とある企業の恋愛事情 -受付嬢と清掃員の場合-
美帆は漫画コーナーに行って何冊か取ってきた。大学生の頃に戻った気分だ。並んだ漫画を見て懐かしさを感じた。
ブースに戻ると、滝川はあぐらをかいて壁にもたれて目を瞑っていた。もう寝てしまったのだろうか。
だが、美帆が小上がりに入るとふっと目を覚ました。
「あ……すみません。やっぱり寝てましたね」
「いえ、起こしてごめんなさい。寝てくださって構いませんよ」
「もう少し起きてるつもりだったんですけど、ここの雰囲気眠くって」
滝川は目をしょぼしょぼさせている。美帆はブランケットを滝川の足に被せた。
「ちょっと小さいですけど」
「起きてますよ」
「寝てください」
「杉野さんが一人になるじゃないですか。せっかく来たのに」
「なりませんよ。ここにいますから」
「じゃあ、目だけ瞑ってます」
押し問答が続いた後、ついに滝川の方が折れた。だが、格好はさっきと変わらない。
さっきの滝川はなんだか、まるで津川みたいだ。顔が似ているだけではなくて、雰囲気が。
こんなことまで考えているなんて、やっぱり自分はおかしい。
「今日は……疲れてるのに来てくださってありがとうございます」
「俺が誘ったんですよ」目を瞑ったまま、滝川は穏やかに答えた。
美帆は自分の気持ちが分からなくなってきた。最初の頃は滝川のことがいいと思っていた。もちろんそれは今もだが、今はそこに津川がいる。
津川のことは嫌いだった。ひどい言葉を言われてチャラチャラして口が軽そうな男。好きになることは絶対にないと思っていた。はずだ。
なのに今はことあるごとに津川を思い出してしまう。腹立たしいと思っていたのになんだか無邪気で、たまに可愛いとさえ思ってしまう。
自分はもしかして、津川のことが好きになってしまったのだろうか。沙織の言葉通りに────。
いや、きっと考えすぎだ。津川が親切になってきたから、驚いているだけだ。
「あの……滝川さんは正社員で働いているんですか?」
「いや、バイトです。他にも仕事をしているので」
「掛け持ちだったんですか」
「……家の事情で、ちょっと」
やはり家計が厳しいのだろうか。清掃員の仕事は時給が高いわけではなさそうだし、あれこれ覚えるのは大変だろう。津川の親戚とはいえ、その恩恵は受けていないのかもしれない。いや、津川が本家筋で、滝川は遠い親戚なのだろうか……。
しかし、忙しいのは津川もだ。御曹司の割に寝る暇もないほど働いている。
「あの日……津川さんと会ったんですよね。津川さんと滝川さんはその、仲はいいんですか」
「ほとんど話したことがないので、どちらでもありません。あの時も急いでいたのでどうしようもなくなって頼んだだけです」
「そう、ですか……似ているのでつい気になってしまって。他にも似ている人がいるのかな〜なんて」
「さぁ、どうでしょう」
「滝川さんは関西弁じゃないんですね。こちらで育ったんですか?」
「そうです。関西弁の方がいいですか?」
「いいえ。滝川さんまで関西弁だったら私にも移ってしまいそうなので。って言っても、なんでやねんぐらいしか知りませんけど」
滝川からふっと噴き出した。どうやら、発音が面白かったらしい。
「そんなに変ですか?」
「イントネーションが違います。《《な》》じゃなくて《《で》》にアクセントつけるんですよ」
「なんだか英語みたい」
「杉野さんは英語は喋れるんでしょう。なら、関西弁なんて簡単ですよ」
不思議だ。標準語を喋る滝川が関西弁なんて簡単だ、なんて。
時々たまに思う。滝川と津川は似ている。それは容姿のことではない。中身だ。二人は全く違う性格なのに、なぜだろう。言動、雰囲気、返事の仕方の一つさえ────。
なんとなく引きずられてしまう。だから満喫になんて来たのだろうか。
付き合ってもない。まだ様子見段階の男とこんなところに来るなんて、改めて変だと思った。こういうのは普通、打ち解けてすっかり仲良くなってから来るところだ。
「あの……ごめんなさい。いきなりこんなところ提案してしまって」
「別に気にしなくていいですよ。こういう場所に来て打ち解けることもありますから。杉野さんがここを提案したってことは俺のこと信頼してるってことですよね?」
────そうかもしれない。
指摘されると、なんだか急に緊張してしまう。さっきまではそんな雰囲気ではなかったのに、急に滝川が男に見えてきた。
いや、案外自分も実はこういうシチュエーションを期待していたのだろうか。
滝川は眠そうな目を開けて薄ら笑った。
「杉野さんは俺みたいなのが……」
言葉尻が消えていく。そしてまた目を瞑った。
「ん……?」
────あれ? 寝た?
美帆は滝川の前で何度か手を振ったが起きる気配はない。どうも、寝てしまったらしい。
こんないいところで寝るなんて、ちょっと酷いんじゃないだろうか。だが、元々疲れていたようだし、寝てもいいと連れて来たのだから怒ってはいけない。
寝ている滝川を見ているとなんだか憎らしい。起きているなら聞いてやりたかった。「あなたは私のことをどう思っているんですか」、と。
けれど、同じことを聞かれたらまだ多分答えられない。滝川も津川も、二人とも同じくらい心の中に残っていた。好きなのかも分からないまま────。
ブースに戻ると、滝川はあぐらをかいて壁にもたれて目を瞑っていた。もう寝てしまったのだろうか。
だが、美帆が小上がりに入るとふっと目を覚ました。
「あ……すみません。やっぱり寝てましたね」
「いえ、起こしてごめんなさい。寝てくださって構いませんよ」
「もう少し起きてるつもりだったんですけど、ここの雰囲気眠くって」
滝川は目をしょぼしょぼさせている。美帆はブランケットを滝川の足に被せた。
「ちょっと小さいですけど」
「起きてますよ」
「寝てください」
「杉野さんが一人になるじゃないですか。せっかく来たのに」
「なりませんよ。ここにいますから」
「じゃあ、目だけ瞑ってます」
押し問答が続いた後、ついに滝川の方が折れた。だが、格好はさっきと変わらない。
さっきの滝川はなんだか、まるで津川みたいだ。顔が似ているだけではなくて、雰囲気が。
こんなことまで考えているなんて、やっぱり自分はおかしい。
「今日は……疲れてるのに来てくださってありがとうございます」
「俺が誘ったんですよ」目を瞑ったまま、滝川は穏やかに答えた。
美帆は自分の気持ちが分からなくなってきた。最初の頃は滝川のことがいいと思っていた。もちろんそれは今もだが、今はそこに津川がいる。
津川のことは嫌いだった。ひどい言葉を言われてチャラチャラして口が軽そうな男。好きになることは絶対にないと思っていた。はずだ。
なのに今はことあるごとに津川を思い出してしまう。腹立たしいと思っていたのになんだか無邪気で、たまに可愛いとさえ思ってしまう。
自分はもしかして、津川のことが好きになってしまったのだろうか。沙織の言葉通りに────。
いや、きっと考えすぎだ。津川が親切になってきたから、驚いているだけだ。
「あの……滝川さんは正社員で働いているんですか?」
「いや、バイトです。他にも仕事をしているので」
「掛け持ちだったんですか」
「……家の事情で、ちょっと」
やはり家計が厳しいのだろうか。清掃員の仕事は時給が高いわけではなさそうだし、あれこれ覚えるのは大変だろう。津川の親戚とはいえ、その恩恵は受けていないのかもしれない。いや、津川が本家筋で、滝川は遠い親戚なのだろうか……。
しかし、忙しいのは津川もだ。御曹司の割に寝る暇もないほど働いている。
「あの日……津川さんと会ったんですよね。津川さんと滝川さんはその、仲はいいんですか」
「ほとんど話したことがないので、どちらでもありません。あの時も急いでいたのでどうしようもなくなって頼んだだけです」
「そう、ですか……似ているのでつい気になってしまって。他にも似ている人がいるのかな〜なんて」
「さぁ、どうでしょう」
「滝川さんは関西弁じゃないんですね。こちらで育ったんですか?」
「そうです。関西弁の方がいいですか?」
「いいえ。滝川さんまで関西弁だったら私にも移ってしまいそうなので。って言っても、なんでやねんぐらいしか知りませんけど」
滝川からふっと噴き出した。どうやら、発音が面白かったらしい。
「そんなに変ですか?」
「イントネーションが違います。《《な》》じゃなくて《《で》》にアクセントつけるんですよ」
「なんだか英語みたい」
「杉野さんは英語は喋れるんでしょう。なら、関西弁なんて簡単ですよ」
不思議だ。標準語を喋る滝川が関西弁なんて簡単だ、なんて。
時々たまに思う。滝川と津川は似ている。それは容姿のことではない。中身だ。二人は全く違う性格なのに、なぜだろう。言動、雰囲気、返事の仕方の一つさえ────。
なんとなく引きずられてしまう。だから満喫になんて来たのだろうか。
付き合ってもない。まだ様子見段階の男とこんなところに来るなんて、改めて変だと思った。こういうのは普通、打ち解けてすっかり仲良くなってから来るところだ。
「あの……ごめんなさい。いきなりこんなところ提案してしまって」
「別に気にしなくていいですよ。こういう場所に来て打ち解けることもありますから。杉野さんがここを提案したってことは俺のこと信頼してるってことですよね?」
────そうかもしれない。
指摘されると、なんだか急に緊張してしまう。さっきまではそんな雰囲気ではなかったのに、急に滝川が男に見えてきた。
いや、案外自分も実はこういうシチュエーションを期待していたのだろうか。
滝川は眠そうな目を開けて薄ら笑った。
「杉野さんは俺みたいなのが……」
言葉尻が消えていく。そしてまた目を瞑った。
「ん……?」
────あれ? 寝た?
美帆は滝川の前で何度か手を振ったが起きる気配はない。どうも、寝てしまったらしい。
こんないいところで寝るなんて、ちょっと酷いんじゃないだろうか。だが、元々疲れていたようだし、寝てもいいと連れて来たのだから怒ってはいけない。
寝ている滝川を見ているとなんだか憎らしい。起きているなら聞いてやりたかった。「あなたは私のことをどう思っているんですか」、と。
けれど、同じことを聞かれたらまだ多分答えられない。滝川も津川も、二人とも同じくらい心の中に残っていた。好きなのかも分からないまま────。