目が覚めたら屈強な強面王子と入れ替わってしまいました ~お願い!筋トレは週一にして!~
「──ふふ、いかが? セイラム様。私の提案は!」
執務室に戻った私は意気込みが衰えぬうちにと、セイラム様にお願いして公務を手伝っておりました。
以前はにべもなく断られましたが、先程私の薔薇風呂を目撃してしまったせいか、判断能力が著しく低下したセイラム様はお仕事の一部を私に預けてくださいました。
その内容が、クレーべ伯爵領に新しい孤児院を建設したいという要請でした。クレーべ伯爵はそれほど裕福ではないのですが、私がお会いした感じではとてもお優しい方でしたから納得ですわ。
伯爵曰く、資金不足を補うために王宮の方でどうにか工面をしていただきたいと。
しかし簡単に王宮が一領地のために動けるはずもなく、どこか他の領地と連携して孤児院を開くことが望ましいとのことでしたので──。
「ロッシュ男爵、ですか。何故この方をお選びに?」
セイラム様の眉間に皺が寄りました。まぁこれは予想通りですわ。
ロッシュ男爵はクレーべ伯爵領の北方に領地を持つ資産家で、何と言いますか、目立ちたがりなおじさまです。
「彼は自分の資産を簡単に手放しませんし、孤児院にはそれほど興味がないと思うのですが」
「あら、でもヴァルト様からお声が掛かれば、喜んで力をお貸しになると思いますわ」
男爵はとにかく王家とお近づきになりたくて仕方がないのです。セイラム様が鬱陶しそうなお顔をしているのは、多分そのせいでしょう。
ですが男爵が豪華な装飾品をじゃらじゃらと身に着けているのも、聞こえのよい慈善事業に我先にと名乗りを上げるのも、全ては王家からの印象を気にしてのこと。ゆえに胡散臭さはあれど、意外にも後ろ暗い噂は聞いたことがありません。
私の汗と努力の結晶「決定版リシェルの夜会ノート」には「ゴマすりがお上手」と記した覚えがございますわ。
「クレーべ伯爵のご令嬢が昨年、王家の傍系たるミラン公爵家の嫡男とご結婚されましたし、王家との繋がりを貪欲に求めている男爵なら食いつくと思いますわ。これは彼の大好きな慈善事業の一環ですし、少し前に輿入れされた男爵夫人も、各地の孤児院に赴いてバザーを開いていますのよ」
「……。意外とよくご存じですね」
「ほほほ、社交界の中心に立ち続けたリシェル=ローレントの情報網を舐めていましたわね、セイラム様!」
「えぇまあそれなりに」
そこは否定するところですわよ。
ですがセイラム様は私の提案自体には納得していただけたのか、計画書を受け取ってくださいました。
「男爵には適度に散財して経済を回してもらいたいと思っていましたし、よい機会でしょう。ロッシュ男爵に話を持っていきます」
「やったー! やれば出来る子ではありませんか、私!」
受領された計画書を見て、私は少し感慨深い気持ちで肩を竦めました。
本当は夜会での情報収集もアランデル様のために頑張っていたのですけれど、披露する機会は終ぞ訪れなかったのです。
いえ……一度、ご実家の商売のことでお困りだったアランデル様に、社交界で伺ったお話をそれとなく伝えてみたこともありましたが、「楽しい時間を過ごしたんだね」と軽くあしらわれまして。女の私が口を挟むべきではなかったと、深く恥じ入ったことを覚えております。
でもでも、まさかこのような場でお役に立てるなんて思いもしませんでしたわ。努力が認められるのは嬉しいものですわね。
私が上機嫌に書類を整理していると、不意にセイラム様がこちらを振り返りました。
「疲れてて聞いていませんでしたが、何故いきなり公務を手伝うと仰ったのです?」
「え?」
それは──何故でしょう。
先程ヴァルト様と二人でお話しているうちに、私も何かせねばと焦りのような気持ちが湧いてきて。いえ、それ以前に私、薔薇風呂に浸かりながら一人で落ち込んでいたような気が。
「──そう、少し不安でしたの。私がヴァルト様の足を引っ張って、王太子になれなかったらどうしましょう、と」
「……」
「あの方は素晴らしい功績をお持ちで、私ごときでは代理など到底務まりませんから。ですが……」
ベルデナーレ王国を異民族の襲撃から守った英雄。雲の上の存在とばかり思っていましたが、体が入れ替わり、実際にお話して分かりました。
ヴァルト様は決して完璧な御方ではない。幼き頃に王妃殿下を亡くし、心に深い傷を負われたからこそ、己の手で何もかも守ろうとする無茶な御人だと。
鍛え上げられた鋼のような右腕を摩り、私は苦笑をこぼしました。
「代理ではなくて、支えたいと思ったのです。それなら私にも出来ますわ。ヴァルト様は私を顔だけの娘だなんて仰いませんし、一人の国民として正面から見てくださいます」
私がアランデル様との婚約に固執していた頃、ヴァルト様は怒っておいででした。
人として対等に扱われていないことを、それを受け入れていた私を、心から案じて叱ってくださった。
「とても嬉しかったのです。成り行きでここにいますけれど、ベルデナーレを治める次期国王はヴァルト様でなければと思うようになりましたわ」
「……そうですか。最後は同感ですね」
「え。ちょっとセイラム様、途中で居眠りをしていましたの!? 私が心の内を詳らかに語ったというのに!」
「すみませんね、王太子になれなかったらどうしよう、辺りからもう一度お願いします」
「殆ど聞いてないではありませんの!」
そこで久々に机を殴ってしまい、引き出しから棚が吹っ飛びました。書類が舞う執務室で、セイラム様はとうとう白目を剥いて椅子に座り込んだのでした。
執務室に戻った私は意気込みが衰えぬうちにと、セイラム様にお願いして公務を手伝っておりました。
以前はにべもなく断られましたが、先程私の薔薇風呂を目撃してしまったせいか、判断能力が著しく低下したセイラム様はお仕事の一部を私に預けてくださいました。
その内容が、クレーべ伯爵領に新しい孤児院を建設したいという要請でした。クレーべ伯爵はそれほど裕福ではないのですが、私がお会いした感じではとてもお優しい方でしたから納得ですわ。
伯爵曰く、資金不足を補うために王宮の方でどうにか工面をしていただきたいと。
しかし簡単に王宮が一領地のために動けるはずもなく、どこか他の領地と連携して孤児院を開くことが望ましいとのことでしたので──。
「ロッシュ男爵、ですか。何故この方をお選びに?」
セイラム様の眉間に皺が寄りました。まぁこれは予想通りですわ。
ロッシュ男爵はクレーべ伯爵領の北方に領地を持つ資産家で、何と言いますか、目立ちたがりなおじさまです。
「彼は自分の資産を簡単に手放しませんし、孤児院にはそれほど興味がないと思うのですが」
「あら、でもヴァルト様からお声が掛かれば、喜んで力をお貸しになると思いますわ」
男爵はとにかく王家とお近づきになりたくて仕方がないのです。セイラム様が鬱陶しそうなお顔をしているのは、多分そのせいでしょう。
ですが男爵が豪華な装飾品をじゃらじゃらと身に着けているのも、聞こえのよい慈善事業に我先にと名乗りを上げるのも、全ては王家からの印象を気にしてのこと。ゆえに胡散臭さはあれど、意外にも後ろ暗い噂は聞いたことがありません。
私の汗と努力の結晶「決定版リシェルの夜会ノート」には「ゴマすりがお上手」と記した覚えがございますわ。
「クレーべ伯爵のご令嬢が昨年、王家の傍系たるミラン公爵家の嫡男とご結婚されましたし、王家との繋がりを貪欲に求めている男爵なら食いつくと思いますわ。これは彼の大好きな慈善事業の一環ですし、少し前に輿入れされた男爵夫人も、各地の孤児院に赴いてバザーを開いていますのよ」
「……。意外とよくご存じですね」
「ほほほ、社交界の中心に立ち続けたリシェル=ローレントの情報網を舐めていましたわね、セイラム様!」
「えぇまあそれなりに」
そこは否定するところですわよ。
ですがセイラム様は私の提案自体には納得していただけたのか、計画書を受け取ってくださいました。
「男爵には適度に散財して経済を回してもらいたいと思っていましたし、よい機会でしょう。ロッシュ男爵に話を持っていきます」
「やったー! やれば出来る子ではありませんか、私!」
受領された計画書を見て、私は少し感慨深い気持ちで肩を竦めました。
本当は夜会での情報収集もアランデル様のために頑張っていたのですけれど、披露する機会は終ぞ訪れなかったのです。
いえ……一度、ご実家の商売のことでお困りだったアランデル様に、社交界で伺ったお話をそれとなく伝えてみたこともありましたが、「楽しい時間を過ごしたんだね」と軽くあしらわれまして。女の私が口を挟むべきではなかったと、深く恥じ入ったことを覚えております。
でもでも、まさかこのような場でお役に立てるなんて思いもしませんでしたわ。努力が認められるのは嬉しいものですわね。
私が上機嫌に書類を整理していると、不意にセイラム様がこちらを振り返りました。
「疲れてて聞いていませんでしたが、何故いきなり公務を手伝うと仰ったのです?」
「え?」
それは──何故でしょう。
先程ヴァルト様と二人でお話しているうちに、私も何かせねばと焦りのような気持ちが湧いてきて。いえ、それ以前に私、薔薇風呂に浸かりながら一人で落ち込んでいたような気が。
「──そう、少し不安でしたの。私がヴァルト様の足を引っ張って、王太子になれなかったらどうしましょう、と」
「……」
「あの方は素晴らしい功績をお持ちで、私ごときでは代理など到底務まりませんから。ですが……」
ベルデナーレ王国を異民族の襲撃から守った英雄。雲の上の存在とばかり思っていましたが、体が入れ替わり、実際にお話して分かりました。
ヴァルト様は決して完璧な御方ではない。幼き頃に王妃殿下を亡くし、心に深い傷を負われたからこそ、己の手で何もかも守ろうとする無茶な御人だと。
鍛え上げられた鋼のような右腕を摩り、私は苦笑をこぼしました。
「代理ではなくて、支えたいと思ったのです。それなら私にも出来ますわ。ヴァルト様は私を顔だけの娘だなんて仰いませんし、一人の国民として正面から見てくださいます」
私がアランデル様との婚約に固執していた頃、ヴァルト様は怒っておいででした。
人として対等に扱われていないことを、それを受け入れていた私を、心から案じて叱ってくださった。
「とても嬉しかったのです。成り行きでここにいますけれど、ベルデナーレを治める次期国王はヴァルト様でなければと思うようになりましたわ」
「……そうですか。最後は同感ですね」
「え。ちょっとセイラム様、途中で居眠りをしていましたの!? 私が心の内を詳らかに語ったというのに!」
「すみませんね、王太子になれなかったらどうしよう、辺りからもう一度お願いします」
「殆ど聞いてないではありませんの!」
そこで久々に机を殴ってしまい、引き出しから棚が吹っ飛びました。書類が舞う執務室で、セイラム様はとうとう白目を剥いて椅子に座り込んだのでした。