とある企業の恋愛事情 -受付嬢と清掃員の場合-
 ランチの後、二人は横に並んで街を歩いた。

 お互い取り留めもない話をしながら、今まで知らなかったお互いのことを話した。

 杉野とは知り合ってそこそこ経つが、プライベートなことはほとんど話していない。それこそ滝川になっている時に少し聞いた程度だ。「津川文也」は杉野のことを何も知らなかった。

「杉野さんはなんで受付嬢になろうと思ったん?」

 文也はふと気になって質問した。

 杉野は大卒で藤宮に入社した。だが、藤宮に入社出来るぐらいだから他の企業だって入れたはずだ。

「私、父がホテルのフロントマンをしているんです。それで受付っていいなーと思って、色々あって受付嬢に」

「そりゃ、なかなか厳しそうなお父さんやな」

「そんなことありませんよ。おしゃべり好きで楽しい父です。津川さんは? どうして会社を作ったんですか?」

「……俺、勉強ができひんっていう設定やってん」

「設定?」

「親父がめちゃめちゃ厳しくてな。兄貴が一人おるんやけど、そいつが小さい頃からめちゃめちゃ勉強させられてんの見て嫌になってん。だから俺はアホになって、会社の跡なんて継がせられんって思ってもらおうとしてん」

「それは……そんなに厳しかったんですか」

「一日中勉強させられて部屋の中に閉じ込められるねん。頭の硬い家庭教師しかこおへんし、全然おもんないで。だから、絶対家は出るつもりやってん」

「大変だったんじゃないでですか」

「それなりにはな。それでも楽しかったし、自分で商品作ったりなんて家にいたら絶対出来ひんことやから」

 ────何を杉野に話しているのだろう。こんなこと、言うべきではない。実家と仲がいい方がアピールできる。

 だが、杉野にはそんなものまるで意味をなさないと分かっている。

「こんなこと言うと上から目線みたいに聞こえるかもしれませんけど……津川さんは、立派だと思います」

「……褒めるなんて珍しいやん」

「正直世界が違うのであんまり想像できないんですけど、会社作るのってきっとすごく大変なことじゃないですか。私は自分でそういうのは出来ないから、出来る人は凄いなって思います」

「別に、大したことはやってへんよ。うちの会社が儲かってんのやって、俺が凄いからちゃう。親父の会社の傘下にいるからや」

「でも、前に私に言ったじゃないですか。ちゃんと見てくれてる人もいるって。津川さんが頑張っていれば、きっと周りにも伝わると思います」

 杉野は真面目な顔で言った。慰めようとしているのだろうか。

 こんなところで杉野にその言葉をかけられるとは思っても見なかった。だがあの時、本当は自分自身のことを思い出してその言葉を口にした。その言葉が返ってきたのだ。

 ────あかんって分かってんのにな。

 杉野はただの情報源。そのつもりで近付いた。傷付けても罪悪感はないはずだった。だが今となっては後悔しかない。普通の取引先として近付いていたら、こんなことで悩まずに済んだ。

 話せば話すほど想いが増す。騙し合う関係などやめて、本当の恋人になりたかった。

 

 文也は杉野の隣を歩きながら、なんだか恋人みたいだなと思った。実際ほとんどそうだ。ただ告白をしていないだけで。

 会社から一歩出ると、自分たちは不思議なほど自然だ。杉野の厳しい視線もなければ、必要以上にからかう必要もない。ただのシンプルな関係になれる。

 おしゃべりな杉野は隣で絶えず会話を振り続ける。同じくらいおしゃべりを自負する文也はそれに応える。それを感じるたびますます自惚れた。

『俺ら、めっちゃお似合いやと思わへん?』

 そう尋ねたなら、杉野はきっと真っ赤になるだろう。自意識過剰だと怒られて、自分が言った言葉の五倍ぐらい長々となじられるに違いない。

「────じゃあ、津川さんはこっちに住んでるんですか?」

 何かの話をしている時に、地元の話になった。

「こっちの方が仕事が多いんでな。ま、用事ある時は新幹線で帰るしたいして変わらんけど」

「地元が恋しくなりませんか?」

「多少はな。杉野さんは大阪来たことあるん?」

「大阪はないんです。京都は旅行で一回行きましたけど」

「ふーん……」

 その時ふと、文也はあるアイデアを思いついた。

「大阪、案内したろか」

「え?」

 これはチャンスだ。杉野の気持ちを確かめるチャンス。そして自分の決心を試すチャンス。

「二人で遊びに行かん?」

 しばらく杉野の口は半開きになったまま開いていた。突然のことで驚いたのだろう。一言二言何か言われることを予想した。

 だが、杉野の声は思っていた以上に落ち着いていた。「はい」と一言、決心したように穏やかな声が聞こえて、文也の方が驚かされた。
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