じゃあ、今度一週間ぐらいうちに泊まりに来る?』

「えっ、一週間もですか!?」

『だって、そうじゃなきゃ同棲した気分になられへんやろ。美帆だっていきなり引っ越したら大変やろうし、まだそこまで考えてないんやろうし』

「それはそうですけど……」

『ただし俺の部屋なんもないから。いるもんあったら買っとくわ』

「テレビを買ってくださったのでもう十分ですよ。分かりました。じゃあ、今度の金曜から。どうです?」

『了解。ちゃんと片付けとくわ』

 ────なんだか、とんとん拍子に話が進んでいくなあ。

 通話を切ってスマホで「同棲」と調べてみる。大体、沙織に言われたのと同じようなことが書かれていた。メリットばかりではないが、かと言ってデメリットばかりでもない。

 いざこうやって話が進むと、不安に思っていたことは霞んできた。
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