とある企業の恋愛事情 -受付嬢と清掃員の場合-
第15話 綻び
「お姉さ〜ん、ちょっと色っぽくなって帰ってきたんじゃないかね、ん?」
さっきから沙織がうるさい。仕事している美帆の腕を肘で小突きながらニヤニヤしている。流石に美帆もうっとおしくなってきた。旅行から帰るなりこれだ。
「あのね。おじさんじゃあるまいし、いちいちおちょくらないでよ」
「ハネムーン行ったんでしょ?」
「ハネムーンなんて行ってないっ!」
沙織には津川────もとい文也との旅行のことを伝えていたから気になっていたのだろう。
「結果教えてよ。話聞いてあげたんだし、それぐらいの権利あるでしょ」
「……こ、告白された」
沙織は隣で歓喜しているが、受付で激しい声が出せないため狂人みたいだ。だが、美帆もそうしたいぐらいには嬉しかった。今だって、文也が来てくれたらいいのに、なんて思いながら受付に座っている。
昨日会ったばかりなのにもう会いたいなんて、とんだ恋愛脳だ。
「やったじゃない! よし、今日はみんなで祝杯しよっ」
「そんな、三十路が彼氏できたぐらいで祝杯って……」
「私が飲みたいの。付き合ってよ」
「……そっちが本命ね」
彼氏ができた途端、人生が彼氏一色になる人もいる。美帆は学生時代の友人のことを思い出した。
いつでもスマホを眺めていたし、土日は彼氏のためにあった。一日中そのことが抜けなくて、話の内容は彼氏のことだけ。
恋をすれば誰だってそんなふうになる。
だが、自分はもう三十路だ。そんな初々しさはどこかへ埋めた。もちろん、文也と付き合えたことは嬉しいし、舞い上がる気持ちがないわけではない。
それを抱いた上で、理性的になれるだけの経験があるだけだ。
仕事終わり、沙織の招集に応えた五人の受付嬢達で食事に向かった。
職場の近くにあるデザートが美味しいと評判のイタリアンだ。美帆は用意されたテーブルの「お誕生日席」に座り、各々から小っ恥ずかしい祝辞を受け取った。
「ついに美帆さんにも彼氏が出来たんですね……おめでとうございます!」
「や、やめてよ恥ずかしい! そんな大声で言わないで!」
同僚達が祝うのも無理はない。彼氏&夫がいる同僚達は美帆にその話をしないように気を遣っていた。これで堂々と話ができるようになったと思ったのだろう。
「しかも、相手があの津川さんなんて。私、絶対付き合うと思ってたんですよね〜」
詩音がニマニマしながら美帆を見つめる。しばらくは文也が来るたびこのネタでからかわれるのだろうか。そう思うといいことなんだか悪いことなんだか分からない。
「でも、津川さんって藤宮のライバル企業の社長の息子なんですよね? その、あっちの親は反対とかしないんでしょうか……?」
カクテルグラスをちびちび空けていた瀬奈が不安げに呟いた。瞬間、沙織が「コラっ」と声をあげる。瀬奈はすぐにすみません、と謝った。
「大丈夫だよ。それだったらそもそもライバル企業と取引なんてしないって」
沙織は安心させるように言った。
「すみません、美帆さん。水差しちゃって」
「別に気にしないで。私もちょっとは考えてたことだから」
一度ぐらいは考えた。文也はあまり御曹司っぽくないが、津川商事社長の息子に間違いない。もし津川と結婚したりしたら、ライバル企業の家に嫁ぐことになるのだろうか、と。
そしたら自分は受付嬢を辞めなければならないのか、とか。文也の両親になじられたりするだろうか、とか。
ドラマの見過ぎかもしれない。そんな想像しか出来なかった。
「でも付き合い始めたばかりだし、親のことまではまだ正直考えてないかな。結婚するかも分からないし」
「津川さんって何歳なんですか?」
「確か二十九だったと思うよ」
「うーん、微妙な年ですね……。でも、津川さんは成功してますし、結婚も気持ちがあればするんじゃないですか?」
「どうだろう……」
自分はもう三十路だ。結婚も視野に入れて付き合った方がいいだろう。
だが、現在自分にはそこまでの決心はない。まだ付き合ったばかりだ。一生一緒にいたいと思えるようになるには、もっと一緒に過ごさなけれな分からないだろう。焦る気持ちがないわけではないが、大事だからこそ焦りたくなかった。
さっきから沙織がうるさい。仕事している美帆の腕を肘で小突きながらニヤニヤしている。流石に美帆もうっとおしくなってきた。旅行から帰るなりこれだ。
「あのね。おじさんじゃあるまいし、いちいちおちょくらないでよ」
「ハネムーン行ったんでしょ?」
「ハネムーンなんて行ってないっ!」
沙織には津川────もとい文也との旅行のことを伝えていたから気になっていたのだろう。
「結果教えてよ。話聞いてあげたんだし、それぐらいの権利あるでしょ」
「……こ、告白された」
沙織は隣で歓喜しているが、受付で激しい声が出せないため狂人みたいだ。だが、美帆もそうしたいぐらいには嬉しかった。今だって、文也が来てくれたらいいのに、なんて思いながら受付に座っている。
昨日会ったばかりなのにもう会いたいなんて、とんだ恋愛脳だ。
「やったじゃない! よし、今日はみんなで祝杯しよっ」
「そんな、三十路が彼氏できたぐらいで祝杯って……」
「私が飲みたいの。付き合ってよ」
「……そっちが本命ね」
彼氏ができた途端、人生が彼氏一色になる人もいる。美帆は学生時代の友人のことを思い出した。
いつでもスマホを眺めていたし、土日は彼氏のためにあった。一日中そのことが抜けなくて、話の内容は彼氏のことだけ。
恋をすれば誰だってそんなふうになる。
だが、自分はもう三十路だ。そんな初々しさはどこかへ埋めた。もちろん、文也と付き合えたことは嬉しいし、舞い上がる気持ちがないわけではない。
それを抱いた上で、理性的になれるだけの経験があるだけだ。
仕事終わり、沙織の招集に応えた五人の受付嬢達で食事に向かった。
職場の近くにあるデザートが美味しいと評判のイタリアンだ。美帆は用意されたテーブルの「お誕生日席」に座り、各々から小っ恥ずかしい祝辞を受け取った。
「ついに美帆さんにも彼氏が出来たんですね……おめでとうございます!」
「や、やめてよ恥ずかしい! そんな大声で言わないで!」
同僚達が祝うのも無理はない。彼氏&夫がいる同僚達は美帆にその話をしないように気を遣っていた。これで堂々と話ができるようになったと思ったのだろう。
「しかも、相手があの津川さんなんて。私、絶対付き合うと思ってたんですよね〜」
詩音がニマニマしながら美帆を見つめる。しばらくは文也が来るたびこのネタでからかわれるのだろうか。そう思うといいことなんだか悪いことなんだか分からない。
「でも、津川さんって藤宮のライバル企業の社長の息子なんですよね? その、あっちの親は反対とかしないんでしょうか……?」
カクテルグラスをちびちび空けていた瀬奈が不安げに呟いた。瞬間、沙織が「コラっ」と声をあげる。瀬奈はすぐにすみません、と謝った。
「大丈夫だよ。それだったらそもそもライバル企業と取引なんてしないって」
沙織は安心させるように言った。
「すみません、美帆さん。水差しちゃって」
「別に気にしないで。私もちょっとは考えてたことだから」
一度ぐらいは考えた。文也はあまり御曹司っぽくないが、津川商事社長の息子に間違いない。もし津川と結婚したりしたら、ライバル企業の家に嫁ぐことになるのだろうか、と。
そしたら自分は受付嬢を辞めなければならないのか、とか。文也の両親になじられたりするだろうか、とか。
ドラマの見過ぎかもしれない。そんな想像しか出来なかった。
「でも付き合い始めたばかりだし、親のことまではまだ正直考えてないかな。結婚するかも分からないし」
「津川さんって何歳なんですか?」
「確か二十九だったと思うよ」
「うーん、微妙な年ですね……。でも、津川さんは成功してますし、結婚も気持ちがあればするんじゃないですか?」
「どうだろう……」
自分はもう三十路だ。結婚も視野に入れて付き合った方がいいだろう。
だが、現在自分にはそこまでの決心はない。まだ付き合ったばかりだ。一生一緒にいたいと思えるようになるには、もっと一緒に過ごさなけれな分からないだろう。焦る気持ちがないわけではないが、大事だからこそ焦りたくなかった。