とある企業の恋愛事情 -受付嬢と清掃員の場合-
文也とよりを戻して、美帆はすっかり日常を取り戻した。
この間まで背負っていた黒いオーラはいったいどこへ消えたのか、絶好調で仕事に励んでいる。
「ええっ!? 津川さんとよりを戻した!?」
報告すると、流石の沙織も驚いていた。ついこの間まで死んだように落ち込んでいた美帆を心配していたのだから当然だ。
「いやー……すごい展開の早さねぇ。ここまでくるともはや美帆がドラマの主人公みたいよ」
「あはは……そういうわけで、ご心配おかけしました」
「元気ならそれでいいよ。なにがあったのか気になるけど……」
「えーと、かくかくしかじか……」
あの出来事を言葉にすると昼ドラとしか言いようがない。どうせ沙織の反応は決まっている。
「でも、よりを戻したってことはやっぱり結婚するの?」
「それは……分からない」
「え、なんで」
「しようって言われたの前に付き合ってた時だし、今も文也さんがそうしたいかは分からないよ」
「そんなの、今もでしょ。たいして期間空いたわけでもないんだし」
「いいの。急かすつもりないし、その時が来たら答えるって」
「なんて?」
沙織がニヤニヤしながら美帆を肘で小突いた。
「内緒」
仕事を終えた美帆はロッカールームから沙織と一緒に退勤した。
エントランスを出ると、待っていた文也が軽く手を振った。美帆もつられて振り返した。
「お迎えですか。ラブラブですなあ」
「はいはい。じゃあ、お疲れ様」
生温かい視線を向ける沙織と別れ、美帆は文也の元へと駆けた。
「仕事、早く終わったんですか?」
「早く終わらせてきてん」
「……サボり?」
「美帆に会いたいからに決まってるやろ」
腹立たしいほど素直に本心を口にする人だ、と思った。文也のこんな発言にも慣れてきたと思っていたが、どうやらまだまだかかるらしい。
美帆はお返しにとばかりに文也の手を握った。
「会いたいのは、文也さんだけじゃないんですよ」
「……俺の心臓が弱かったら多分今まで千回ぐらい美帆に殺されてるわ」
「意味が分かりません。ほら、行きますよ」
今日は久しぶりのデートだった。デートと言ってもすることは決まっていない。ただぶらぶら街を歩くだけだ。それでも、美帆は文也と一緒に歩けるだけで幸せだった。
「文也さん。ちょっと報告というか、考えていることがあるんですけど」
「ん? どうしたん」
「前に、秘書課に移動する話をしたじゃないですか。あれ、受けようかなって」
「え、そうなん。いつ?」
「いつとは……タイミングが来たら、です」
「タイミングって……今すぐじゃないやんな?」
文也はやけに焦っている。突然移動されて困ることでもあるのだろうか。
「私が秘書課に行ったら寂しいですか?」
「そりゃ……寂しいやろ」
おかしな人だ。こうしてプライベートでも会えるのに、仕事場で会えなくなると寂しいなんて。
「安心してください。今すぐじゃありませんよ。もう少しだけ先の話です」
「……美帆って、今はどれぐらい秘書課におるん」
「週の半分は秘書課にいますよ。火曜と木曜ですね。あとは受付です」
「じゃあ、月水金は受付におるねんな?」
「どうしたんですか? まさかそれに合わせて打ち合わせ入れようとか思ってません?」
「そんなん、俺は決められへんよ。担当者の匙加減」
「ご心配なく。津川フロンティアの名前がスケジュール表に入ったらうちの受付嬢達はみんな私にお知らせしてくれるんです」
もはやなんでも筒抜け状態だ。だが、おかげで文也とすれ違うことはない。職権濫用な気もするが、来客と距離が近いのは受付の特権だ。
「じゃあ、今度受付の人になんか差し入れ持って行かなな。俺も色々世話になってるし」
「そんなに気にしないでください。むしろみんな楽しんでますから」
「美帆に変な虫がつかんように見ててもらわなあかんし?」
「まだ疑ってるんですか。良樹とはなんともないって言ったじゃないですかっ」
「冗談やって」
「あなたが言うと冗談に聞こえません」
ぷんぷん怒ると文也は嬉しそうだ。これじゃ怒っている意味がない、と美帆は口を尖らせた。
けれどこんな平穏を楽しんでいるのは、自分もだ。一度失ったからか、今文也がここにいることも不思議な感じがした。安心している。けれどどこか、また文也がいなくなってしまうような──そんな不安を感じる時もある。
黙っていると、文也が掌を握った。まるでここにいる、と訴えかけるように。
「美帆、幸せ?」
そんな質問をされると思っても見なかったから、美帆はつい驚いて肯定できなかった。いつも考えていることなのに。
「ごめん。俺が言わせてるみたいやな」
「そんなことありません。ちゃんと幸せです」
「じゃあ────」
文也は言葉を切り、しばらく美帆を見つめた。
「美帆が好きな飯でも食べに行こか」
────なんか今、はぐらかそうとした?
本当にそれを言うつもりだったのだろうか。そうではないと女の勘が告げている。
けれど尋ねなかった。文也は楽しそうな顔をしているし、深く聞くべきではないと判断した。本当に言いたかったらきっと、また自分から言ってくれるだろう。
この間まで背負っていた黒いオーラはいったいどこへ消えたのか、絶好調で仕事に励んでいる。
「ええっ!? 津川さんとよりを戻した!?」
報告すると、流石の沙織も驚いていた。ついこの間まで死んだように落ち込んでいた美帆を心配していたのだから当然だ。
「いやー……すごい展開の早さねぇ。ここまでくるともはや美帆がドラマの主人公みたいよ」
「あはは……そういうわけで、ご心配おかけしました」
「元気ならそれでいいよ。なにがあったのか気になるけど……」
「えーと、かくかくしかじか……」
あの出来事を言葉にすると昼ドラとしか言いようがない。どうせ沙織の反応は決まっている。
「でも、よりを戻したってことはやっぱり結婚するの?」
「それは……分からない」
「え、なんで」
「しようって言われたの前に付き合ってた時だし、今も文也さんがそうしたいかは分からないよ」
「そんなの、今もでしょ。たいして期間空いたわけでもないんだし」
「いいの。急かすつもりないし、その時が来たら答えるって」
「なんて?」
沙織がニヤニヤしながら美帆を肘で小突いた。
「内緒」
仕事を終えた美帆はロッカールームから沙織と一緒に退勤した。
エントランスを出ると、待っていた文也が軽く手を振った。美帆もつられて振り返した。
「お迎えですか。ラブラブですなあ」
「はいはい。じゃあ、お疲れ様」
生温かい視線を向ける沙織と別れ、美帆は文也の元へと駆けた。
「仕事、早く終わったんですか?」
「早く終わらせてきてん」
「……サボり?」
「美帆に会いたいからに決まってるやろ」
腹立たしいほど素直に本心を口にする人だ、と思った。文也のこんな発言にも慣れてきたと思っていたが、どうやらまだまだかかるらしい。
美帆はお返しにとばかりに文也の手を握った。
「会いたいのは、文也さんだけじゃないんですよ」
「……俺の心臓が弱かったら多分今まで千回ぐらい美帆に殺されてるわ」
「意味が分かりません。ほら、行きますよ」
今日は久しぶりのデートだった。デートと言ってもすることは決まっていない。ただぶらぶら街を歩くだけだ。それでも、美帆は文也と一緒に歩けるだけで幸せだった。
「文也さん。ちょっと報告というか、考えていることがあるんですけど」
「ん? どうしたん」
「前に、秘書課に移動する話をしたじゃないですか。あれ、受けようかなって」
「え、そうなん。いつ?」
「いつとは……タイミングが来たら、です」
「タイミングって……今すぐじゃないやんな?」
文也はやけに焦っている。突然移動されて困ることでもあるのだろうか。
「私が秘書課に行ったら寂しいですか?」
「そりゃ……寂しいやろ」
おかしな人だ。こうしてプライベートでも会えるのに、仕事場で会えなくなると寂しいなんて。
「安心してください。今すぐじゃありませんよ。もう少しだけ先の話です」
「……美帆って、今はどれぐらい秘書課におるん」
「週の半分は秘書課にいますよ。火曜と木曜ですね。あとは受付です」
「じゃあ、月水金は受付におるねんな?」
「どうしたんですか? まさかそれに合わせて打ち合わせ入れようとか思ってません?」
「そんなん、俺は決められへんよ。担当者の匙加減」
「ご心配なく。津川フロンティアの名前がスケジュール表に入ったらうちの受付嬢達はみんな私にお知らせしてくれるんです」
もはやなんでも筒抜け状態だ。だが、おかげで文也とすれ違うことはない。職権濫用な気もするが、来客と距離が近いのは受付の特権だ。
「じゃあ、今度受付の人になんか差し入れ持って行かなな。俺も色々世話になってるし」
「そんなに気にしないでください。むしろみんな楽しんでますから」
「美帆に変な虫がつかんように見ててもらわなあかんし?」
「まだ疑ってるんですか。良樹とはなんともないって言ったじゃないですかっ」
「冗談やって」
「あなたが言うと冗談に聞こえません」
ぷんぷん怒ると文也は嬉しそうだ。これじゃ怒っている意味がない、と美帆は口を尖らせた。
けれどこんな平穏を楽しんでいるのは、自分もだ。一度失ったからか、今文也がここにいることも不思議な感じがした。安心している。けれどどこか、また文也がいなくなってしまうような──そんな不安を感じる時もある。
黙っていると、文也が掌を握った。まるでここにいる、と訴えかけるように。
「美帆、幸せ?」
そんな質問をされると思っても見なかったから、美帆はつい驚いて肯定できなかった。いつも考えていることなのに。
「ごめん。俺が言わせてるみたいやな」
「そんなことありません。ちゃんと幸せです」
「じゃあ────」
文也は言葉を切り、しばらく美帆を見つめた。
「美帆が好きな飯でも食べに行こか」
────なんか今、はぐらかそうとした?
本当にそれを言うつもりだったのだろうか。そうではないと女の勘が告げている。
けれど尋ねなかった。文也は楽しそうな顔をしているし、深く聞くべきではないと判断した。本当に言いたかったらきっと、また自分から言ってくれるだろう。