とある企業の恋愛事情 -受付嬢と清掃員の場合-
 腹の底で何を考えているかわからなくて、気味が悪い。津川と会うと胸の奥がソワソワして落ち着かない。たとえるならそう、天敵に会った時のライオンのような────。

「恋ね」

 美帆の心の声に唐突に言葉を被せてきたのは沙織だ。

 美帆はカウンターの向こうに向けていた視線をぐるりと沙織に向けた。最大限嫌そうな顔をして。

「……幻聴が聞こえたんだけど」

「だって美帆、入り口の方ばっかり見てるから。津川さんがくるの待ってるの?」

「待ってません。私はただ……人間観察してただけ」

「ふうん? 随分熱い視線だったけど」

「憎しみのこもったの間違いじゃない?」

 津川のことは考えていたが、待ってなどいない。恋もしていない。ただ、イライラしていただけだ。

「さ、あんな男のことよりもう片付けないと。そろそろ終業時刻だし、残業にならないようにしないと」

「最近中村さんとはどう? デートしてる?」

「……全然」

 メッセージのやりとりはしているが、あれから会ってしていない。正直、津川のことに気を取られていた。連絡しなければ向こうは忘れてしまうかもしれない。

「今日誘ってみたら? ご飯行きましょうって」

「私だって予定あるの。そんな突然ご飯行けないよ」

「予定って?」

「……ドラマ見たりとか」

「そんなのいつでも見れるじゃない。今しかできないことしなよ」

「今しかできないことって?」

「俺とのデートとか」

 突然聞き覚えのある挑発的な声がして、美帆はハッと視線を変えた。

 イヤラシイ笑み。ムカつくほど整った顔。まるでやっと見たかと言わんばかりに、津川はニッコリと笑った。

 しかし、美帆だって負けていない。こうなるような予感はしていたから、最大限の攻撃、受付嬢仕様パーフェクトスマイルをかましてやった。

「いらっしゃいませ津川様。本日はどなたかとお約束でも?」

「こんにちは杉野サン。今日このあと予定はありますか?」

「残念です。今日は見たいドラマが目白押しですぐに帰らないといけないんです。申し訳ございません」

「なるほど、ご自身はカウチポテトだと仰りたいんですね。それは楽しそうです。是非俺も混ぜてください」

「ご冗談を。津川様は会社の経営でお忙しいでしょう。早くお暇された方が宜しいのでは?」

 二人の間で火花が散る。いや、散らしているのは美帆だけかもしれない。

 こんな終業間近にやってくるなんてロクな予感がしない。今日は菓子折りもない。挨拶でもない。なら、なぜ来たのだろう。

 その時、終業を知らせるチャイムが鳴った。美帆はすぐさま沙織の方を向いた。

「さ、今日の来客はもうないし早く片付けしましょう」

「え、美帆。津川さんは────」

「彼はお客様じゃないから。ですよね、津川様?」

「そう。今日は杉野サンをデートに誘いに来ただけ」

「あなたこの期に及んでまだそんなことを……」

「予定、ないんですよね? 会社出たところで待ってます。じゃ」

「あっ────」

 津川は言うだけ言ってさっさと背を向けてしまった。

「デートじゃん! 美帆!」

 沙織ははしゃいでいる。美帆は開いた口が塞がらない。

「行っておいでよ。絶対いいと思う!」

「じゃあ沙織が行ってよ。私は行きたくないしドラマ見たいし」

「私は愛しの旦那様のご飯作らないといけないから」

「……それは、お熱いことで」
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