とある企業の恋愛事情 -受付嬢と清掃員の場合-
第29話 嵐の予感
その数日後、雅彦の秘書である丸井を通して文也に連絡が来た。藤原家の令嬢と会うのは週末の土曜だと言われた。
だが、文也は行く気がなかった。当然行く用意などするつもりもない。当日は仕事もないのに朝から出勤して意味もなく時間を潰した。
────ふん。俺が素直にいうこと聞くと思ったら大間違いや。
土曜は休日だからオフィスには誰もいない。おかげでまた考える時間が増えてしまった。
そもそも、丸井が電話して来た時点で嫌な予感がしていた。丸井は随分前から雅彦付きになっている秘書で、感情のない表情がなんだか冷たくて嫌な印象の男だった。
大して仲良くもないのに雅彦の伝言だかなんだか知らないがあれこれ人の家庭のことに口を突っ込んでくる。彼も兄同様、雅彦に従うロボットにしか見えなかった。
『お見合いはクイーンズホテルの七階にある割烹、『千鳥』で午前十時から予定しております。必ず早めに来てください。藤原様をお待たせしてしまいますので』
丸井の言葉を頭の中で復唱する。丸井の能面ヅラも今頃は真っ赤になっているだろうか。相手の女は激怒しているに違いないが、興味はない。どうせ恥をかくのは雅彦だ。
結局、夕方近くまで会社に居座った。おかげで仕事はかなり進んだ。
そろそろ家に帰って休もうと会社を出ると、会社のエントランスの前に見慣れない黒光りの車が止まっていることに気が付いた。文也が立ち止まると車の後部座席の扉が開いた。そこから出て来たのは女性だった。
膝丈のフレアスカートをひらめかせ、上品にヒールを地面に着ける。優雅な仕草のまま、女性は文也の前まで歩いてきた。
「あなたが、津川文也さん?」
上品な装いとは裏腹に女性の声音はやや鋭い。表情もどこか怒っている様子だ。
「そうやけど」
「どうして今日のお見合いをすっぽかしたのか説明してくださる?」
「は?」
「おかげで私、ホテルでの一時間とここであなたを待つ一時間無駄にしたの。一体どう責任を取ってくれるつもり?」
女性はギロリと文也を睨みつけた。
────まさか、この女が見合い相手か?
藤原なんとかという女性の顔は知らない。ただホテルに行けと言われただけだ。どうでも良かったから調べもしなかった。
「……アンタが、今日の見合い相手か?」
「そうです。藤原カヲリ。あなたが計二時間も待たせた相手よ」
唖然とした。見合いに遅れたのは事実だが、それを糾弾するためにここまで来たというのだろうか。まったく暇人もいいところだ。
絵に描いたようなお嬢様だな、と文也は内心カヲリを嘲った。
「悪いけど、俺別に見合いなんて最初から行く気ないねん。勝手に親父が決めた見合いなんて興味ないし、アンタと結婚する気もない」
「私だってそうよ。けどね、建前ってものがあるでしょう。嫌なら嫌で断ったらいいけど、待たせられるこっちの身にもなってくれる?」
ど正論だ。これには返す言葉もなかった。
しかし、カヲリも見合いする気がなかったとは、都合がいい。これなら確実の断られるだろうし、こちらから言うまでもないようだ。
「待たせたんは俺が悪かった。だからこの見合いは断ってええで。お互い不愉快な見合いやったしな」
「そういうわけにはいかないわ。親から言われてるの。結婚する気はないけど、体面ってものがあるでしょう」
「……どうするつもりやねん」
文也が睨むと、カヲリはふん、と鼻を鳴らした。
「どうするつもりもないわよ。ただ、仲良くしてるふりだけしたらいいじゃない。どうせあなたも面倒なことが嫌なんでしょう。私だって嫌よ。お互い親がうるさいみたいだし、共闘しないかって言ってるの」
「共闘? なんでそんなことせなあかんねん」
「だってこのままお見合いが破談になったらまたお見合いさせられるもの。あなたもきっとそうでしょう? なら、続いてるフリした方が賢明よ」
魅力的な提案だ。それなら雅彦を黙らせることができるかもしれない。だが。
「断る」
「……どうして?」
「俺はそんなことせんでも断れるねん。第一、そうやってズルズル伸ばしてるほうが親に期待させて都合悪いことになるやろ。その方が面倒やわ」
「あっ、そう。けど私は困るの。二時間待たせたお詫びに多少は協力してもらえる?」
「何で俺が協力せなあかんねん。自分でどないかしたらええやん」
「それができないから言ってるんじゃない」
「親の庇護下でぬくぬくしとる奴が何言ってんねん。ほんまに家出たいなら死ぬ気で努力せえや。俺はそうやって現状に甘えて努力せえへん奴が一番嫌いやねん」
「ちょっと!」
喚くカヲリを無視して家の方向に足を進めた。見合いがどうとか困るだとか知ったことか。勝手にやっていればいい。
仮にまた見合いの話が来ても行かないだけだ。雅彦の言うことを聞く気なんてさらさらない。
だが、文也は行く気がなかった。当然行く用意などするつもりもない。当日は仕事もないのに朝から出勤して意味もなく時間を潰した。
────ふん。俺が素直にいうこと聞くと思ったら大間違いや。
土曜は休日だからオフィスには誰もいない。おかげでまた考える時間が増えてしまった。
そもそも、丸井が電話して来た時点で嫌な予感がしていた。丸井は随分前から雅彦付きになっている秘書で、感情のない表情がなんだか冷たくて嫌な印象の男だった。
大して仲良くもないのに雅彦の伝言だかなんだか知らないがあれこれ人の家庭のことに口を突っ込んでくる。彼も兄同様、雅彦に従うロボットにしか見えなかった。
『お見合いはクイーンズホテルの七階にある割烹、『千鳥』で午前十時から予定しております。必ず早めに来てください。藤原様をお待たせしてしまいますので』
丸井の言葉を頭の中で復唱する。丸井の能面ヅラも今頃は真っ赤になっているだろうか。相手の女は激怒しているに違いないが、興味はない。どうせ恥をかくのは雅彦だ。
結局、夕方近くまで会社に居座った。おかげで仕事はかなり進んだ。
そろそろ家に帰って休もうと会社を出ると、会社のエントランスの前に見慣れない黒光りの車が止まっていることに気が付いた。文也が立ち止まると車の後部座席の扉が開いた。そこから出て来たのは女性だった。
膝丈のフレアスカートをひらめかせ、上品にヒールを地面に着ける。優雅な仕草のまま、女性は文也の前まで歩いてきた。
「あなたが、津川文也さん?」
上品な装いとは裏腹に女性の声音はやや鋭い。表情もどこか怒っている様子だ。
「そうやけど」
「どうして今日のお見合いをすっぽかしたのか説明してくださる?」
「は?」
「おかげで私、ホテルでの一時間とここであなたを待つ一時間無駄にしたの。一体どう責任を取ってくれるつもり?」
女性はギロリと文也を睨みつけた。
────まさか、この女が見合い相手か?
藤原なんとかという女性の顔は知らない。ただホテルに行けと言われただけだ。どうでも良かったから調べもしなかった。
「……アンタが、今日の見合い相手か?」
「そうです。藤原カヲリ。あなたが計二時間も待たせた相手よ」
唖然とした。見合いに遅れたのは事実だが、それを糾弾するためにここまで来たというのだろうか。まったく暇人もいいところだ。
絵に描いたようなお嬢様だな、と文也は内心カヲリを嘲った。
「悪いけど、俺別に見合いなんて最初から行く気ないねん。勝手に親父が決めた見合いなんて興味ないし、アンタと結婚する気もない」
「私だってそうよ。けどね、建前ってものがあるでしょう。嫌なら嫌で断ったらいいけど、待たせられるこっちの身にもなってくれる?」
ど正論だ。これには返す言葉もなかった。
しかし、カヲリも見合いする気がなかったとは、都合がいい。これなら確実の断られるだろうし、こちらから言うまでもないようだ。
「待たせたんは俺が悪かった。だからこの見合いは断ってええで。お互い不愉快な見合いやったしな」
「そういうわけにはいかないわ。親から言われてるの。結婚する気はないけど、体面ってものがあるでしょう」
「……どうするつもりやねん」
文也が睨むと、カヲリはふん、と鼻を鳴らした。
「どうするつもりもないわよ。ただ、仲良くしてるふりだけしたらいいじゃない。どうせあなたも面倒なことが嫌なんでしょう。私だって嫌よ。お互い親がうるさいみたいだし、共闘しないかって言ってるの」
「共闘? なんでそんなことせなあかんねん」
「だってこのままお見合いが破談になったらまたお見合いさせられるもの。あなたもきっとそうでしょう? なら、続いてるフリした方が賢明よ」
魅力的な提案だ。それなら雅彦を黙らせることができるかもしれない。だが。
「断る」
「……どうして?」
「俺はそんなことせんでも断れるねん。第一、そうやってズルズル伸ばしてるほうが親に期待させて都合悪いことになるやろ。その方が面倒やわ」
「あっ、そう。けど私は困るの。二時間待たせたお詫びに多少は協力してもらえる?」
「何で俺が協力せなあかんねん。自分でどないかしたらええやん」
「それができないから言ってるんじゃない」
「親の庇護下でぬくぬくしとる奴が何言ってんねん。ほんまに家出たいなら死ぬ気で努力せえや。俺はそうやって現状に甘えて努力せえへん奴が一番嫌いやねん」
「ちょっと!」
喚くカヲリを無視して家の方向に足を進めた。見合いがどうとか困るだとか知ったことか。勝手にやっていればいい。
仮にまた見合いの話が来ても行かないだけだ。雅彦の言うことを聞く気なんてさらさらない。