目が覚めたら屈強な強面王子と入れ替わってしまいました ~お願い!筋トレは週一にして!~
「──少しは落ち着いたか」
「ばっちりですわ」

 手首に氷のうを押し付けた状態でテラスに戻った私は、咳払いと共に席へ着きました。
 私が豪快に紅茶をこぼしたテーブルは、既にメイドによって綺麗に片付けられ、代わりにちょっとしたお菓子が置かれています。ですがついさっき粗相をした手前、そちらに指先を伸ばすことは躊躇われました。
 ゆえに私は大人しく両手を膝元で揃えたまま、中断したお話の続きを促すことにいたしました。

「それでヴァルト様、どうして婚約者探しのことなんてお聞きになりましたの?」

 ヴァルト様はご自分で振った話題を忘れていたのか、「ああ」と少しの間を置いてから応えます。
 しかし、そこから改めてたっぷりと間を取っては、やがて溜息まじりに私を見ました。こちらに寄越された瑠璃色の瞳は、何故だか少し不満げでございます。

「探すのか」
「え」
「またエゼルバート風味の男を」
「ドレッシングみたいに言わないでくださいまし。……暫くは、屋敷でゆっくりしようかと思っていますわ」

 婚約者探しを続行できるものなら、今すぐこの場でいつも通り可愛く清らかな令嬢を演じて、他でもないこの御方に好意を惜しげもなくぶつけてしまいたい。
 でもそれが出来そうにないから、私はすごすごと屋敷に引っ込むしかないのです。


 ──それとも、言ってしまってから帰った方が良いのでしょうか。


 此度の事件を通じてヴァルト様に恋をしてしまったことを、先延ばしにせず、今。
 信じてもらえるでしょうか。アランデル様との婚約が駄目になったから王子に乗り換えた、などと思われないでしょうか? ああ、私ったらこれほどまでに自信のない女でしたっけ?

「──……ええい、儘よ!!」

 うじうじと弱気な心を叩き出し、ついでにうっかり声も出しながら私は立ち上がりました。勿論ヴァルト様のお顔には疑問符が浮かんでおられますが、今は見ないことにいたします。

「ヴァルト様っ、わ、わわわ私は……! あ、て、手汗が凄いっ、駄目ですわリシェル、パセリは禁物、深呼吸しなければ」
「それを言うなら焦りだ。どうした?」

 ヴァルト様のお声は柔らかく、話の続きを優しく促してくださいます。中途半端に伸ばされた大きな手を、この時ばかりは都合よく解釈して、私は恐る恐る指先を重ねました。


「……私、ヴァルト様が好きですわ」


 絞り出した言葉は小さく、心臓の音に掻き消されそうなほどでした。
 ヴァルト様のお顔を見る勇気はなくて、私は強く目を瞑ったまま続けました。

「ぶ、分不相応なのは承知しておりますのよ。でもひと月ほど一緒に過ごさせていただいて、ヴァルト様の人となりに触れて……初めて、両親以外の人に愛おしさを感じましたの」

 アランデル様や他の殿方には一度も感じたことのなかった、苦しくも温かな気持ち。そこにはきっと、民のため尽力されるヴァルト様への敬意も多分に含まれていることでしょう。
 先日、第二王子派の者たちに矢を射られたときだって、考えるよりも先に手足が動いていましたわ。恐ろしくて堪らなかったのに、絶対にヴァルト様をお守りしなければと思って、咄嗟にジョセフィーヌのお尻を叩きました。

 そこには王子という身分はおろか、入れ替わった自分の体などよりも、ただヴァルト様を守ることしか頭になかったのです。

 そうして──お一人で庭園まで駆け付けてくれたヴァルト様のお顔を見て、どれだけ安堵したことか。

「私、麗しい殿方を見ればコロッと惹かれるような小娘でしたから、自分の気持ちにあまり自信が持てませんでしたけれど……」

 冬でもないのに悴んで仕方ない指先を見詰め、私はゆっくりとそこに力を込めました。


「……ヴァルト様と過ごした日々は、大変で、とても楽しくて、離れがたくて。この気持ちこそが私の恋なのだと、今は確信を持って言えますわ」


 はっきりと言い切った後、じわりと首筋が熱くなり、あっという間に頬や耳にまで熱が伝わってしまいます。

 相変わらずヴァルト様のお顔は見れぬまま、沈黙に耐えられず手を引こうとしたのですが──ビクともしませんわ。まるで壺に手が嵌まったかのようです。害獣を捕まえる罠にこういう類いのものがあったような。

 そのまましっかりと手首ごと掴まれてしまい、私がとうとう腰を入れて手を引き抜こうとしたときでした。

「離れがたいんじゃなかったのか」
「いえ今はちょっと恥ずかしさで死んでしまいそうなので離れたいですわね!!」

 私が殆ど悲鳴に近い声で告げるや否や、ヴァルト様はそれ以上離れるなと言わんばかりに、軽々と私の腕を体ごと引き寄せてしまいました。
 そのままヴァルト様の膝に座ってしまえば、すぐ目の前に瑠璃色の瞳が現れ、私はとうとう言葉を失って固まりました。


「──離しがたいのは俺だけかと思っていたな」


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