とある企業の恋愛事情 -受付嬢と清掃員の場合-
同棲生活も気がつけば終盤を迎えていた。
美帆はずいぶん慣れてきた。放っておいても割と自由に動き回っているし、文也が部屋で仕事をしていてものんびりしている。
居心地良くなければ同棲も結婚もできないわけだから、文也としてはそれでよかった。
機嫌よく仕事を終え家に帰る準備をする。美帆のことを考えているとふと、思い付いた。
先週の金曜日から一緒にいるが、家での食事を任せてばかりだったから今日ぐらいどこか連れて行こうか。いつもはあまり緊張感のない店が多いが、もう少しムードがある店の方が話がしやすいかもしれない。
家に帰る道中店に当たりをつけて、美帆にメッセージを送った。美帆が既に食事を作っていたら大変だ。
冷蔵庫の中にはある程度食材が残っていたからそれを使って何か作る気だったかもしれない。だが、もし仮に何か残ってもどうにかなる。最悪一人暮らしの社員に分ければいい。
「美帆、ただいま」
扉を開けると、玄関にはパンプスが一足。美帆は帰宅している。玄関から奥を覗くが、美帆の姿は見えなかった。部屋に上がると、美帆はリビングで荷物を広げていた。
「あ……文也さん。おかえりなさい」
「洗濯物畳んでたん?」
この様子ではもしかしたらメッセージに気付いていないのだろうか。だが、食事が用意されている感じではなかった。
「美帆、メッセージ送ってんけど、見た?」
「え? ああ……食事に行くって話ですね」
「ずっと作ってばっかやったから疲れてるやろ。ほんまは俺が作れたらええんやけど……外で食べた方が美味いやろうから」
「……そうですね」
妙な間が空いた。美帆はなんだか暗い表情で、あまり外に行きたくなさそうだ。もしかして家で食べたかったのだろうか、と文也は思った。
「家で食べたかった? それでもええで。予約とかまだしてないねん」
「いえ、そうじゃないんですけど……」
なんだか煮え切らない態度に、流石の文也も妙に思い始めた。美帆は何か言いたそうだが、言いにくいのか思い詰めたような顔で俯いたままでいる。夕飯のことではなさそうだった。
「どうしたん? 言いたいことがあるならちゃんと聞くで」
文也は床に膝をついて美帆に目線を合わせた。美帆は相変わらず視線を落としたままだ。
「俺が怒るようなこと? 大丈夫やって、俺そこまで短気ちゃうし。恋人の意見聞くぐらいの度量は持ち合わせてるつもりやから────」
「私達の将来のことなんですけど」
美帆は突然口を開いた。だが、早口であまり聞き取れなかった。相変わらず視線はそれたままだ。
将来のこと────それは自分たちの結婚のことだろうか。
「……なんていうか、思ってたのと違うなって」
それは、いい意味の《《意外》》ではないようだった。美帆の表情は相変わらず暗いままだ。
「ごめんなさい。だから……結婚とか同棲っていうのは、その……考えられません」
文也は頭が真っ白になって言葉が出てこなかった。そんなことを言われるとは思ってもみなかった。多少不満が出たとしても同じ気持ちでいてくれていると思ったし、楽しんでいるように見えた。そこまで失望しているとは思わなかった。
「……俺と一緒におるの、そんなにしんどかった?」
そんなことないと、期待を込めて聞いた。
「そうじゃありません。ただ、私やっぱり結婚だとかそういうのは向いてないと思うんです。一人でいる方が気が楽っていうか……」
「じゃあ、なんで俺と付き合ったん」
疑問と苛立ちがつい口をついて出た。美帆が今更そんなことを言う理由がわからなかった。
自分たちは今まで仲良くやってきたはずだ。喧嘩をすることもあったが、ちゃんと話し合って和解した。二人で過ごした時間はそれほど重苦しいものではなかった。
それを今更ここで言うなんて、美帆は今まで我慢していたということだろうか。
「そりゃ、帰りも遅いし、美帆にばっか家事させてもっと協力するべきやったと思ってる。それは俺が悪かった。そういうのが嫌やったってこと? それやったら努力する。毎日は難しいかもしれんけど、なるべく早く帰るようにするし、美帆の負担にならんようにするつもりやから」
「……ごめんなさい。文也さんとは、結婚できません」
再び文也は固まった。
────俺、今振られたんか?
直訳するとそうだ。あなたとは結婚できません。この先の未来はありませんと言われているのと同じだ。
美帆は畳んでいた荷物をスーツケースに入れ、バタンと蓋を閉じた。まさか帰るのだろうか。このまま自分を置いて?
美帆はそのまま立ち上がった。不安げに見上げると、一度だけ目を合わせた。
────ごめんなさい。と、美帆が言った。小さな声だった。ほとんど聞こえなかったが、悲しそうな顔がそう言っていると確信させた。
そのまま荷物を持ってまっすぐ玄関まで行き、一度も振り返ることなく玄関を出た。文也は放心していて、追いかけることもできなかった。
────俺、急ぎ過ぎたんか。美帆の気持ちを無視してたんか?
後悔が静かな波になって押し寄せる。だが、考えても考えても最適最良の答えは出せなかった。
自分だったからいけなかったのか。自分の選択がいけなかったのか。分からなかった。
美帆はずいぶん慣れてきた。放っておいても割と自由に動き回っているし、文也が部屋で仕事をしていてものんびりしている。
居心地良くなければ同棲も結婚もできないわけだから、文也としてはそれでよかった。
機嫌よく仕事を終え家に帰る準備をする。美帆のことを考えているとふと、思い付いた。
先週の金曜日から一緒にいるが、家での食事を任せてばかりだったから今日ぐらいどこか連れて行こうか。いつもはあまり緊張感のない店が多いが、もう少しムードがある店の方が話がしやすいかもしれない。
家に帰る道中店に当たりをつけて、美帆にメッセージを送った。美帆が既に食事を作っていたら大変だ。
冷蔵庫の中にはある程度食材が残っていたからそれを使って何か作る気だったかもしれない。だが、もし仮に何か残ってもどうにかなる。最悪一人暮らしの社員に分ければいい。
「美帆、ただいま」
扉を開けると、玄関にはパンプスが一足。美帆は帰宅している。玄関から奥を覗くが、美帆の姿は見えなかった。部屋に上がると、美帆はリビングで荷物を広げていた。
「あ……文也さん。おかえりなさい」
「洗濯物畳んでたん?」
この様子ではもしかしたらメッセージに気付いていないのだろうか。だが、食事が用意されている感じではなかった。
「美帆、メッセージ送ってんけど、見た?」
「え? ああ……食事に行くって話ですね」
「ずっと作ってばっかやったから疲れてるやろ。ほんまは俺が作れたらええんやけど……外で食べた方が美味いやろうから」
「……そうですね」
妙な間が空いた。美帆はなんだか暗い表情で、あまり外に行きたくなさそうだ。もしかして家で食べたかったのだろうか、と文也は思った。
「家で食べたかった? それでもええで。予約とかまだしてないねん」
「いえ、そうじゃないんですけど……」
なんだか煮え切らない態度に、流石の文也も妙に思い始めた。美帆は何か言いたそうだが、言いにくいのか思い詰めたような顔で俯いたままでいる。夕飯のことではなさそうだった。
「どうしたん? 言いたいことがあるならちゃんと聞くで」
文也は床に膝をついて美帆に目線を合わせた。美帆は相変わらず視線を落としたままだ。
「俺が怒るようなこと? 大丈夫やって、俺そこまで短気ちゃうし。恋人の意見聞くぐらいの度量は持ち合わせてるつもりやから────」
「私達の将来のことなんですけど」
美帆は突然口を開いた。だが、早口であまり聞き取れなかった。相変わらず視線はそれたままだ。
将来のこと────それは自分たちの結婚のことだろうか。
「……なんていうか、思ってたのと違うなって」
それは、いい意味の《《意外》》ではないようだった。美帆の表情は相変わらず暗いままだ。
「ごめんなさい。だから……結婚とか同棲っていうのは、その……考えられません」
文也は頭が真っ白になって言葉が出てこなかった。そんなことを言われるとは思ってもみなかった。多少不満が出たとしても同じ気持ちでいてくれていると思ったし、楽しんでいるように見えた。そこまで失望しているとは思わなかった。
「……俺と一緒におるの、そんなにしんどかった?」
そんなことないと、期待を込めて聞いた。
「そうじゃありません。ただ、私やっぱり結婚だとかそういうのは向いてないと思うんです。一人でいる方が気が楽っていうか……」
「じゃあ、なんで俺と付き合ったん」
疑問と苛立ちがつい口をついて出た。美帆が今更そんなことを言う理由がわからなかった。
自分たちは今まで仲良くやってきたはずだ。喧嘩をすることもあったが、ちゃんと話し合って和解した。二人で過ごした時間はそれほど重苦しいものではなかった。
それを今更ここで言うなんて、美帆は今まで我慢していたということだろうか。
「そりゃ、帰りも遅いし、美帆にばっか家事させてもっと協力するべきやったと思ってる。それは俺が悪かった。そういうのが嫌やったってこと? それやったら努力する。毎日は難しいかもしれんけど、なるべく早く帰るようにするし、美帆の負担にならんようにするつもりやから」
「……ごめんなさい。文也さんとは、結婚できません」
再び文也は固まった。
────俺、今振られたんか?
直訳するとそうだ。あなたとは結婚できません。この先の未来はありませんと言われているのと同じだ。
美帆は畳んでいた荷物をスーツケースに入れ、バタンと蓋を閉じた。まさか帰るのだろうか。このまま自分を置いて?
美帆はそのまま立ち上がった。不安げに見上げると、一度だけ目を合わせた。
────ごめんなさい。と、美帆が言った。小さな声だった。ほとんど聞こえなかったが、悲しそうな顔がそう言っていると確信させた。
そのまま荷物を持ってまっすぐ玄関まで行き、一度も振り返ることなく玄関を出た。文也は放心していて、追いかけることもできなかった。
────俺、急ぎ過ぎたんか。美帆の気持ちを無視してたんか?
後悔が静かな波になって押し寄せる。だが、考えても考えても最適最良の答えは出せなかった。
自分だったからいけなかったのか。自分の選択がいけなかったのか。分からなかった。