目が覚めたら屈強な強面王子と入れ替わってしまいました ~お願い!筋トレは週一にして!~
再び中庭を馬で周回してきたセイラム様のお顔は、疲労を通り越して虚無をそこに宿していました。さっさとダチョウをどうにかしろと、無言の圧を私たちに掛けてきます。
「ヴァルト様っ、参りますわよ!」
「ああ、頼む」
私はヴァルト様を左肩に座らせるように抱き、ダチョウがすぐ傍までやって来ると同時に走り出しました。
ほぼ同じ速度で並走すれば、ヴァルト様がそっとダチョウに手を伸ばします。ふさふさとした羽毛を掴んでも、走るのに夢中なダチョウは暴れる様子を見せません。
ちらりと目配せをなさったヴァルト様は、そのまま器用にも私の腕を踏み台にして、ダチョウの背に飛び乗りました。
「ヴァルト様っ」
「大丈夫だ」
ダチョウが少しばかり驚いて体を揺らしましたが、首根っこにしがみついたヴァルト様は怯むことなくリボンに手を伸ばします。
そこに括りつけられた小瓶が、ついに手に入ろうとした瞬間。
「──放て!!」
え、と私が王宮の廊下を見遣ると、そこには数人の騎士が窓越しに弓を構える姿がありました。
その傍らには、騎士に肩を借りながら辛うじて立っている紳士──ゲイル公爵が薄笑いを浮かべています。
「んなっ……!? ヴァルト様、危ない!!」
私は咄嗟にダチョウのお尻をべしっと叩きました。馬と同じ要領で速度を上げてくれないかと期待したのですが、想像以上に喝が入ってしまったのか、ダチョウはセイラム様すら追い越す速さで駆けていきます。
──直後、私の右腕を鋭い鏃が掠めました。
「きゃあ!?」
「ローレント嬢!?」
私が勢いよく転んでしまえば、ヴァルト様の切羽詰まった声が遠のきます。
「いっ……たーいですわぁ……!」
思い切り叫んだつもりでしたが、子犬みたいな声しか出ませんでした。外で転ぶのだって初めてですのに、まさか矢を受けるだなんて──。
って、こちらはヴァルト様のお体ですのに! いけませんわ、また矢を射られたら大変なことになってしまいます!
「きゃー!?」
慌てて立ち上がろうとした矢先、眼前を鋭い風が通り抜けました。
あわやヴァルト様の鼻が無くなるところでした。青褪めて王宮の廊下を見れば、何とも楽しそうに笑うゲイル公爵の姿があります。
「ははは、射て射て! 蒼鷲の連中が来る前に終わらせてしまえ!」
「し、しかし公爵様、さすがに王宮内で命を奪うのは……」
「ええいうるさい! あの忌々しいダチョウを仕留めるついでに、ヴァルト王子は不慮の事故で死ぬのだ! ふはは!」
あのゲス野郎あとで覚えてやがれですわ!!
第二王子派の者たちが軒並み追い詰められたことで、きっと自棄を起こしているのでしょう。
ここで直接ヴァルト様のお体を害したとしても、公爵が主犯として捕えられるだけですのに!
「安心するがいい伯爵令嬢……! 貴女の体も後でちゃんと始末して差し上げますよ、王子の魂と一緒に!」
再び公爵の私兵が矢をつがえる姿を見て、私は慌てて庭園の方へ走りました。
右腕の焼けるような痛みに歯を食い縛り、生い茂る低木の群れに飛び込めば、頭上を幾つかの矢が掠めます。ぞっと背筋が冷えるのを感じながら、私はそのまま庭園の奥へと向かいました。
垣根や木々で身を隠してもあまり意味はないのでしょうか、矢は障害物をすり抜けるようにして、遥か上空から降ってきます。それらに逐一驚いている間にも、後ろから複数の足音がどんどん距離を詰めてくるのが分かりました。
「ああ、ど、どうしたら……!」
今までにも何度か身の危険を感じる場面はありましたけど、いずれも相手は一人か一頭でしたもの。こんなに大勢に追われて、しかも矢を浴びせられてパニックになるなと言う方が無理でしてよ!
一応の装いとして私の腰には剣がありますけれど、そもそも使ったことがありません。どうやって柄を握るのかも曖昧です。適当に振り回したところで、降り注ぐ矢を全て防ぐなんて芸当はとても──。
「と、とにかく騎士団の皆さまがいらっしゃるところへ……」
そのとき、耳のすぐ横を矢が掠めました。
寸でのところで悲鳴を飲み下した私は、ヴァルト様のお体でも隠れられそうな垣根の裏に身を潜めました。
焦りと緊張で心臓がばくばくと音を立てています。こんなにも恐ろしくて心細い気持ちを感じるのは、昔、綺麗な花瓶をお母様のお気に入りだとは知らずダンゴムシのおうちにしてしまったとき以来ですわ。いえ、あのときはお母様の絶叫と叱責だけで済みましたけれどぉ……!
「は……!」
頭を抱えて小さく蹲っていると、一つの足音がこちらへ近付いてきます。しかも不味いことに一切の迷いがありませんわ。私の居場所を既に把握しているかのようです。
どどど、どうしましょう、そこの池にでも飛び込んで身を隠すべきでしょうか、いえ私そもそも泳げましたっけ!?
そうこうしているうちに、やたらと大きな足音が、私の心臓の鼓動と重なりました。
もう駄目だと目を強く瞑れば、垣根の葉がにわかに風に揺られました。
「──リシェル、俺だ」
舞い散る葉と木漏れ日を背に現れたのは、銀髪の乙女でございました。
垣根に埋まるようにして座り込んでいた私は、止まっていた息と共に、とうとう涙を溢れさせたのでした。
「ヴァルト様っ、参りますわよ!」
「ああ、頼む」
私はヴァルト様を左肩に座らせるように抱き、ダチョウがすぐ傍までやって来ると同時に走り出しました。
ほぼ同じ速度で並走すれば、ヴァルト様がそっとダチョウに手を伸ばします。ふさふさとした羽毛を掴んでも、走るのに夢中なダチョウは暴れる様子を見せません。
ちらりと目配せをなさったヴァルト様は、そのまま器用にも私の腕を踏み台にして、ダチョウの背に飛び乗りました。
「ヴァルト様っ」
「大丈夫だ」
ダチョウが少しばかり驚いて体を揺らしましたが、首根っこにしがみついたヴァルト様は怯むことなくリボンに手を伸ばします。
そこに括りつけられた小瓶が、ついに手に入ろうとした瞬間。
「──放て!!」
え、と私が王宮の廊下を見遣ると、そこには数人の騎士が窓越しに弓を構える姿がありました。
その傍らには、騎士に肩を借りながら辛うじて立っている紳士──ゲイル公爵が薄笑いを浮かべています。
「んなっ……!? ヴァルト様、危ない!!」
私は咄嗟にダチョウのお尻をべしっと叩きました。馬と同じ要領で速度を上げてくれないかと期待したのですが、想像以上に喝が入ってしまったのか、ダチョウはセイラム様すら追い越す速さで駆けていきます。
──直後、私の右腕を鋭い鏃が掠めました。
「きゃあ!?」
「ローレント嬢!?」
私が勢いよく転んでしまえば、ヴァルト様の切羽詰まった声が遠のきます。
「いっ……たーいですわぁ……!」
思い切り叫んだつもりでしたが、子犬みたいな声しか出ませんでした。外で転ぶのだって初めてですのに、まさか矢を受けるだなんて──。
って、こちらはヴァルト様のお体ですのに! いけませんわ、また矢を射られたら大変なことになってしまいます!
「きゃー!?」
慌てて立ち上がろうとした矢先、眼前を鋭い風が通り抜けました。
あわやヴァルト様の鼻が無くなるところでした。青褪めて王宮の廊下を見れば、何とも楽しそうに笑うゲイル公爵の姿があります。
「ははは、射て射て! 蒼鷲の連中が来る前に終わらせてしまえ!」
「し、しかし公爵様、さすがに王宮内で命を奪うのは……」
「ええいうるさい! あの忌々しいダチョウを仕留めるついでに、ヴァルト王子は不慮の事故で死ぬのだ! ふはは!」
あのゲス野郎あとで覚えてやがれですわ!!
第二王子派の者たちが軒並み追い詰められたことで、きっと自棄を起こしているのでしょう。
ここで直接ヴァルト様のお体を害したとしても、公爵が主犯として捕えられるだけですのに!
「安心するがいい伯爵令嬢……! 貴女の体も後でちゃんと始末して差し上げますよ、王子の魂と一緒に!」
再び公爵の私兵が矢をつがえる姿を見て、私は慌てて庭園の方へ走りました。
右腕の焼けるような痛みに歯を食い縛り、生い茂る低木の群れに飛び込めば、頭上を幾つかの矢が掠めます。ぞっと背筋が冷えるのを感じながら、私はそのまま庭園の奥へと向かいました。
垣根や木々で身を隠してもあまり意味はないのでしょうか、矢は障害物をすり抜けるようにして、遥か上空から降ってきます。それらに逐一驚いている間にも、後ろから複数の足音がどんどん距離を詰めてくるのが分かりました。
「ああ、ど、どうしたら……!」
今までにも何度か身の危険を感じる場面はありましたけど、いずれも相手は一人か一頭でしたもの。こんなに大勢に追われて、しかも矢を浴びせられてパニックになるなと言う方が無理でしてよ!
一応の装いとして私の腰には剣がありますけれど、そもそも使ったことがありません。どうやって柄を握るのかも曖昧です。適当に振り回したところで、降り注ぐ矢を全て防ぐなんて芸当はとても──。
「と、とにかく騎士団の皆さまがいらっしゃるところへ……」
そのとき、耳のすぐ横を矢が掠めました。
寸でのところで悲鳴を飲み下した私は、ヴァルト様のお体でも隠れられそうな垣根の裏に身を潜めました。
焦りと緊張で心臓がばくばくと音を立てています。こんなにも恐ろしくて心細い気持ちを感じるのは、昔、綺麗な花瓶をお母様のお気に入りだとは知らずダンゴムシのおうちにしてしまったとき以来ですわ。いえ、あのときはお母様の絶叫と叱責だけで済みましたけれどぉ……!
「は……!」
頭を抱えて小さく蹲っていると、一つの足音がこちらへ近付いてきます。しかも不味いことに一切の迷いがありませんわ。私の居場所を既に把握しているかのようです。
どどど、どうしましょう、そこの池にでも飛び込んで身を隠すべきでしょうか、いえ私そもそも泳げましたっけ!?
そうこうしているうちに、やたらと大きな足音が、私の心臓の鼓動と重なりました。
もう駄目だと目を強く瞑れば、垣根の葉がにわかに風に揺られました。
「──リシェル、俺だ」
舞い散る葉と木漏れ日を背に現れたのは、銀髪の乙女でございました。
垣根に埋まるようにして座り込んでいた私は、止まっていた息と共に、とうとう涙を溢れさせたのでした。