とある企業の恋愛事情 -受付嬢と清掃員の場合-
その後、丸井秘書から連絡がきたが、文也は無視をした。カヲリのことだと分かっていた。
カヲリはどう言ったのだろうか。それは分からないが、何を言われたとしても美帆以外と結婚する気はない。
そういえば、カヲリのことは何も聞いていない。藤原製薬の一人娘。それだけだ。おそらく見合いに行っていればそれを聞けたのかもしれないが、興味はない。
適当に会って適当に会話していればそれでいいだろう。
その数日後、またカヲリが会社に来た。
だが、文也が仕事を終わらせ会社を出たのは夜の八時過ぎだ。エントランスを出ると、やたら不機嫌な顔のカヲリがいて驚いた。
「自分、何してんの」
「……連絡先を聞き忘れたから待ってたのよ」
それで外で待っていたというのか。一体いつからいたのか知らないが、十分そこらの話ではなさそうだ。
「アホか。中に入ってきたらいいやんか」
「そんな図々しいことしないわよ」
「……今までも十分図々しかったけどな。そんで、なに?」
「別に用事はないわ。定期的に会った方がお見合いが続いてるって言えるから来ただけ。暇なら食事でもしない?」
しない。と言いたいところだが、自分のために何時間も待っていた人間を無視はできない。カヲリは一応現在進行形の見合い相手だ。食事ぐらいならいいだろう。
「しゃーないな。適当に食ってサッと帰るで」
面倒に思ったが、これも仕事と思って割り切ることにした。幸いカヲリは特に必要以上の関係を望んでいないようだし、短い時間で済むから文也としても楽だ。
食事は簡単なもので済ませたかったが、デートしていると思われなくてはならないためもう少しこましな店を選んだ。だから、店の中はカップルが多い。
────はぁ。なんで俺こんなところにおるんやろ。
どうせなら美帆と来たかった、と思った。美帆とはかしこまらない店に行くことが多かったが、恋人らしい雰囲気の店に連れて行ってやればあの時の選択も変わっただろうか。しかし、今となってはもう遅い。
「悪いわね。恋人でもないのにこんなところ」
「しゃーないやろ。見合い相手なんやから」
適当に食事と酒を頼んだ。楽しい食事会など期待していない。ただ空腹を満たすのが目的だ。
「ねえ、どうして恋人と別れちゃったの? ケンカとか?」
ワイングラスを持つ手がピタリと止まる。文也は「見合い相手」ということも忘れてカヲリを睨んだ。
「……ごめんなさい。この手の話題は嫌そうだけど、気になって。その人と早く結婚すればお見合いせずに済んだんじゃない」
それができていたらどんなに良かったか。文也はワインを一気に煽った。
思い出すのも辛い。美帆に言われた言葉は全て覚えている。自分は美帆の相手には不足だった。美帆はただ楽しい関係だけを望んでいて、結婚など考えていなかった。
自分一人が妄想していた。ただの一人相撲だ。
「……結婚には興味なかってんて。だから、俺とは結婚できんって言われた」
「結婚しないのに付き合ってたの? それってただのお遊びなんじゃ────」
再び文也が睨みつけると、カヲリはしまった、と言葉を止めた。
「……その人のどこが好きだったの?」
「……あったかいところ」
「あったかい? 何が?」
美帆といると心地よかった。怒っていても笑っていても、なぜだか安心できた。多分、そこに愛情があったからだ。
当たり前の日常にいると自分がまともになれた気分だった。だから結婚して、それを永遠にしたかった。美帆と本物の家族になりたかった。
「ちょ、ちょっと! 何泣きそうな顔してるのよ。私が泣かせたみたいじゃない」
「俺が津川文也やからあかんねん……こんなややこい男となんて誰も結婚せえへんわ……」
酔ったせいか、ワインを一気飲みした効果が早くも現れたようだ。頭はしっかりしているが、いささか口が軽い。他人に愚痴を言うなんて自覚する以上に参っていたのかもしれない。
「じゃあ、私が協力してあげる」カヲリは楽しげに提案した。
「……協力?」
「津川さんはその人と寄りを戻したいんでしょう? それの手伝いをするってこと」
そんなことが可能なのだろうか。だが、それがもしできるのだとしたら願ってもないことだ。
「私も協力してもらってるわけだし、それぐらいするわよ。それならお互いウィンウィンになるでしょう?」
「……アンタ、うちの親父のスパイちゃうやろな」
「ちょと、失礼なこと言わないで。私もこのお見合いの被害者なのよ。それにスパイなんて頼まれるほど落ちぶれてません」
「具体的には? より戻すって、そんな簡単なことちゃうで。つーか俺フラれた方やし……」
「まだ何も考えてない。けど、一度は好きあってたんでしょう? なんとかなるわよ」
「計画性なしやな……」
「じゃあ延々と引きずったら? そうやってる間に向こうは新しい相手見つけてるかもしれないのよ」
それは嫌だ。美帆が他の男と付き合うなんて耐えられない。だが、現状口を出す権利はない。ここは見合い相手の手でもなんでも借りるしかないだろう。
「分かった。なんかよう分からんけど、頼むわ」
「任せてよ。ちょっとぐらいは役に立ってあげる」
カヲリはどう言ったのだろうか。それは分からないが、何を言われたとしても美帆以外と結婚する気はない。
そういえば、カヲリのことは何も聞いていない。藤原製薬の一人娘。それだけだ。おそらく見合いに行っていればそれを聞けたのかもしれないが、興味はない。
適当に会って適当に会話していればそれでいいだろう。
その数日後、またカヲリが会社に来た。
だが、文也が仕事を終わらせ会社を出たのは夜の八時過ぎだ。エントランスを出ると、やたら不機嫌な顔のカヲリがいて驚いた。
「自分、何してんの」
「……連絡先を聞き忘れたから待ってたのよ」
それで外で待っていたというのか。一体いつからいたのか知らないが、十分そこらの話ではなさそうだ。
「アホか。中に入ってきたらいいやんか」
「そんな図々しいことしないわよ」
「……今までも十分図々しかったけどな。そんで、なに?」
「別に用事はないわ。定期的に会った方がお見合いが続いてるって言えるから来ただけ。暇なら食事でもしない?」
しない。と言いたいところだが、自分のために何時間も待っていた人間を無視はできない。カヲリは一応現在進行形の見合い相手だ。食事ぐらいならいいだろう。
「しゃーないな。適当に食ってサッと帰るで」
面倒に思ったが、これも仕事と思って割り切ることにした。幸いカヲリは特に必要以上の関係を望んでいないようだし、短い時間で済むから文也としても楽だ。
食事は簡単なもので済ませたかったが、デートしていると思われなくてはならないためもう少しこましな店を選んだ。だから、店の中はカップルが多い。
────はぁ。なんで俺こんなところにおるんやろ。
どうせなら美帆と来たかった、と思った。美帆とはかしこまらない店に行くことが多かったが、恋人らしい雰囲気の店に連れて行ってやればあの時の選択も変わっただろうか。しかし、今となってはもう遅い。
「悪いわね。恋人でもないのにこんなところ」
「しゃーないやろ。見合い相手なんやから」
適当に食事と酒を頼んだ。楽しい食事会など期待していない。ただ空腹を満たすのが目的だ。
「ねえ、どうして恋人と別れちゃったの? ケンカとか?」
ワイングラスを持つ手がピタリと止まる。文也は「見合い相手」ということも忘れてカヲリを睨んだ。
「……ごめんなさい。この手の話題は嫌そうだけど、気になって。その人と早く結婚すればお見合いせずに済んだんじゃない」
それができていたらどんなに良かったか。文也はワインを一気に煽った。
思い出すのも辛い。美帆に言われた言葉は全て覚えている。自分は美帆の相手には不足だった。美帆はただ楽しい関係だけを望んでいて、結婚など考えていなかった。
自分一人が妄想していた。ただの一人相撲だ。
「……結婚には興味なかってんて。だから、俺とは結婚できんって言われた」
「結婚しないのに付き合ってたの? それってただのお遊びなんじゃ────」
再び文也が睨みつけると、カヲリはしまった、と言葉を止めた。
「……その人のどこが好きだったの?」
「……あったかいところ」
「あったかい? 何が?」
美帆といると心地よかった。怒っていても笑っていても、なぜだか安心できた。多分、そこに愛情があったからだ。
当たり前の日常にいると自分がまともになれた気分だった。だから結婚して、それを永遠にしたかった。美帆と本物の家族になりたかった。
「ちょ、ちょっと! 何泣きそうな顔してるのよ。私が泣かせたみたいじゃない」
「俺が津川文也やからあかんねん……こんなややこい男となんて誰も結婚せえへんわ……」
酔ったせいか、ワインを一気飲みした効果が早くも現れたようだ。頭はしっかりしているが、いささか口が軽い。他人に愚痴を言うなんて自覚する以上に参っていたのかもしれない。
「じゃあ、私が協力してあげる」カヲリは楽しげに提案した。
「……協力?」
「津川さんはその人と寄りを戻したいんでしょう? それの手伝いをするってこと」
そんなことが可能なのだろうか。だが、それがもしできるのだとしたら願ってもないことだ。
「私も協力してもらってるわけだし、それぐらいするわよ。それならお互いウィンウィンになるでしょう?」
「……アンタ、うちの親父のスパイちゃうやろな」
「ちょと、失礼なこと言わないで。私もこのお見合いの被害者なのよ。それにスパイなんて頼まれるほど落ちぶれてません」
「具体的には? より戻すって、そんな簡単なことちゃうで。つーか俺フラれた方やし……」
「まだ何も考えてない。けど、一度は好きあってたんでしょう? なんとかなるわよ」
「計画性なしやな……」
「じゃあ延々と引きずったら? そうやってる間に向こうは新しい相手見つけてるかもしれないのよ」
それは嫌だ。美帆が他の男と付き合うなんて耐えられない。だが、現状口を出す権利はない。ここは見合い相手の手でもなんでも借りるしかないだろう。
「分かった。なんかよう分からんけど、頼むわ」
「任せてよ。ちょっとぐらいは役に立ってあげる」