とある企業の恋愛事情 -受付嬢と清掃員の場合-
第9話 疲れた心にオアシスを
────あかん、絶対間に合わへん。
文也は走っていた。数分前まではミーティングをしていた。予定では一時間ほどで終わるはずのミーティングだ。
ところが突然問題が沸き、一時間のミーティングはその倍以上の時間を費やすことになってしまった。
こんなはずではなかったと慌てながらタクシーを捕まえ、行き先を告げる。スマホに表示されている時刻を確かめて、必死に言い訳を考えた。
今日は杉野と一緒に映画を観に行く約束をしていた。しかも、「滝川」としてだ。
本当なら私服に着替えて余裕たっぷりに現れるはずだったのに、予定外の事態のせいでぜいぜい息を切らす羽目になった。
非常にまずいことになった。このままだと「滝川」が遅刻してしまうことになる。慌ててきたから変装することも出来ない。
かくなる上は仕方ない。津川として出向き、杉野に言い訳するしかない────。
幸い、二人は親戚である設定だ。言い訳はなんとでも出来る。とにかく今は急ぐことが最優先だ。せっかく取り付けた約束だ。このチャンスを無駄には出来ない。杉野は計画に必要なキーマンなのだから。
などと言い訳してみたものの、文也は自分自身の行動が理解出来なくなっていた。
今日杉野を誘ったのも、予定ではなかった。
なんとなく杉野の元気がないように見えた。恐らく、先日女性社員に色々言われたことを気にしているのだろう。
暗い表情をしている姿が気になって、気が付いたらつい誘っていた。
しかし結果オーライだ。杉野のご機嫌取りをしておけば計画に有利だ。損はない。思いつきだが、役には立つだろう。
タクシーを降りて、待ち合わせ場所に走った。既に定刻から十分ほど遅れている。
たかが十分。されど十分だ。杉野はきっちりしているし、遅刻なんかしたら怒り狂うのではないだろうか。
文也が待ち合わせ場所にたどり着くと杉野は不安そうな顔をしてスマホを眺めていた。その様子を見ると胸が痛む。
杉野はきっとガッカリするだろう。滝川ではなく、嫌いな「津川文也」が来たのだから。
声を掛けると、案の定杉野は驚いていた。
「……滝川さんと、待ち合わせしてたんやろ」
「え、ええ……」
「仕事が長引いて行けそうにないんやと」
「え、でも……どうして津川さんが?」
「仕事で会社行ったら偶然会ってん。そんで、伝言頼まれたんや」
事前に考えた言い訳を伝える。杉野は混乱しながらも納得したようだった。
「……滝川さんと会ったんですよね。驚いてませんでしたか?」
「あ、ああ……せやな(驚くも何も俺やしな)」
「津川さんと滝川さん、もしかしてご親戚とかなんですか?」
「まぁ……一応、実はな。向こうは俺のことあんま知らんと思うけど。俺も顔ぐらいしか知らんし」
有難いことだ。杉野はすっかり自分と滝川が親戚だと思っている。
こんな顔がそっくりの親戚なんていてたまるかと思うが、恐らく彼女の中で滝川と津川は相入れない、全く結びつかない位置にあるのだろう。複雑だが、今は助かった。
「そうですか……分かりました。わざわざすみません。じゃあ、お疲れ様です────」
杉野は身を翻し背を向けた。
────待て待て。ここで帰るんか? それはないやろ。
津川はえっ、と思った。まさかすぐに帰ろうとするとは思わなかった。せめてお茶でもしようと思っていたのに、どれだけドライなのだろう。いや、ドライを通り越して塩対応だ。
「ちょっと待ってや、もう帰るん」
「え? はい」
「せっかく待ってたんやから、もったいないやろ。俺が代わるわ」
「え? いや、でもそんな急に……」
「俺もここまで来てすぐ帰るのも嫌やから。それに杉野サンも映画見たかったんちゃうの」
「え、なんで映画見にいくって知ってるんですか」
ドキッ。と、心臓が跳ねた。文也は精一杯動揺を隠し、平然を装って答えた。
「た、滝川から聞いてん。な、ええやろ? 代わりに俺が奢るわ」
杉野は悩んでいるのか、難しい顔をしている。
一体何を悩むことがあるのだろう。映画をタダで見れるのだ。それで十分ではないか。
だが違うのだろう。杉野は滝川と行きたかったのだ。自分など最初からお呼びではない。今誘っているのは滝川本人だというのに皮肉なものだ。
「……分かりました。じゃあ、一緒に行きましょう」
ようやく杉野は頷いた。
文也は思わずホッとした。ここで受け入れてもらえなかったら本気でショックを受けるところだった。
杉野は滝川の方が気に入っているようだが、文也だって黙っていない。
汚名返上だ。自分の失態だ。自分で取り返さなければ。
文也は走っていた。数分前まではミーティングをしていた。予定では一時間ほどで終わるはずのミーティングだ。
ところが突然問題が沸き、一時間のミーティングはその倍以上の時間を費やすことになってしまった。
こんなはずではなかったと慌てながらタクシーを捕まえ、行き先を告げる。スマホに表示されている時刻を確かめて、必死に言い訳を考えた。
今日は杉野と一緒に映画を観に行く約束をしていた。しかも、「滝川」としてだ。
本当なら私服に着替えて余裕たっぷりに現れるはずだったのに、予定外の事態のせいでぜいぜい息を切らす羽目になった。
非常にまずいことになった。このままだと「滝川」が遅刻してしまうことになる。慌ててきたから変装することも出来ない。
かくなる上は仕方ない。津川として出向き、杉野に言い訳するしかない────。
幸い、二人は親戚である設定だ。言い訳はなんとでも出来る。とにかく今は急ぐことが最優先だ。せっかく取り付けた約束だ。このチャンスを無駄には出来ない。杉野は計画に必要なキーマンなのだから。
などと言い訳してみたものの、文也は自分自身の行動が理解出来なくなっていた。
今日杉野を誘ったのも、予定ではなかった。
なんとなく杉野の元気がないように見えた。恐らく、先日女性社員に色々言われたことを気にしているのだろう。
暗い表情をしている姿が気になって、気が付いたらつい誘っていた。
しかし結果オーライだ。杉野のご機嫌取りをしておけば計画に有利だ。損はない。思いつきだが、役には立つだろう。
タクシーを降りて、待ち合わせ場所に走った。既に定刻から十分ほど遅れている。
たかが十分。されど十分だ。杉野はきっちりしているし、遅刻なんかしたら怒り狂うのではないだろうか。
文也が待ち合わせ場所にたどり着くと杉野は不安そうな顔をしてスマホを眺めていた。その様子を見ると胸が痛む。
杉野はきっとガッカリするだろう。滝川ではなく、嫌いな「津川文也」が来たのだから。
声を掛けると、案の定杉野は驚いていた。
「……滝川さんと、待ち合わせしてたんやろ」
「え、ええ……」
「仕事が長引いて行けそうにないんやと」
「え、でも……どうして津川さんが?」
「仕事で会社行ったら偶然会ってん。そんで、伝言頼まれたんや」
事前に考えた言い訳を伝える。杉野は混乱しながらも納得したようだった。
「……滝川さんと会ったんですよね。驚いてませんでしたか?」
「あ、ああ……せやな(驚くも何も俺やしな)」
「津川さんと滝川さん、もしかしてご親戚とかなんですか?」
「まぁ……一応、実はな。向こうは俺のことあんま知らんと思うけど。俺も顔ぐらいしか知らんし」
有難いことだ。杉野はすっかり自分と滝川が親戚だと思っている。
こんな顔がそっくりの親戚なんていてたまるかと思うが、恐らく彼女の中で滝川と津川は相入れない、全く結びつかない位置にあるのだろう。複雑だが、今は助かった。
「そうですか……分かりました。わざわざすみません。じゃあ、お疲れ様です────」
杉野は身を翻し背を向けた。
────待て待て。ここで帰るんか? それはないやろ。
津川はえっ、と思った。まさかすぐに帰ろうとするとは思わなかった。せめてお茶でもしようと思っていたのに、どれだけドライなのだろう。いや、ドライを通り越して塩対応だ。
「ちょっと待ってや、もう帰るん」
「え? はい」
「せっかく待ってたんやから、もったいないやろ。俺が代わるわ」
「え? いや、でもそんな急に……」
「俺もここまで来てすぐ帰るのも嫌やから。それに杉野サンも映画見たかったんちゃうの」
「え、なんで映画見にいくって知ってるんですか」
ドキッ。と、心臓が跳ねた。文也は精一杯動揺を隠し、平然を装って答えた。
「た、滝川から聞いてん。な、ええやろ? 代わりに俺が奢るわ」
杉野は悩んでいるのか、難しい顔をしている。
一体何を悩むことがあるのだろう。映画をタダで見れるのだ。それで十分ではないか。
だが違うのだろう。杉野は滝川と行きたかったのだ。自分など最初からお呼びではない。今誘っているのは滝川本人だというのに皮肉なものだ。
「……分かりました。じゃあ、一緒に行きましょう」
ようやく杉野は頷いた。
文也は思わずホッとした。ここで受け入れてもらえなかったら本気でショックを受けるところだった。
杉野は滝川の方が気に入っているようだが、文也だって黙っていない。
汚名返上だ。自分の失態だ。自分で取り返さなければ。