とある企業の恋愛事情 -受付嬢と清掃員の場合-
第7話 ドラマティック・ラブ・ビギニング
 滝川とラーメンを食べた翌日、美帆は早速沙織に詰め寄られた。

「ちょっと美帆! 昨日のあれ、何!?」

「何って、なに?」

「何って、清掃員の人と一緒にどっか行ってたじゃない。まさか付き合ってるの?」

「違うよ。一緒にラーメン食べに行っただけ」

「ラーメン? また色気のない……」

 沙織は呆れているようだったが、美帆は満足だった。滝川との時間は今までしたどのデートより気楽で楽しかった。変に高い店ではないし、かしこまる必要もない。それに同じ会社の人間だから、より話しやすかった。

「その人のこと好きなの?」

「まだ好きってわけじゃ……ないかな。いい人だとは思うけど。でもデートは今までで一番楽しかった」

「ふうん。それならいいんじゃない。とにかく、今までみたいにイメージと違うとか言ってガッカリされない人なら」

 正直どうしようか迷っていた。滝川も自分のことを知ったらがっかりするのではないか心配だった。

 だがそれは杞憂だった。驚いていたようだったが、話も弾んだし、気を使わず喋ることができた。今までの中で一番自分らしく振る舞えたのではないかと思う。

 恋愛関係になるかどうかは分からないが、そんなの初めから決められない。そうなったらなっただし、ならなかったらならなかっただ。彼氏が作れたら一番いいだろうが、時期尚早だ。



 美帆はいつも通り仕事をこなした。なんだか調子が良いと感じるのは滝川のおかげだろうか。無理をしなくてもいいんだと思うと、気が楽になった。

 午後から一件会議室の予約が入った。会議で使う資料を印刷してまとめると、会社のロゴマークが入った紙袋にまとめた。

「じゃあ、準備してくるからここよろしくね」

 一言声をかけ、袋を持って会議室へ向かった。

 予約された会議室に入り、テーブルの形を変え、席をセッティングする。用意した資料を各テーブルに置いた後、予備の資料をわかりやすい位置に置いた。

 地味な仕事だが、担当者に時間がない時は頼まれることが多い。プレゼン前は特にそうだ。ギリギリまでパソコンに齧り付いているものがほとんどで、準備まで気を配っていられないのだろう。雑用に近いが、これも受付嬢の仕事だ。

 準備を終えたところで会議室に人が入ってきた。マーケティング部の女性社員二人だ。この後会議室を使うのだろう。

 あまり面識はないが、なんとなく知っている。杉野より十ほど歳が上で、マーケティング部ではお局扱いされている人物だった。

 二人は杉野を見て驚いた様子で言った。

「あら、杉野さんが準備してくださってたんですか」

「はい。担当者に頼まれまして」

「そうなの? 手伝おうと思ってせっかく来たのに。杉野さんも受付嬢なんだから忙しいんでしょ。こんな雑用引き受けている暇ないんじゃないの」

 どことなく刺々しい物言いだ。なんだかやらなかったほうが良かったみたいな言い方に聞こえる。

 しかし、こんなもの今に始まった事ではない。杉野は軽くお辞儀して、「せっかく来て頂いたのに申し訳ありません」と謝った。

 そう、別に今に始まったことではないのだ。受付嬢になった時から、こんなことは山ほどあった。

 女性社員から嫌味を言われることはしょっちゅうだし、セクハラだってないことはない。飲み会について来てくれと言われたり役員と寝ているとまで言われたこともある。

 受付嬢とはまったく恐ろしい仕事だ。やりがいはあるが、その分ストレスも溜まる仕事だ。

 美帆はそそくさとその場を後にした。準備は既に終わっているから戻っても平気だが、なんとなく気分が重い。

 ────ダメダメ。ちゃんと仕事に集中しないと。

 なんとか気持ちを切り替え、ゆっくりとした足取りで受付に戻った。こんな時、機械相手に仕事している方が楽だな、なんて思ってしまう。誰しもみんな苦労しているのに、隣の芝生は青く見えてしまうものなのだろう。

「美帆さん、どうしたんですか」

 横に座った詩音が心配げに尋ねて来た。

 幸いなことに同僚には恵まれていた。特に今のメンバーは仲がいいし、溜め込まなくても言い合える。

 だが、それでも悩むことはある。

 今いるメンバーが寿退社や妊娠で辞めてしまったらどうしようか、とか。

 自分一人だけ残ったままなのだろうか、とか。

 いつまで受付嬢を続けられるのだろう、とか。悩みは尽きない。

 だから同僚が羨ましいと感じる時がある。自分は仕事場以外に逃げ込む場所なんてないし、聞いてくれる人もいない。

 彼氏が欲しいのも、本当は逃げなのだろう。気持ちのどこかに余裕が欲しいと思っているのかもしれない。

 そういう必死なところが表に出ているからきっと「隙がない」なんて言われてしまうのだ。
< 35 / 158 >

この作品をシェア

pagetop