とある企業の恋愛事情 -受付嬢と清掃員の場合-
 無事OKをもらい、日曜に美帆と会う約束をした。

 あの旅行からだから本当にきっかり二週間ぶりだ。とはいえ、先日仕事帰りに会ったからたいして久し振りではないが。

 待ち合わせをした駅の改札口で、文也は美帆の姿を探した。

 美帆は分かりやすい看板の近くで待っていた。仕事をしている時もそうだが、普段の美帆も姿勢がいい。どこかのお嬢様のようだ。手足もすらっとしていて、つい声をかけるのを忘れてしまいそうになる。

「文也さん」

 立ち止まってぼうっとしていた文也に美帆の方が先に声を掛けた。

「びっくりしたじゃないですか。なんで立ち止まってるんですか」

「綺麗やなと思って」率直な感想だが、ポカンとしていたせいで情けない声が出た。

「お……っおかしなこと言わないでください! ほら、早く行きますよ!」

 美帆は顔を真っ赤にしてプリプリ怒っている。そんな様子の彼女に微笑みながら、文也は美帆の横に来て手を握った。



 目的はない。今日は二人でゆっくり過ごしたかった。もちろん、美帆が行きたいと言うのならどこへでも行くつもりだった。

「美帆は家でゆっくりする方が好きなんちゃうの」

「別に外も好きですよ。一人でウロウロしても楽しくないから家にいるだけです」

「じゃあ、今度俺の家来る?」

「文也さんの家?」

「寝に帰ってるだけの家やからなんもないけど」

「そうですか……」

「何? やらしい想像してんの」

「してないです。こんな昼間から変なこと言わないでください」

「何言ってんの。男なんてみんなやらしいことしか考えてへんで」

 美帆の顔がまた歪む。けれど彼女はきっと、その顔ほど怒っていない。ただの照れ隠しだと、最近分かってきた。

 中学生みたいなやりとりだが、文也はこの掛け合いが気に入っていた。今まで恋人とこんなことを話したことはない。ここまで自分を曝け出したこともない。家族とだって心を割って話したことがなかった。

 美帆といると気楽だ。素の自分でいられるし取り繕う必要がない。くだらない駆け引きをしなくても対等でいられる。馬鹿をやっても笑い合える。

「あの……文也さん。ちょっと聞きたいんですけど」

「なに?」

「素朴な疑問というか……私とお付き合いしてること、ご家族の方はなにも言わないんですか?」

 思わず文也はドキッとした。計画のことを美帆が知るわけがない。

「それは……どういう意味?」

「いえ、その……津川商事って一応、うちの会社のライバル会社ですから……藤宮の社員と付き合ってるって、嫌がられないかなと思って」

 どうやら違ったようだ。気づかれないようにホッと胸を撫で下ろす。

 だが、美帆の読みは当たっている。恐らく父は《《本気で》》付き合っていると言ったら激怒するに違いない。

 藤宮の方はどう思っているか知らないが、父親の方はライバル視しているからこそスパイを頼んできたのだろう。

 今の状況なら言い訳できるから怒られることはないと思うが、そうでない場合は────。

 ふと見ると、美帆が不安そうな顔をしていた。美帆なりに立場を気にしてくれているのだろう。

「気にせんでもええよ。俺長男ちゃうし」

「でも、決められた人とか、政略結婚みたいなのってないんですか?」

「俺が他の女の人のところに行ったら嫌?」

 美帆はまるで「他の人のところに行くんですか」と言いたげな瞳で見つめた。それがなんとも悲しげで、でも言葉にはしなくて、だから愛おしかった。

 自信なさげに緩んだ美帆の手のひらを握りしめる。美帆がこれ以上悲しむことのないように。

「行かへんよ。美帆がおるのに」

「でも、もっとお金持ちで美人ですごい会社の社長令嬢とかいるかもしれませんよ」

「美帆よりおもろい女なんてそうそうおらんって」

「ちょっと、どういう意味です?」

 ────本当に、そう思ってるんやで。

 あまり本気で言うと引かれそうだからこれぐらいにしておいた方がいいだろう。今伝えてもきっと伝わらない。

 もし本当に自分達にそういう時が来たら、ちゃんとした言葉で伝えるべきだ。
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