とある企業の恋愛事情 -受付嬢と清掃員の場合-
約束した金曜。美帆は仕事を終わらせると家に帰らず文也の会社へ向かった。
手にはスーツケース。一週間分も入っていないが、数日間分は過ごせる着替えを持ってきた。家は近いし、何かあった時は取りに戻れる。この量でいけると踏んだ。
会社の最寄駅に着くと文也にメッセージを送った。文也は五分と経たないうちに外に出てきた。
「ごめん、美帆。悪いけど先に帰っててくれへん? 仕事長引きそうやねん」
「いいですよ」
文也はポケットからキーケースを手渡した。
「これ、鍵渡しとくな。飯は────」
「せっかくですから作りますよ。一旦荷物をおいたら買い出しに行きます」
「ごめんなせっかく来たのに」
「気にしないでください。練習だと思えばいいんですから」
再び別れ、美帆は文也のマンションに向かった。あれから何回か行ったから場所は覚えている。
だがしかし、文也の家は相変わらず何もなかった。美帆のためにとテレビやテーブルだけは購入したようだが、住む気があるのかと思うほど物がない。
「文也さんって家に執着ないのかな……まぁ、単にミニマリストってだけなのかも」
部屋の隅に荷物を置き、買い出しに出かけた。駅の地下にはスーパーがあるからそれほど時間はかからない。
陳列された野菜を見ながら美帆は晩ごはんの献立を考えた。
文也は普段自炊をしないようだから野菜を多めにしたほうがいいだろう。残業するとお腹が減るだろうし、ガッツリスタミナ系のメニューにしたほうがいいかもしれない。などと考えながら肉をいくつかカゴの中に放り込む。
一週間もいるのだから多少多めに買っても消費できるはずだ。
買い物を終えて家に帰ると、簡単に掃除をした。と言っても多少床の上に散らかっていた衣類を洗濯機に入れただけだ。ものが少ないからその辺りは楽だった。
夕飯の準備をしていると、インターホンが鳴った。ドアモニターの覗き込むと、文也の姿が映っていた。解錠のボタンを押してエントランスの自動ドアを開けた。
少しして、玄関のベルが鳴った。美帆は手を拭いて慌てて玄関へ向かった。
「お帰りなさい、文也さん」
文也はなんだかニコニコしている。とても嬉しそうな顔だ。
「なんかええな。新妻っぽい」
「な……っまだなってません!」
「美帆が奥さんになってくれるんやったらもうちょっと早く帰ってくるんやけどなぁ」
「もう、いいから早く上がってください」
リビングに入ると、文也は「飯作ってくれてたんや」と言った。
「今日の晩御飯、お肉ですけどいいですか?」
「うん。なんでもええよ。疲れてんのにごめんな」
美帆は脳内で沙織の言葉を思い出した。「家事をしてもらえて当たり前だと思うような男はやめなさい」。文也はどうやら違うようだ。ひとまずほっとした。
「わー、美帆色々買ってんな。絶対テレビ見ながら食べる気やったやろ?」
スーパーの袋に入れたままにしていたお菓子の袋を取り出し、文也が笑う。
「だって、人の部屋ですから何もすることないと暇じゃないですか」
「ええよ、別に。いつも通りしてくれてたら」
「それじゃ同棲にならないじゃないですか」
────なんだ、意外と楽しい。
まだ初日だ。何もしていない状態で安心するのは早いかもしれないが、頭の中にあった不安なイメージは消えつつあった。結婚に踏み切れるほどではないが、楽しい想像ができる。
出来上がった食事をテーブルの上に運んだ。このテーブルも、美帆が来たときに困るからと、文也が揃えてくれたものだ。
二人でテレビを見ながら食事するなんて今までだって何度もやったことだが、今日はなんだか違うように思えた。結婚のことを言われたからだろうか。
文也は結婚生活のことをどう思っているのだろう。
「……文也さんは、どうして私と結婚しようと思ったんですか」
単純に疑問に思った。自分たちは長い付き合いではないし、親に紹介もしていないし、意識するようなイベントもなかった。突然降って沸いたような話に驚いたのは言うまでもない。
「特別な理由やなくてガッカリするかもしれんけど……楽しそうやと思ったから」
「楽しそう? 結婚がですか?」
「俺、正直結婚する気なかってん。女なんて面倒やし、実家のこと知ったら目の色変えるやろ。おまけに親父とお袋は《《あんな》》やし、いい想像出来へんかってん」
なんとなく────でしか想像できないが、大変そうだということは分かる。美帆だって役員の近くにいただけでやっかみの対象だったのだ。当事者はもっと大変だろう。
「でも、美帆はなんていうか……人間味があるっていうか、一緒にいて気持ちが動くねん。俺、ちゃんと人間やねんなって思えるねん」
「文也さんはちゃんと人間してますよ」
美帆が笑うと、文也も困ったように笑った。
「そういうとこ。うん、やっぱ美帆がいいわ」
「……私も、楽しいかもって思えてきました」
「楽しいに決まってるやろ。好き同士やねんから」
手にはスーツケース。一週間分も入っていないが、数日間分は過ごせる着替えを持ってきた。家は近いし、何かあった時は取りに戻れる。この量でいけると踏んだ。
会社の最寄駅に着くと文也にメッセージを送った。文也は五分と経たないうちに外に出てきた。
「ごめん、美帆。悪いけど先に帰っててくれへん? 仕事長引きそうやねん」
「いいですよ」
文也はポケットからキーケースを手渡した。
「これ、鍵渡しとくな。飯は────」
「せっかくですから作りますよ。一旦荷物をおいたら買い出しに行きます」
「ごめんなせっかく来たのに」
「気にしないでください。練習だと思えばいいんですから」
再び別れ、美帆は文也のマンションに向かった。あれから何回か行ったから場所は覚えている。
だがしかし、文也の家は相変わらず何もなかった。美帆のためにとテレビやテーブルだけは購入したようだが、住む気があるのかと思うほど物がない。
「文也さんって家に執着ないのかな……まぁ、単にミニマリストってだけなのかも」
部屋の隅に荷物を置き、買い出しに出かけた。駅の地下にはスーパーがあるからそれほど時間はかからない。
陳列された野菜を見ながら美帆は晩ごはんの献立を考えた。
文也は普段自炊をしないようだから野菜を多めにしたほうがいいだろう。残業するとお腹が減るだろうし、ガッツリスタミナ系のメニューにしたほうがいいかもしれない。などと考えながら肉をいくつかカゴの中に放り込む。
一週間もいるのだから多少多めに買っても消費できるはずだ。
買い物を終えて家に帰ると、簡単に掃除をした。と言っても多少床の上に散らかっていた衣類を洗濯機に入れただけだ。ものが少ないからその辺りは楽だった。
夕飯の準備をしていると、インターホンが鳴った。ドアモニターの覗き込むと、文也の姿が映っていた。解錠のボタンを押してエントランスの自動ドアを開けた。
少しして、玄関のベルが鳴った。美帆は手を拭いて慌てて玄関へ向かった。
「お帰りなさい、文也さん」
文也はなんだかニコニコしている。とても嬉しそうな顔だ。
「なんかええな。新妻っぽい」
「な……っまだなってません!」
「美帆が奥さんになってくれるんやったらもうちょっと早く帰ってくるんやけどなぁ」
「もう、いいから早く上がってください」
リビングに入ると、文也は「飯作ってくれてたんや」と言った。
「今日の晩御飯、お肉ですけどいいですか?」
「うん。なんでもええよ。疲れてんのにごめんな」
美帆は脳内で沙織の言葉を思い出した。「家事をしてもらえて当たり前だと思うような男はやめなさい」。文也はどうやら違うようだ。ひとまずほっとした。
「わー、美帆色々買ってんな。絶対テレビ見ながら食べる気やったやろ?」
スーパーの袋に入れたままにしていたお菓子の袋を取り出し、文也が笑う。
「だって、人の部屋ですから何もすることないと暇じゃないですか」
「ええよ、別に。いつも通りしてくれてたら」
「それじゃ同棲にならないじゃないですか」
────なんだ、意外と楽しい。
まだ初日だ。何もしていない状態で安心するのは早いかもしれないが、頭の中にあった不安なイメージは消えつつあった。結婚に踏み切れるほどではないが、楽しい想像ができる。
出来上がった食事をテーブルの上に運んだ。このテーブルも、美帆が来たときに困るからと、文也が揃えてくれたものだ。
二人でテレビを見ながら食事するなんて今までだって何度もやったことだが、今日はなんだか違うように思えた。結婚のことを言われたからだろうか。
文也は結婚生活のことをどう思っているのだろう。
「……文也さんは、どうして私と結婚しようと思ったんですか」
単純に疑問に思った。自分たちは長い付き合いではないし、親に紹介もしていないし、意識するようなイベントもなかった。突然降って沸いたような話に驚いたのは言うまでもない。
「特別な理由やなくてガッカリするかもしれんけど……楽しそうやと思ったから」
「楽しそう? 結婚がですか?」
「俺、正直結婚する気なかってん。女なんて面倒やし、実家のこと知ったら目の色変えるやろ。おまけに親父とお袋は《《あんな》》やし、いい想像出来へんかってん」
なんとなく────でしか想像できないが、大変そうだということは分かる。美帆だって役員の近くにいただけでやっかみの対象だったのだ。当事者はもっと大変だろう。
「でも、美帆はなんていうか……人間味があるっていうか、一緒にいて気持ちが動くねん。俺、ちゃんと人間やねんなって思えるねん」
「文也さんはちゃんと人間してますよ」
美帆が笑うと、文也も困ったように笑った。
「そういうとこ。うん、やっぱ美帆がいいわ」
「……私も、楽しいかもって思えてきました」
「楽しいに決まってるやろ。好き同士やねんから」