とある企業の恋愛事情 -受付嬢と清掃員の場合-
いつもよりのんびりめにタイプ音が鳴る。美帆はもともと打つのが早い方ではないが、今日はよりゆっくりだ。
幸いなことにそれに気付く人間は現在このオフィスにいない。秘書課の人間は全員出払っていた。
しかし青葉と胡桃坂の代わりに事務的仕事を引き受けたはいいものの、仕事はあまり進んでいない。原因は、昨日の津川だ。
あっけない別れだったが、二人で過ごした時間は悪いものではなかった。津川の気持ちははっきりと分からなかったものの、八割型そうだと思えるぐらいには自惚れられる要素があった。「好き」という決定的な一言を聞かなくても。
「はぁ……」
深いため息が部屋にこだまする。美帆は昨夜のことをまた思い出した。
────やっぱり、アレって私のこと?
津川の口から可愛いなんて言葉が出てくるとは思わなかった。やはり、自分ではなようが気がする。
では誰だと言われたら分からないが、津川はハッキリと気になると言った。津川と自分の間に幽霊でもいたのなら別の話だが、あの場には自分と津川しかいなかった。ということは、やはりあれは自分のことらしい。
なんともキリが悪いところで十二時を告げるアラームが鳴る。美帆は仕事の手を一旦止めて立ち上がった。
昼食は社員食堂で摂るつもりだが、一人で行くのはなんだか気まずい。秘書課の手伝いをしているせいで社員達はいろいろなことを邪推しているはずだ。
沙織が空いているかもしれない。この時間帯なら受付も空いているはずだ。
今日沙織が担当している中受付に行くと、沙織と瀬奈がいた。案の定、暇そうにしている。
「お疲れ様」
「あれ? どうしたの?」
「お昼に誘おうと思って。ちょっと話したいことがあるし、どう?」
沙織は瀬奈に尋ねた。
「先に休憩行ってもいい?」
「いいですよ。お先にどうぞ」
「よし、じゃあ行こっか」
二人で社員食堂に行くのは少し久しぶりだ。秘書課にいる間、昼食はあの部屋かたまに社長達と食べに行くことがほとんどで、こちらに降りてくることがなかった。
席に着くと、沙織は身を乗り出して聞いてきた。
「で、何か進展あったの?」
「な、なんでそう思うの」
「だって、わざわざ来たぐらいだし何か報告でもあるのかなって」
「まあ、多少は……」
ことの顛末を話すと、沙織は驚いていた。やはり沙織でも驚くのだろうか。相手が相手だから余計にかもしれない。
「そこまでしておきながら告白しなかったの……!?」
「え、そっち?」
「当たり前じゃないっ! せっかくいいチャンスだったのになんで言わないのよっ」
「だ、だって……あんな場所で告白なんて出来ないよ。ムードもないし、っていうかそんな勇気ないし……」
「大体、津川さんも津川さんよ。なんで言わなかったのか……ったく、呆れた」
そんなに酷いだろうか。美帆としては仲直りできただけでも十分だと思っていた。
高望みはしない。むしろこれ以上近付いて逆に傷を負うようなことになったら大変だ。
「別にいいけど、お互い大人なんだからね。中学生じゃないんだから、早くしないと津川さんみたいな優良物件は他に盗られるんじゃないの」
「うっ」
「とにかくデートでもなんでもいいから誘いなさい。それで相手の出方を見たら?」
────デート、ねぇ。
昨夜津川と連絡先を交換した。本当に、ようやくだ。だが、まだやりとりはなにもしていない。昨日のお礼すらも。
美帆は津川の連絡先を呼び出した。メッセージの入力欄に、ひとまず「昨日はありがとうござました。また今度」とだけ打ち込む。しかしその後が出てこない。
ご飯に行きましょう? それとも、お仕事頑張ってください? 小学生の作文じゃあるまいし、もっといい言葉は出てこないものか。
「もう、こんなのぺぺっと書いて送ったらいいのよ!」
沙織が送信ボタンを押して先ほど打ち込んだメッセージが送信されてしまう。
「ええっなんで送るの!」
「送らないとデートに行けないじゃない! 何言ってるのよ!」
「だって、まだ考えてる途中だったのに!」
「大丈夫よ。もう見てるみたいだから」
メッセージの横に既読の文字が付く。津川が確認したという証明だ。
「どうしよう……変な文章送っちゃった……」
「意味は伝わるでしょ」
「変な女って思われたらどうするの!」
「お互い様でしょ。何を今更〜」
メッセージの通知音が鳴る。美帆と沙織はすかさずスマホの画面を確認した。
『ええよ。ご飯行こ。明後日は?』
どうやら伝わったらしい。明後日は土曜日だ。会社は休み。デートに行こうということだろう。
「やったじゃない!」
隣の席で沙織が喜んでいる。美帆ももちろん喜んでいたが、不安の方が大きかった。
「何不安そうな顔してんの。もっと喜んだら?」
「う、うん」
「後は心配いらないって。楽しくやってたら結果は付いてくるんだから。がんばれがんばれ」
本当にそうだろうか。デートなんで何度もしたことがあるのに、楽観的な気持ちにはなれなかった。多分、津川が相手だからだ。
幸いなことにそれに気付く人間は現在このオフィスにいない。秘書課の人間は全員出払っていた。
しかし青葉と胡桃坂の代わりに事務的仕事を引き受けたはいいものの、仕事はあまり進んでいない。原因は、昨日の津川だ。
あっけない別れだったが、二人で過ごした時間は悪いものではなかった。津川の気持ちははっきりと分からなかったものの、八割型そうだと思えるぐらいには自惚れられる要素があった。「好き」という決定的な一言を聞かなくても。
「はぁ……」
深いため息が部屋にこだまする。美帆は昨夜のことをまた思い出した。
────やっぱり、アレって私のこと?
津川の口から可愛いなんて言葉が出てくるとは思わなかった。やはり、自分ではなようが気がする。
では誰だと言われたら分からないが、津川はハッキリと気になると言った。津川と自分の間に幽霊でもいたのなら別の話だが、あの場には自分と津川しかいなかった。ということは、やはりあれは自分のことらしい。
なんともキリが悪いところで十二時を告げるアラームが鳴る。美帆は仕事の手を一旦止めて立ち上がった。
昼食は社員食堂で摂るつもりだが、一人で行くのはなんだか気まずい。秘書課の手伝いをしているせいで社員達はいろいろなことを邪推しているはずだ。
沙織が空いているかもしれない。この時間帯なら受付も空いているはずだ。
今日沙織が担当している中受付に行くと、沙織と瀬奈がいた。案の定、暇そうにしている。
「お疲れ様」
「あれ? どうしたの?」
「お昼に誘おうと思って。ちょっと話したいことがあるし、どう?」
沙織は瀬奈に尋ねた。
「先に休憩行ってもいい?」
「いいですよ。お先にどうぞ」
「よし、じゃあ行こっか」
二人で社員食堂に行くのは少し久しぶりだ。秘書課にいる間、昼食はあの部屋かたまに社長達と食べに行くことがほとんどで、こちらに降りてくることがなかった。
席に着くと、沙織は身を乗り出して聞いてきた。
「で、何か進展あったの?」
「な、なんでそう思うの」
「だって、わざわざ来たぐらいだし何か報告でもあるのかなって」
「まあ、多少は……」
ことの顛末を話すと、沙織は驚いていた。やはり沙織でも驚くのだろうか。相手が相手だから余計にかもしれない。
「そこまでしておきながら告白しなかったの……!?」
「え、そっち?」
「当たり前じゃないっ! せっかくいいチャンスだったのになんで言わないのよっ」
「だ、だって……あんな場所で告白なんて出来ないよ。ムードもないし、っていうかそんな勇気ないし……」
「大体、津川さんも津川さんよ。なんで言わなかったのか……ったく、呆れた」
そんなに酷いだろうか。美帆としては仲直りできただけでも十分だと思っていた。
高望みはしない。むしろこれ以上近付いて逆に傷を負うようなことになったら大変だ。
「別にいいけど、お互い大人なんだからね。中学生じゃないんだから、早くしないと津川さんみたいな優良物件は他に盗られるんじゃないの」
「うっ」
「とにかくデートでもなんでもいいから誘いなさい。それで相手の出方を見たら?」
────デート、ねぇ。
昨夜津川と連絡先を交換した。本当に、ようやくだ。だが、まだやりとりはなにもしていない。昨日のお礼すらも。
美帆は津川の連絡先を呼び出した。メッセージの入力欄に、ひとまず「昨日はありがとうござました。また今度」とだけ打ち込む。しかしその後が出てこない。
ご飯に行きましょう? それとも、お仕事頑張ってください? 小学生の作文じゃあるまいし、もっといい言葉は出てこないものか。
「もう、こんなのぺぺっと書いて送ったらいいのよ!」
沙織が送信ボタンを押して先ほど打ち込んだメッセージが送信されてしまう。
「ええっなんで送るの!」
「送らないとデートに行けないじゃない! 何言ってるのよ!」
「だって、まだ考えてる途中だったのに!」
「大丈夫よ。もう見てるみたいだから」
メッセージの横に既読の文字が付く。津川が確認したという証明だ。
「どうしよう……変な文章送っちゃった……」
「意味は伝わるでしょ」
「変な女って思われたらどうするの!」
「お互い様でしょ。何を今更〜」
メッセージの通知音が鳴る。美帆と沙織はすかさずスマホの画面を確認した。
『ええよ。ご飯行こ。明後日は?』
どうやら伝わったらしい。明後日は土曜日だ。会社は休み。デートに行こうということだろう。
「やったじゃない!」
隣の席で沙織が喜んでいる。美帆ももちろん喜んでいたが、不安の方が大きかった。
「何不安そうな顔してんの。もっと喜んだら?」
「う、うん」
「後は心配いらないって。楽しくやってたら結果は付いてくるんだから。がんばれがんばれ」
本当にそうだろうか。デートなんで何度もしたことがあるのに、楽観的な気持ちにはなれなかった。多分、津川が相手だからだ。