目が覚めたら屈強な強面王子と入れ替わってしまいました ~お願い!筋トレは週一にして!~
医務室を経由し、すぐさま伯爵令嬢に宛がわれたお部屋に戻り、一息ついた私は溜めに溜めて。
「──月のものですわ」
寝台に横になったヴァルト様は、鳩が豆鉄砲を食ったようなお顔をされていました。病名でも告げられると思っていたのでしょうか。
まぁでも、その反応は当然でしょう。精神が入れ替わったとは言え、体の機能はそのまま。男性のヴァルト様が月のものを経験することなど、本来なら有り得なかったわけですし。
合点が行ったとばかりに脱力されたご様子から、知識としてはご存知だったのでしょうけど。
「……何だ、俺はてっきりお前が重篤な病を持っていたのかと」
「私は至って健康です! だからあんなにも焦っていましたの?」
「ああ。体を鍛えるなと執拗に懇願してきたのはコレが原因かと」
「それは単純に私をムキムキにさせるなということですわよ。寧ろ何でそちらは察していただけませんの」
私は思わず溜息をついてしまいました。
ヴァルト様曰く、体に異変が起きたことを知るや否や、訝しむセイラム様を振り切って真っ先に私の元へ走ってこられたそうです。医務室へ向かうべきかとも考えたが、まずは私に知らせることを優先した、と。
「セイラム様に仰ってくださっても良かったのに。腹痛でお辛かったでしょう」
藤色の瞳を伏せたヴァルト様は、何処か安心したご様子で静かに瞑目されました。
「これはお前の体だ。俺は仕方ないとしても、他人に体調の変化を知られるのは気分が悪いだろう」
「え……」
ヴァルト様……私を気遣う心をお持ちだったなんて意外……。
つい失礼な感動の仕方をしてしまいましたが、次にもたらされた呟きには少々言葉を詰まらせました。
「それに──……母上を思い出して、気が急いていた」
ヴァルト様のお母様。つまりはお亡くなりになった王妃殿下のことですわ。
何と返せば分からずに黙り込んでしまえば、私の困惑を見抜かれたのか、ヴァルト様が片手をゆるく振りました。
「……母上は、俺が幼い頃に毒を盛られて亡くなった。そのときのことを妙に覚えているだけだ」
「毒を……? まさか、それは……」
「そうだ。俺に盛られるはずだった毒を、母上が代わりに飲んだ」
王妃殿下が亡くなられたのは十三年ほど前。齢七にして命を狙われたヴァルト様を、身を挺して守られたそうです。
私たち国民には病死として伝えられましたが、それが後継者争いの犠牲者であることは皆が承知していたとか。伯爵である私のお父様もきっとご存じなのでしょう。
「先程の俺と同じように、母上は青褪めた顔で崩れ落ちた。苦しげな咳と共に黒い血を吐き……そのまま帰らぬ人となった」
「……そんな」
王妃殿下は元から肺を患っており、毒が回ったことで更なる悪化を引き起こしました。医師による治療も間に合わず、ひどく苦しみながら王妃殿下は数日と経たず亡くなられてしまった。
あまりにも呆気なく、ヴァルト様は母君を失ってしまわれたのです。そのときの衝撃的な光景が、意図せず頭を過ったのでしょう。
「また、俺のせいで誰かが死ぬのは御免だと……焦っていた。よく考えもせずに騒いで悪かったな」
そう仰ったヴァルト様の横顔は、とても悲しげでございました。
この方は──確かに王太子の器なのだと、私はそのとき改めて痛感いたしました。
だって、今その体に入っているのはあなたで、未知の痛みに身の危険を覚えるべきはあなた自身だったはずです。もしもリシェル=ローレントの体が死んでしまえば、あなたの魂がどうなるか分からない。
だというのに、ヴァルト様は私の身を案じたのです。己が守るべき国民の命を。
「……ヴァルト様、私は確かにその……ちょっと運動不足ですし、ちょっと食事を減らしがちですけれど、決して病弱ではありませんわ。月のものだって健康でないと来ませんのよ」
「ちょっと運動不足」
「ちょっとですわ! だから、そう簡単にくたばったりしません。ヴァルト様を悲しませる要因になるつもりもございませんわ」
そこでようやくヴァルト様が瞼を開けてくださいました。腹の上できつく握り締めた両手をそっと包み、私はゆっくりと語り掛けました。
「ヴァルト様、そもそも王妃殿下が亡くなられたのだって、あなたのせいではありませんの。悪いのは姑息な手で毒を盛った不届き者です」
「……」
「どうか、ご自分を責めないでください。──そうですわっ、セイラム様から聞きまして? 私、この体で熊を撃退できましたのよ。実質ヴァルト様に守っていただいたも同然ではありませんか!」
私が適当に両手で殴るポーズをしてみせれば、ヴァルト様の表情がほんの少しだけ和らぎました。
「当たり前だ。熊ごときに後れを取るものか」
「ドン引きするほどの自信ですわね」
先程までのしおらしいヴァルト様はいずこへ? 大抵の人間は熊に後れを取るものだとご存じないのでしょうか。
ですがどうやら元気は出たようです。全くもう、走ったり謝ったり落ち込んだり、忙しい方ですわ。私も人のこと言えませんけど。
「さて! 痛み止めも飲んでいただきましたし、少しお休みになられたら良いですわ」
寝れば筋トレも出来ませんし! という本音は喉元で抑えつつ進言したところ、ヴァルト様は素直に聞き入れてくださいました。
そうとなれば私は退室すべきですわね。寝付くまで子守歌でも歌って差し上げたいところですけど、さすがのヴァルト様もご自分の歌声で眠るのは至難の業でしょう。
「ではヴァルト様、お休みなさいませ」
「……ローレント嬢」
「はい?」
ヴァルト様は呼び掛けた後、暫しの沈黙を経て静かにかぶりを振られました。
「……いや、悪い。何も」
「まぁ、何ですの? 心配せずとも、セイラム様のお仕事は手伝いますわよ」
「返って心配だな」
「心外ですわね!! 見てらっしゃい、やったことがないだけで意外な才能があるかもしれませんわ! セイラム様ぁー!? 私にも何かお仕事を回してくださいましー!」
隣のお部屋から「うるさい!」と疲れ切った声が飛んで来ました。
そうして小さく噴き出したヴァルト様を、私はついポカンと見詰めてしまったのでした。
「──月のものですわ」
寝台に横になったヴァルト様は、鳩が豆鉄砲を食ったようなお顔をされていました。病名でも告げられると思っていたのでしょうか。
まぁでも、その反応は当然でしょう。精神が入れ替わったとは言え、体の機能はそのまま。男性のヴァルト様が月のものを経験することなど、本来なら有り得なかったわけですし。
合点が行ったとばかりに脱力されたご様子から、知識としてはご存知だったのでしょうけど。
「……何だ、俺はてっきりお前が重篤な病を持っていたのかと」
「私は至って健康です! だからあんなにも焦っていましたの?」
「ああ。体を鍛えるなと執拗に懇願してきたのはコレが原因かと」
「それは単純に私をムキムキにさせるなということですわよ。寧ろ何でそちらは察していただけませんの」
私は思わず溜息をついてしまいました。
ヴァルト様曰く、体に異変が起きたことを知るや否や、訝しむセイラム様を振り切って真っ先に私の元へ走ってこられたそうです。医務室へ向かうべきかとも考えたが、まずは私に知らせることを優先した、と。
「セイラム様に仰ってくださっても良かったのに。腹痛でお辛かったでしょう」
藤色の瞳を伏せたヴァルト様は、何処か安心したご様子で静かに瞑目されました。
「これはお前の体だ。俺は仕方ないとしても、他人に体調の変化を知られるのは気分が悪いだろう」
「え……」
ヴァルト様……私を気遣う心をお持ちだったなんて意外……。
つい失礼な感動の仕方をしてしまいましたが、次にもたらされた呟きには少々言葉を詰まらせました。
「それに──……母上を思い出して、気が急いていた」
ヴァルト様のお母様。つまりはお亡くなりになった王妃殿下のことですわ。
何と返せば分からずに黙り込んでしまえば、私の困惑を見抜かれたのか、ヴァルト様が片手をゆるく振りました。
「……母上は、俺が幼い頃に毒を盛られて亡くなった。そのときのことを妙に覚えているだけだ」
「毒を……? まさか、それは……」
「そうだ。俺に盛られるはずだった毒を、母上が代わりに飲んだ」
王妃殿下が亡くなられたのは十三年ほど前。齢七にして命を狙われたヴァルト様を、身を挺して守られたそうです。
私たち国民には病死として伝えられましたが、それが後継者争いの犠牲者であることは皆が承知していたとか。伯爵である私のお父様もきっとご存じなのでしょう。
「先程の俺と同じように、母上は青褪めた顔で崩れ落ちた。苦しげな咳と共に黒い血を吐き……そのまま帰らぬ人となった」
「……そんな」
王妃殿下は元から肺を患っており、毒が回ったことで更なる悪化を引き起こしました。医師による治療も間に合わず、ひどく苦しみながら王妃殿下は数日と経たず亡くなられてしまった。
あまりにも呆気なく、ヴァルト様は母君を失ってしまわれたのです。そのときの衝撃的な光景が、意図せず頭を過ったのでしょう。
「また、俺のせいで誰かが死ぬのは御免だと……焦っていた。よく考えもせずに騒いで悪かったな」
そう仰ったヴァルト様の横顔は、とても悲しげでございました。
この方は──確かに王太子の器なのだと、私はそのとき改めて痛感いたしました。
だって、今その体に入っているのはあなたで、未知の痛みに身の危険を覚えるべきはあなた自身だったはずです。もしもリシェル=ローレントの体が死んでしまえば、あなたの魂がどうなるか分からない。
だというのに、ヴァルト様は私の身を案じたのです。己が守るべき国民の命を。
「……ヴァルト様、私は確かにその……ちょっと運動不足ですし、ちょっと食事を減らしがちですけれど、決して病弱ではありませんわ。月のものだって健康でないと来ませんのよ」
「ちょっと運動不足」
「ちょっとですわ! だから、そう簡単にくたばったりしません。ヴァルト様を悲しませる要因になるつもりもございませんわ」
そこでようやくヴァルト様が瞼を開けてくださいました。腹の上できつく握り締めた両手をそっと包み、私はゆっくりと語り掛けました。
「ヴァルト様、そもそも王妃殿下が亡くなられたのだって、あなたのせいではありませんの。悪いのは姑息な手で毒を盛った不届き者です」
「……」
「どうか、ご自分を責めないでください。──そうですわっ、セイラム様から聞きまして? 私、この体で熊を撃退できましたのよ。実質ヴァルト様に守っていただいたも同然ではありませんか!」
私が適当に両手で殴るポーズをしてみせれば、ヴァルト様の表情がほんの少しだけ和らぎました。
「当たり前だ。熊ごときに後れを取るものか」
「ドン引きするほどの自信ですわね」
先程までのしおらしいヴァルト様はいずこへ? 大抵の人間は熊に後れを取るものだとご存じないのでしょうか。
ですがどうやら元気は出たようです。全くもう、走ったり謝ったり落ち込んだり、忙しい方ですわ。私も人のこと言えませんけど。
「さて! 痛み止めも飲んでいただきましたし、少しお休みになられたら良いですわ」
寝れば筋トレも出来ませんし! という本音は喉元で抑えつつ進言したところ、ヴァルト様は素直に聞き入れてくださいました。
そうとなれば私は退室すべきですわね。寝付くまで子守歌でも歌って差し上げたいところですけど、さすがのヴァルト様もご自分の歌声で眠るのは至難の業でしょう。
「ではヴァルト様、お休みなさいませ」
「……ローレント嬢」
「はい?」
ヴァルト様は呼び掛けた後、暫しの沈黙を経て静かにかぶりを振られました。
「……いや、悪い。何も」
「まぁ、何ですの? 心配せずとも、セイラム様のお仕事は手伝いますわよ」
「返って心配だな」
「心外ですわね!! 見てらっしゃい、やったことがないだけで意外な才能があるかもしれませんわ! セイラム様ぁー!? 私にも何かお仕事を回してくださいましー!」
隣のお部屋から「うるさい!」と疲れ切った声が飛んで来ました。
そうして小さく噴き出したヴァルト様を、私はついポカンと見詰めてしまったのでした。