とある企業の恋愛事情 -受付嬢と清掃員の場合-
────意気込んできたはいいものの、どうするねん。
文也は再度日を改め再び藤宮コーポレーションに向かった。
だが、美帆に会いに来ただけではない。もちろん仕事という用事があったからだ。担当者とは会う約束を取り付けているし、追い返されることはない。正当な理由がある。
しかし────。約束の時間まであと十分。文也はエントランス前で尻込んでいた。
いざ美帆に会って、また冷たく無視されたらどうしようか。そんなことになったら今度こそなけなしの自信が打ち砕かれてしまう。
会って誤解を解きたい。自分は今も美帆のことが好きなのだと言いたい。しかしフラれた今となってはそれも迷惑に思われるだけかもしれない。
それでも、ここで諦めるわけにはいかない。文也は意を決して足を踏み出した。
エントランスの真正面に位置する総合受付はある程度近づけば中の様子も見える。だから、文也は早い段階で美帆がいることに気が付いた。恐らく美帆もそうだろう。
受付にはいつも一人か二人の受付嬢がいるが、現在は美帆だけのようだ。ありがたいことだが、意外に思った。決められたスケジュールを知っていれば自分を避けることは可能だ。それをしなかったということは────。期待しそうになる。
「どうも……」
歯切れの悪い挨拶をすると、美帆は丁寧に頭を下げた。他の来客にしている所作だ。
「いらっしゃいませ。津川社長」
無視されなかったことにホッとしたものの、安心したのは束の間だった。丁寧な仕草はかえって冷たく映る。距離を取られているように感じた。その呼び方も、自分と美帆との距離が離れてしまったことを示している。
美帆はそのまま案内を続けた。
「担当者から承っております。本日は十八階のミーティングルームAを予約しておりますので、奥のエスカレーターで────」
「美帆、この間のことやけど……」
文也は息を呑み込み、切り出した。画面を眺めていた美帆の唇が言葉を止めた。
「あれは、ちゃうねん。アイツは別に俺のなんでもなくて、その────」
「津川さん」
美帆は淡々と言った。
「私とあなたはもう関係ありません。こうやって話されると迷惑です。あなたの新しい恋人も心配しますよ」
「アイツは……ッ」
恋人じゃないと否定したかった。だが、それも言い訳がましいだろうか。恋人でないならなんと説明すべきだろうか。秘書? それとも社員の一人? 咄嗟のことで思いつかない。つくづく、言い訳が向いていない性格をしていると思った。
「……よかったですね。結婚してくださる相手が見つかって」
皮肉たっぷりの言葉だ。本当に喜んでいるわけではない。これは嫌味だ。ようやく美帆は笑ったが、ちっとも嬉しそうではない。
「ちゃうねん。美帆、俺は……」
「もうこんなふうに話しかけないで下さい。私はあなたのことなんて好きでもなんでもありません」
言葉が出てこなかった。言いたいことは山ほどあったのに、声に出しても全て跳ね除けられてしまうような気がした。
いつも、美帆に近づくと彼女が使っているシャンプーの香りがした。仕事終わりに髪を解いた美帆の近くに行くとその香りがして、自分は特別な存在なのだと思えた。
けれど今は違う。カウンターに隔てられて、美帆は髪を束ねたままだ。
自分達は特別な関係などではなくなったのだと感じざるを得なかった。まだなんとかなると夢を見ていたのは自分だけだ。
文也は再度日を改め再び藤宮コーポレーションに向かった。
だが、美帆に会いに来ただけではない。もちろん仕事という用事があったからだ。担当者とは会う約束を取り付けているし、追い返されることはない。正当な理由がある。
しかし────。約束の時間まであと十分。文也はエントランス前で尻込んでいた。
いざ美帆に会って、また冷たく無視されたらどうしようか。そんなことになったら今度こそなけなしの自信が打ち砕かれてしまう。
会って誤解を解きたい。自分は今も美帆のことが好きなのだと言いたい。しかしフラれた今となってはそれも迷惑に思われるだけかもしれない。
それでも、ここで諦めるわけにはいかない。文也は意を決して足を踏み出した。
エントランスの真正面に位置する総合受付はある程度近づけば中の様子も見える。だから、文也は早い段階で美帆がいることに気が付いた。恐らく美帆もそうだろう。
受付にはいつも一人か二人の受付嬢がいるが、現在は美帆だけのようだ。ありがたいことだが、意外に思った。決められたスケジュールを知っていれば自分を避けることは可能だ。それをしなかったということは────。期待しそうになる。
「どうも……」
歯切れの悪い挨拶をすると、美帆は丁寧に頭を下げた。他の来客にしている所作だ。
「いらっしゃいませ。津川社長」
無視されなかったことにホッとしたものの、安心したのは束の間だった。丁寧な仕草はかえって冷たく映る。距離を取られているように感じた。その呼び方も、自分と美帆との距離が離れてしまったことを示している。
美帆はそのまま案内を続けた。
「担当者から承っております。本日は十八階のミーティングルームAを予約しておりますので、奥のエスカレーターで────」
「美帆、この間のことやけど……」
文也は息を呑み込み、切り出した。画面を眺めていた美帆の唇が言葉を止めた。
「あれは、ちゃうねん。アイツは別に俺のなんでもなくて、その────」
「津川さん」
美帆は淡々と言った。
「私とあなたはもう関係ありません。こうやって話されると迷惑です。あなたの新しい恋人も心配しますよ」
「アイツは……ッ」
恋人じゃないと否定したかった。だが、それも言い訳がましいだろうか。恋人でないならなんと説明すべきだろうか。秘書? それとも社員の一人? 咄嗟のことで思いつかない。つくづく、言い訳が向いていない性格をしていると思った。
「……よかったですね。結婚してくださる相手が見つかって」
皮肉たっぷりの言葉だ。本当に喜んでいるわけではない。これは嫌味だ。ようやく美帆は笑ったが、ちっとも嬉しそうではない。
「ちゃうねん。美帆、俺は……」
「もうこんなふうに話しかけないで下さい。私はあなたのことなんて好きでもなんでもありません」
言葉が出てこなかった。言いたいことは山ほどあったのに、声に出しても全て跳ね除けられてしまうような気がした。
いつも、美帆に近づくと彼女が使っているシャンプーの香りがした。仕事終わりに髪を解いた美帆の近くに行くとその香りがして、自分は特別な存在なのだと思えた。
けれど今は違う。カウンターに隔てられて、美帆は髪を束ねたままだ。
自分達は特別な関係などではなくなったのだと感じざるを得なかった。まだなんとかなると夢を見ていたのは自分だけだ。