とある企業の恋愛事情 -受付嬢と清掃員の場合-
 文也は黙ってデスクに向かった。

 美帆のいない日々にうんざりしながらも、仕事をしないわけにはいかなかった。

 頭を休めたいと思っても突然見合いの話が出てきたりカヲリが湧いたりと全くもって心が休まらない。しかし、そう思うと決まって美帆のことを思い出して、また無限ループだ。

「あの、社長」

 社員の一人が話しかけて来た。

「会社の入り口のところにずっと黒い車が停まってるんですけど」

 文也は眉を顰めた。あの女(カヲリ)だ。あれだけキツく言ったのにまた待ち伏せしているのだろうか。

「後ろの席に座ってた女の人に津川社長はいるかって聞かれたんですけど、お知り合いですか?」

「……俺のストーカーや」

「ええっ」

「冗談や。分かった。ちょっと行ってくるわ」

 デスクの上のプリントが飛んでいきそうなほど大きなため息をついて、文也は外に向かった。
 
 カヲリの目的はなんだろうか。また見合いするのが嫌だからと言ってこうもしつこくするなどありえない。藤原製薬は大手企業だし、津川商事に媚を売ろうとする気持ちはわからなくもないが、ここまでする必要があるのか。

 会社のエントランスに行くと、すぐに黒塗りの車が見えた。あれがそうだろう。後部座席の扉の前まで行き、窓をノックした。すぐに窓が開いた。

「ええ加減にせえよ。お前とは結婚せんて言うてるやろ」

「……この間はごめんなさい」

 突然カヲリは謝った。まさかそんなことを言われるとは思ってもみなくて、文也は一瞬たじろいだ。

 だが、すぐには信じられなかった。カヲリは雅彦が用意した見合い相手だ。《《自分側》》ではないはずだ。

「……どういうつもりやねん」

「だから……悪かったわ。この間は私が言い過ぎたと思ってる」

「疑わしい人間の謝罪なんか聞くと思うか?」

「あなたが私を疑う気持ちもわかるけど私にも事情があるの。お願いだから話を聞いてよ」

「……はあ」

 ため息一つつき、頭を掻き毟る。カヲリの言うことは信用できない。雅彦の手先だった場合、余計な情報が漏れるだけだ。このまま捨て置く方がいいだろう。

 だが、本当にそうなのだろうか。少なくとも今、必死に頼み込んでいるカヲリは嘘をついているようには見えない。

「……分かった。しゃーないから話だけは聞いてやるわ。とにかくアンタはこの派手な車どっか他にやれ。うちの社員が怪しんでるやんか」

「分かった」

「十二時になったらまた来て。俺仕事せなあかんから」

「仕事の邪魔してごめんなさい。じゃあ、また」

 カヲリはそのまま去った。昼まで────と言ってもあまり時間はないが、どこかで時間を潰してくるだろう。とにかく話はそれからだ。
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