目が覚めたら屈強な強面王子と入れ替わってしまいました ~お願い!筋トレは週一にして!~
8.恋の嵐ですわ!
──エゼルバート公爵家から「修繕費」の報告が来た。
何でも王宮内の柱を一部損傷してしまったため、修繕のための費用を公爵家が全額負担するとか。ありがたいことだが、恐らくこれは向こうなりの謝罪なのだろう。
馬鹿息子のやらかした尻拭い。そういうことなら、ついでに庭園の改築に必要な費用も請求してやろう。
「セイラム様、意地の悪いお顔をされていますわ」
ふと書面から顔を上げれば、ヴァルト様の体に戻ってしまったリシェル様がもじもじとこちらを見下ろしていた。
カルミネ様が作られた応急薬は、二人が今朝目を覚ました時点で解けていたらしい。起床するなり「戻りました」と律儀に報告してきたリシェル様に、つい溜息で応じてしまったのは致し方ない。
「ねぇセイラム様、お仕事が片付いたらちょっとお話を聞いてくださいます?」
「このままどうぞ」
隣の椅子を片手で引けば、どこか緊張した様子で巨漢が腰掛けた。揃えた両膝に手を乗せて、リシェル様はずいと身を乗り出す。
「──ヴァルト様って女性と交際した経験がございますの?」
またよく分からないことを言い出した。
手を動かしながら適当に首を傾げれば、リシェル様がそのまま話を続ける。
「昨日の舞踏会で、何だか物凄く手慣れていたというか、とっても紳士的でしたの。私ったらもう色々と忘れて楽しんでしまって」
「…………まあ、王太子妃の座を狙って逞しく婚姻を迫って来た女性なら結構いましたし」
「え! そうでしたの!?」
ヴァルト様は見た目こそ厳ついが、まごうことなきベルデナーレ王子だ。
ドッザの血を忌避する者も多いと言えば多い。しかしてそれを理由にして関わりを避けるなど愚か以外の何物でもない、と聡い令嬢は理解しているのだろう。
「それでも心の底ではヴァルト様の血を嫌がる者というのは、残念ながら態度で分かりますから。長続きしませんでしたよ」
しかしドッザ云々以前に、運動しろだの食事を抜くなだの、ヴァルト様が色気もクソも無い会話しかしなくて令嬢が発狂するケースの方が多い。というか八割そうだと思う。
臣下としては女性に惑わされない点で頼もしく思う反面、この調子だといつまで経っても妃を取らないのではないかと危惧する者もいる。
ちら、と隣を見遣る。
そこには上の空な様子で「そうですか……」と口をへの字に曲げているリシェル様がいた。
「……。何故そのようなことを?」
「え!? 気になります!?」
「いえやはり気にならないので話したくなければ結構です」
「そう仰らずに!」
前々から思っていたが、この令嬢は単純に心が幼いのか、それとも我が強いのか分からない。舞踏会ではマクシム様を言い負かして追い払ったと聞くし、それなりに社交界の荒波に揉まれてこそ今の性格があるのだろうが。
──意外なのは、本来ならこれほど口喧しい娘は苦手なはずのヴァルト様が、頻りに彼女を気にかけていることだ。
相手からあまりにも一方的に喋られるとヴァルト様は黙るか寝てしまう。冗談ではなく本気で。私が公務に関することで、ヴァルト様に執拗に進言したときも例外じゃない。あのゴリラは面倒臭くなるとすぐ寝る。
のだが、最近はそれも少ないような。もしやリシェル様と話すことで耐性でもついたのだろうか。
「ちょっとセイラム様、聞いてらっしゃるの?」
「全く」
「もうっ、少しくらいご教授くださっても良いではありませんの!」
「ご教授?」
リシェル様はこくこくと頷き、ぽっと頬を染めて俯いた。やめてほしい。
「ですから、セイラム様の初恋を教えてくださいまし」
「一体どこからそんな話になったんです」
勘弁してくれ。何で巨漢と膝を突き合わせて恋愛話などしなければならないのだ。これでリシェル様が元の姿だったならまだしも──いや、いずれにせよ自分の初恋など口にしたくもない。
「嫌ですよ」
「えーっ!? 何でですの! 今この気持ちを確かめるためにはセイラム様のお話を聞くぐらいしかありませんのに!」
「だから何の話ですか、私の色恋沙汰なんて聞いても参考にもなりませんよ」
というか先程からリシェル様は何が目的なのだろう。他人の初恋を尋ねて得られるものなど、せいぜいが些細な共感ぐらい──え。
「……まさかリシェル様──」
私がようやく彼女の方を向いた瞬間、机のそばにやって来た小柄な人影が会話を遮った。
「セイラムの初恋はカルミネだぞ」
銀髪の乙女に入っているヴァルト様は、今しがた側近の黒歴史を暴露したことなど一つも気付いていない様子で欠伸をする。
私が歪みに歪んだ顔で絶句する傍ら、リシェル様は「まぁ!」と驚きの声を上げたのだった。
「カルミネ様!? あら? でもカルミネ様は四十か五十だと」
「ああ。年齢を知らずに告白して、子持ちだからという理由で振られた」
「ヴァルト様、止めて差し上げなかったんですの」
「別に邪魔することでもないだろ。十代の話だぞ──セイラム、何で俺の机に書類の山を寄越す。おい」
何でも王宮内の柱を一部損傷してしまったため、修繕のための費用を公爵家が全額負担するとか。ありがたいことだが、恐らくこれは向こうなりの謝罪なのだろう。
馬鹿息子のやらかした尻拭い。そういうことなら、ついでに庭園の改築に必要な費用も請求してやろう。
「セイラム様、意地の悪いお顔をされていますわ」
ふと書面から顔を上げれば、ヴァルト様の体に戻ってしまったリシェル様がもじもじとこちらを見下ろしていた。
カルミネ様が作られた応急薬は、二人が今朝目を覚ました時点で解けていたらしい。起床するなり「戻りました」と律儀に報告してきたリシェル様に、つい溜息で応じてしまったのは致し方ない。
「ねぇセイラム様、お仕事が片付いたらちょっとお話を聞いてくださいます?」
「このままどうぞ」
隣の椅子を片手で引けば、どこか緊張した様子で巨漢が腰掛けた。揃えた両膝に手を乗せて、リシェル様はずいと身を乗り出す。
「──ヴァルト様って女性と交際した経験がございますの?」
またよく分からないことを言い出した。
手を動かしながら適当に首を傾げれば、リシェル様がそのまま話を続ける。
「昨日の舞踏会で、何だか物凄く手慣れていたというか、とっても紳士的でしたの。私ったらもう色々と忘れて楽しんでしまって」
「…………まあ、王太子妃の座を狙って逞しく婚姻を迫って来た女性なら結構いましたし」
「え! そうでしたの!?」
ヴァルト様は見た目こそ厳ついが、まごうことなきベルデナーレ王子だ。
ドッザの血を忌避する者も多いと言えば多い。しかしてそれを理由にして関わりを避けるなど愚か以外の何物でもない、と聡い令嬢は理解しているのだろう。
「それでも心の底ではヴァルト様の血を嫌がる者というのは、残念ながら態度で分かりますから。長続きしませんでしたよ」
しかしドッザ云々以前に、運動しろだの食事を抜くなだの、ヴァルト様が色気もクソも無い会話しかしなくて令嬢が発狂するケースの方が多い。というか八割そうだと思う。
臣下としては女性に惑わされない点で頼もしく思う反面、この調子だといつまで経っても妃を取らないのではないかと危惧する者もいる。
ちら、と隣を見遣る。
そこには上の空な様子で「そうですか……」と口をへの字に曲げているリシェル様がいた。
「……。何故そのようなことを?」
「え!? 気になります!?」
「いえやはり気にならないので話したくなければ結構です」
「そう仰らずに!」
前々から思っていたが、この令嬢は単純に心が幼いのか、それとも我が強いのか分からない。舞踏会ではマクシム様を言い負かして追い払ったと聞くし、それなりに社交界の荒波に揉まれてこそ今の性格があるのだろうが。
──意外なのは、本来ならこれほど口喧しい娘は苦手なはずのヴァルト様が、頻りに彼女を気にかけていることだ。
相手からあまりにも一方的に喋られるとヴァルト様は黙るか寝てしまう。冗談ではなく本気で。私が公務に関することで、ヴァルト様に執拗に進言したときも例外じゃない。あのゴリラは面倒臭くなるとすぐ寝る。
のだが、最近はそれも少ないような。もしやリシェル様と話すことで耐性でもついたのだろうか。
「ちょっとセイラム様、聞いてらっしゃるの?」
「全く」
「もうっ、少しくらいご教授くださっても良いではありませんの!」
「ご教授?」
リシェル様はこくこくと頷き、ぽっと頬を染めて俯いた。やめてほしい。
「ですから、セイラム様の初恋を教えてくださいまし」
「一体どこからそんな話になったんです」
勘弁してくれ。何で巨漢と膝を突き合わせて恋愛話などしなければならないのだ。これでリシェル様が元の姿だったならまだしも──いや、いずれにせよ自分の初恋など口にしたくもない。
「嫌ですよ」
「えーっ!? 何でですの! 今この気持ちを確かめるためにはセイラム様のお話を聞くぐらいしかありませんのに!」
「だから何の話ですか、私の色恋沙汰なんて聞いても参考にもなりませんよ」
というか先程からリシェル様は何が目的なのだろう。他人の初恋を尋ねて得られるものなど、せいぜいが些細な共感ぐらい──え。
「……まさかリシェル様──」
私がようやく彼女の方を向いた瞬間、机のそばにやって来た小柄な人影が会話を遮った。
「セイラムの初恋はカルミネだぞ」
銀髪の乙女に入っているヴァルト様は、今しがた側近の黒歴史を暴露したことなど一つも気付いていない様子で欠伸をする。
私が歪みに歪んだ顔で絶句する傍ら、リシェル様は「まぁ!」と驚きの声を上げたのだった。
「カルミネ様!? あら? でもカルミネ様は四十か五十だと」
「ああ。年齢を知らずに告白して、子持ちだからという理由で振られた」
「ヴァルト様、止めて差し上げなかったんですの」
「別に邪魔することでもないだろ。十代の話だぞ──セイラム、何で俺の机に書類の山を寄越す。おい」